2006年9月10日 (京都シネマ) 監督:黒木和雄
出演:永瀬敏 、原田知世、永瀬正敏、松岡俊介、小林薫、本上まなみ、他
映画の展開としては、きわめてゆっくりとしている。シーンも、戦後を生き抜き現代に近い今の病院の屋上で老年期を迎えた二人が会話する場面と、戦争末期の紙屋毛のちゃぶ台を囲んだ居間の場面がほとんど代わるがわる出るくらいで、映画と言うより台詞のやりとりも演劇的な要素を感じる。以前見た「父と暮らせば」(井上やすし原作、宮沢りえ、原田芳雄、他)と同様のトーンである。シーンがほとんど動かない、会話中心の演劇的映画といえば、イングリット・ベルイマンの作品を思い起こす。1度は我慢してみるが2回はよほどの決心がないと見られない根気のいる作品群だった。
こちらもはじめは、病院の屋上で二人の長々した会話が続いた時は、同じものを予感させたが、終わってみれば、あっという間の2時間だった。
冒頭のシーンから時代は、戦争末期の昭和20年3月末に遡る。場所は鹿児島の片田舎、米の津町。
兄、安忠が持ってきた見合いの相手は、以前顔を追わせたことのある明石少尉でなくその同僚である永与少尉であった。飛行機乗りである明石は自分が近い将来、出撃して国のため散る運命にあるのを悟っていたので、整備の永与を紹介したのだ。
表現は説明的でなく、あくまでも淡々とおかしみを交えた会話で進行する。それがかえって効果的なのだ。
家に戻ったら、だいぶ以前に見た「子供のころ、戦争があった」(斉藤貞郎監督、三益愛子、梶芽衣子、中原ひとみ、伴淳三郎、他)を急に観たくなり、ライブラリーからビデオを見つけ出し、見入ってしまった。戦争はいろいろな悲劇を生むが、三益愛子の演じる旧家の女将はすごく感動的だった。人間は何のために強くあらねばならないのか、その強さはすばらしかった。
少し、本題から脱線しました。でも、2本とも観てもらいたい映画です。
出演:永瀬敏 、原田知世、永瀬正敏、松岡俊介、小林薫、本上まなみ、他
映画の展開としては、きわめてゆっくりとしている。シーンも、戦後を生き抜き現代に近い今の病院の屋上で老年期を迎えた二人が会話する場面と、戦争末期の紙屋毛のちゃぶ台を囲んだ居間の場面がほとんど代わるがわる出るくらいで、映画と言うより台詞のやりとりも演劇的な要素を感じる。以前見た「父と暮らせば」(井上やすし原作、宮沢りえ、原田芳雄、他)と同様のトーンである。シーンがほとんど動かない、会話中心の演劇的映画といえば、イングリット・ベルイマンの作品を思い起こす。1度は我慢してみるが2回はよほどの決心がないと見られない根気のいる作品群だった。
こちらもはじめは、病院の屋上で二人の長々した会話が続いた時は、同じものを予感させたが、終わってみれば、あっという間の2時間だった。
冒頭のシーンから時代は、戦争末期の昭和20年3月末に遡る。場所は鹿児島の片田舎、米の津町。
兄、安忠が持ってきた見合いの相手は、以前顔を追わせたことのある明石少尉でなくその同僚である永与少尉であった。飛行機乗りである明石は自分が近い将来、出撃して国のため散る運命にあるのを悟っていたので、整備の永与を紹介したのだ。
表現は説明的でなく、あくまでも淡々とおかしみを交えた会話で進行する。それがかえって効果的なのだ。
家に戻ったら、だいぶ以前に見た「子供のころ、戦争があった」(斉藤貞郎監督、三益愛子、梶芽衣子、中原ひとみ、伴淳三郎、他)を急に観たくなり、ライブラリーからビデオを見つけ出し、見入ってしまった。戦争はいろいろな悲劇を生むが、三益愛子の演じる旧家の女将はすごく感動的だった。人間は何のために強くあらねばならないのか、その強さはすばらしかった。
少し、本題から脱線しました。でも、2本とも観てもらいたい映画です。