【2010年2月21日(日)】 旅行9日目-後半
「パラティーノ橋」の袂まで来て、橋の上の道に出る。目の前には再び『真実の口』の「コスメディン教会」の塔がある。例のように列をなしている『真実の口」の前を通り過ぎ、「チルコ・マッシモ」を地下鉄の駅に向けて急ぎ足で歩く。
【再び『真実の口』の前を通る】
「チルコ・マッシモ」駅の前まで来たが、1駅だけ乗るのもどうかと思い、左に曲がり、遠くに「コンスタンティヌス帝の凱旋門」が小さく見える広い道を、「凱旋門」と「コロッセオ」のある方に向け歩く。両側に植えてある木は何という名前の木なんだろう。いかにも「ローマ」にいるという雰囲気をつくりだしている。
【いかにも「ローマの街道」という雰囲気の道】
「フォロ・ロマーナ」へつづく「パラティーノの丘」を左手に見ながら、「コロッセオ」に急ぐ。ほどなく、「コンスタンティヌス帝の凱旋門」につく。右手には、「コロッセオ」が大きく迫る。
【コンスタンティヌス帝の凱旋門】
はやる気持ちを抑えながら入場口に急ぐ。昨日、時間切れで追い返された場所だ。すでに長蛇の列ができている。寄り道をしないで、ここに直行すべきだったかと、ふと思う。それでも昨日の買ったチケットがあるので券売窓口に並ぶ必要がないだけましである。
と、妻が何やらあちこちのポケットに手を入れあわてている。入場券がないという。もう1度探したが見つからない。入れたはずのジーパンの後のポケットにないという。どうも落としたらしい。入場を待つ列は長くつづくが、少しづつ前進している。発券窓口ははるか前方で、係員が券のない人は先に入場券を買うよう促している。
妻は、『仕方ないので、あなただけ入場して来て。』という。自分は外で待っているという。どうしようか迷う。この列を離れたら、再び最後尾に並ぶには時間がおそらく足りない。
「ここで列を離れず待っていて。」と言い残すと、おそらくはるか前方にある発券場に向かう。整理の係員をかき分け前に進む。入場券を求める列は別にあった。最後尾に律義に並んでいたのでは『タイム・アウト』である。ここに至っては、恥も外聞もない。自分の持っている入場券を振りかざし、『スクージ』と『ペルファボ-レ』、『パルドゥン』を連発して突進する。3~4ある窓口の1つにねじり込むと、「もう1枚。」と言って、入場券を買い求める。
雑踏の中で、元の妻の並んでいる場所にたどり着くのが、また大変だった。2度3度、行き来をしたが妻の姿はない。列を離れてどこかに行ってしまたのだろうかと思う。意外と列は前進していて、ようやく発見! 安堵の胸をなでおろし、列に復帰して、入場を待つ。
「コロッセオ」の内部はどうしても見てみたいものの1つだった。いわゆる『グラウンド』の下がどうなっているのか、どこで剣闘士が待機していて、ライオン等の猛獣はどこに囲まれていて、どこから『闘技場』に出てくるのか。
『グラウンド』の土が取り払われ、それを保持していた『床』自体がなくなり、『アンダー・グラウンド』が露わになった状態で、当時の様子はわからないが、『地下』の様子は良くわかる。
複雑に入り組んだ通路で、拳闘士やらはどんな気持ちで『出番』を待っていたのだろうと思う。
それにしても、すごい建造物だ。1900年以上も前につくられたものとは思えない。
今はコンクリートの壁がむき出しになっているが、建設当初の壁面は大理石で覆われ、ずっと豪華だったそうである。壁に無数に空いている穴がその痕跡をとどめている。
経験というのは、やはりしてみないとわからないし納得もできない。見てしまえば何ともないものも、自分の目で見て確認しないと「ああそうだったのか。」と自分のものとして納得できない。
まさに「百聞は一見にしかず。」である。
観客席を一周して、納得した。外を見ると観光客が次から次へと押し寄せてくる。その向こうには、「フォロ・ロマーナ」の遺跡が何事もないように佇んでいる。
もうそろそろ時間である。2時にはホテルに戻らなければならない。「コロッセオ」駅から地下鉄に乗り、「レパント」駅まで戻り、例の長い道のりをホテルに向かう。
時計を見たら4~50分ほど余裕がある。昼食をとっていなかったので、いつも前を通り過ぎる角の中華料理店に入り麺を食べる。
麺は日本で食べる物が一番おいしい。どうも、外国で食べる麺はぼそぼそだったり、ゆですぎだったりで『おいしくない』といつも感じる。
歯ごたえとか食感というのが、日本人ほどないのかと思う。
無事ホテルの集合時間に間に合い、空港に向かう。
長い待ち合わせの時間を過ごし21日現地時間午後6時半離陸。来たときと同じようにイスタンブールでも5時間近い乗り継ぎの時間を過ごし、関空に翌日の午後6時過ぎに到着。
途中、機内食を3回取って、時差8時間、実質16時間の長旅である。
家に着いたのは晩の9時過ぎだった。さあ、明日から早速仕事が待っている。
【終わり】
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「パラティーノ橋」の袂まで来て、橋の上の道に出る。目の前には再び『真実の口』の「コスメディン教会」の塔がある。例のように列をなしている『真実の口」の前を通り過ぎ、「チルコ・マッシモ」を地下鉄の駅に向けて急ぎ足で歩く。
【再び『真実の口』の前を通る】
「チルコ・マッシモ」駅の前まで来たが、1駅だけ乗るのもどうかと思い、左に曲がり、遠くに「コンスタンティヌス帝の凱旋門」が小さく見える広い道を、「凱旋門」と「コロッセオ」のある方に向け歩く。両側に植えてある木は何という名前の木なんだろう。いかにも「ローマ」にいるという雰囲気をつくりだしている。
【いかにも「ローマの街道」という雰囲気の道】
「フォロ・ロマーナ」へつづく「パラティーノの丘」を左手に見ながら、「コロッセオ」に急ぐ。ほどなく、「コンスタンティヌス帝の凱旋門」につく。右手には、「コロッセオ」が大きく迫る。
【コンスタンティヌス帝の凱旋門】
はやる気持ちを抑えながら入場口に急ぐ。昨日、時間切れで追い返された場所だ。すでに長蛇の列ができている。寄り道をしないで、ここに直行すべきだったかと、ふと思う。それでも昨日の買ったチケットがあるので券売窓口に並ぶ必要がないだけましである。
と、妻が何やらあちこちのポケットに手を入れあわてている。入場券がないという。もう1度探したが見つからない。入れたはずのジーパンの後のポケットにないという。どうも落としたらしい。入場を待つ列は長くつづくが、少しづつ前進している。発券窓口ははるか前方で、係員が券のない人は先に入場券を買うよう促している。
妻は、『仕方ないので、あなただけ入場して来て。』という。自分は外で待っているという。どうしようか迷う。この列を離れたら、再び最後尾に並ぶには時間がおそらく足りない。
「ここで列を離れず待っていて。」と言い残すと、おそらくはるか前方にある発券場に向かう。整理の係員をかき分け前に進む。入場券を求める列は別にあった。最後尾に律義に並んでいたのでは『タイム・アウト』である。ここに至っては、恥も外聞もない。自分の持っている入場券を振りかざし、『スクージ』と『ペルファボ-レ』、『パルドゥン』を連発して突進する。3~4ある窓口の1つにねじり込むと、「もう1枚。」と言って、入場券を買い求める。
雑踏の中で、元の妻の並んでいる場所にたどり着くのが、また大変だった。2度3度、行き来をしたが妻の姿はない。列を離れてどこかに行ってしまたのだろうかと思う。意外と列は前進していて、ようやく発見! 安堵の胸をなでおろし、列に復帰して、入場を待つ。
「コロッセオ」の内部はどうしても見てみたいものの1つだった。いわゆる『グラウンド』の下がどうなっているのか、どこで剣闘士が待機していて、ライオン等の猛獣はどこに囲まれていて、どこから『闘技場』に出てくるのか。
『グラウンド』の土が取り払われ、それを保持していた『床』自体がなくなり、『アンダー・グラウンド』が露わになった状態で、当時の様子はわからないが、『地下』の様子は良くわかる。
複雑に入り組んだ通路で、拳闘士やらはどんな気持ちで『出番』を待っていたのだろうと思う。
それにしても、すごい建造物だ。1900年以上も前につくられたものとは思えない。
今はコンクリートの壁がむき出しになっているが、建設当初の壁面は大理石で覆われ、ずっと豪華だったそうである。壁に無数に空いている穴がその痕跡をとどめている。
経験というのは、やはりしてみないとわからないし納得もできない。見てしまえば何ともないものも、自分の目で見て確認しないと「ああそうだったのか。」と自分のものとして納得できない。
まさに「百聞は一見にしかず。」である。
観客席を一周して、納得した。外を見ると観光客が次から次へと押し寄せてくる。その向こうには、「フォロ・ロマーナ」の遺跡が何事もないように佇んでいる。
もうそろそろ時間である。2時にはホテルに戻らなければならない。「コロッセオ」駅から地下鉄に乗り、「レパント」駅まで戻り、例の長い道のりをホテルに向かう。
時計を見たら4~50分ほど余裕がある。昼食をとっていなかったので、いつも前を通り過ぎる角の中華料理店に入り麺を食べる。
麺は日本で食べる物が一番おいしい。どうも、外国で食べる麺はぼそぼそだったり、ゆですぎだったりで『おいしくない』といつも感じる。
歯ごたえとか食感というのが、日本人ほどないのかと思う。
無事ホテルの集合時間に間に合い、空港に向かう。
長い待ち合わせの時間を過ごし21日現地時間午後6時半離陸。来たときと同じようにイスタンブールでも5時間近い乗り継ぎの時間を過ごし、関空に翌日の午後6時過ぎに到着。
途中、機内食を3回取って、時差8時間、実質16時間の長旅である。
家に着いたのは晩の9時過ぎだった。さあ、明日から早速仕事が待っている。
【終わり】
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