【2010年2月8日】 BSにて
見るたびに新鮮だ。どうしてだろう。
以前読んだ本で『明仁さん、美智子さん、皇族 やめませんか』*註 というのがあった。
元宮内庁記者が日本の皇室の事を書いた本だが、天皇制廃止を短絡的に訴えたものでなく、人間である天皇をはじめとする皇族の超人的多忙さや個人的自由のなさを踏まえて、非人間的な制度自体を考え直してみてはどうかという、提案の内容である。(実はもっと広く深遠な問題意識と傾聴に値する見解が述べられているのだが。)
*註 板垣恭介著 大月書店 2006年刊行
(この本の記事時ジャンプ)
それ以来、「ローマの休日」を見るたびにそのことを思い浮かべる。
○ ○ ○
冒頭近くのシーンで、オードリー演じる“アン王女”が、侍女に翌日の日程を分刻みで確認されるシーンがある。
「何時には何々の式典に参加して、何時にはどこどこで昼食会。」と言われるたびに、応答のメッセージを確認する。
と、王女は「もうこんな事はたくさんだ。」と突然ヒステリーを起こし憤りをあらわにする。
今の日本の皇室の「公務に追われている」姿は同じようなものかと想像してしまう。そして、“アン王女”の姿に“雅子様”や今の皇室の様子がだぶる。
でも、そこから先が映画の世界。
こっそり宿泊先の宮殿を抜け出し夜のローマの街に繰りだす。
運良くグレゴリー・ペッグ演じる新聞記者のジョー・ブラッドリーに《拾われ》、ここから駆け引きと冒険が始まる。
初め、ジョーはこの女性との関わりを拒もうと、何とかタクシーの運転手にあとを任せようとするのだが、結局自分のアパートメントに泊まらせることになる。
美しくしかも上品な女性にもかかわらず、すぐモノにしようと考える《今風の映画の男》やわたしらと違って、実に紳士なのである。
翌日、寝坊して出社し「女王との記者会見を済ませてきた。」と上司とかけあう嘘がばれるまで、昨夜自分のアパートに泊めた女性が“王女”であることに気がつかない。
「王女、突然の病気で会見他すべての公式行事中止!」の他社の新聞記事を示され、初めて王女と悟り、気持ちが逸る。
あやうく"首"になるとろを、またとない特ダネを握っていることをちらつかせ、その場を切り抜け特段のボーナスの約束まで取り付けると、自分のアパートにとって返す。
そのあとは、自分の素性を隠しつつ、仲間のカメラマン、アービングを巻き込み、いろいろな騒動を起こしながら、特ダネ記事に添える写真を撮りまくる。
その間のジョーと事情を知らないアービングとの駆け引きの、面白く巧みな脚本だこと。
アン王女と一行の辿る道筋はそのままローマの名所旧跡の市内観光である。
7年前に初めて行った海外旅行でローマを訪れた時の、「トレビの泉」やら「フォロ・ロマーナ」、「コロッセオ」、そして「スペイン広場」と夕暮れの「サンタンジェロ城」を、『ああ、ここなんだ!』と、わくわくしながら回ったのを思い出す。
翌日、自由行動の日を利用してホテルから徒歩で、王女らが滞在したという「~宮殿」も外から眺め、最後の記者会見の(ロケが)行われた「コロンナ宮殿」!)も訪れたが、《何と土曜の午前しか公開していない》のでは短期の滞在では無理というもので、あきらめて場所を確認しただけで終わったのを覚えている。
それらをデジカメとビデオカメラに収めたのだが、最後の観光場所に向かう地下鉄の中で子供の集団に2つともすられてしまった。(しばらくそのことに気付かず、その手口は見事というしかなかった。)
だから今では、ローマの思い出は頭の中に残っている記憶と『ローマの休日』のみである。
話しを戻そう。
アン王女のローマ市内での1日の“自由な”な行動は、自由な人間の幸せそのもののように映る。
理髪店で髪の毛を切り、花屋さんで花をもらい、スペイン広場ではジェラートを買って庶民と同じようになめる。
こんな何でもない、普通の市民がいつもしていることに自由と幸せを感じる王女が、ジョーは(観る人、一般も)愛おしくなる。
ジョーも板垣恭介と同じように新聞記者である。しかし、ブラッドリーはアン王女に「王女なんかやめて皇室を離れ、ぼくとどこか遠くに-南太平洋の誰にも干渉されない島にでも-逃れて、一緒に生活しよう。」とはけっして言わなかった。
アン王女もそうだ。小さな国が、列強の中で活路を求め、親善外交で乗り切っていくための、王女である自分の役割を充分理解している。
「24時間も空白を作ってしまったことを、どう王様に説明するのか、王女としての自覚と責任を。」と駐在大使に弁明を求められた時に、こう言わしめる。
「自分の家族・国民、祖国に対する責任を感じなかったら、ここには戻ってこなかった。」と。
最後のシーンが泣ける。
場所はあの「コロンナ宮殿」である。
女王が記者達の前に姿を見せる。一同を見わたす視線にブラッドリーとアービングの姿を認める。一瞬戸惑う面持ち。
記者の質問を受ける。
「ヨーロッパとの経済上の連携をどのようにお考えですか。」
「国家民族間の友好関係に関してのお考えを・・。」
「国家間でも信頼です-人のつながりでもお互いの信頼が大切であると信じているように。」
ブラッドリーが飛び込みで発言する。
「・・・私たち記者も、王女の信頼を裏切らないものと信じています。」
一瞬かすかな笑みを浮かべる王女。周りの記者は、誰も知らない。
《もう特ダネも、ボーナスも、掛け金もいらない。ふたりの思いでは、永遠に自分の記憶の中にしまっておくのだ》
「訪問した中で、どの街が最も印象に残りましたか?」
侍従が、模範的な回答を耳打ちする。
「どの街も、それぞれに・・・」
王女はそれを遮り、
「どの街も、・・・ローマ。何と云ってもローマです。私はこの地での思い出を永遠に忘れる事はないでしょう。」
万感の思いで王女を見つめるジョー・ブラッドリー。周囲に気付かれぬよう見返す王女の目にはかすかな涙が。
何度見ても、名作である。
○ ○ ○
今週の土曜日、そのローマに向けて発つ。
「ローマの休日」デジタル・リマスター版-ホームページ
『ローマの休日』の最後のシーン舞台-『コロンナ宮殿』を尋ねる
見るたびに新鮮だ。どうしてだろう。
以前読んだ本で『明仁さん、美智子さん、皇族 やめませんか』*註 というのがあった。
元宮内庁記者が日本の皇室の事を書いた本だが、天皇制廃止を短絡的に訴えたものでなく、人間である天皇をはじめとする皇族の超人的多忙さや個人的自由のなさを踏まえて、非人間的な制度自体を考え直してみてはどうかという、提案の内容である。(実はもっと広く深遠な問題意識と傾聴に値する見解が述べられているのだが。)
*註 板垣恭介著 大月書店 2006年刊行
(この本の記事時ジャンプ)
それ以来、「ローマの休日」を見るたびにそのことを思い浮かべる。
○ ○ ○
冒頭近くのシーンで、オードリー演じる“アン王女”が、侍女に翌日の日程を分刻みで確認されるシーンがある。
「何時には何々の式典に参加して、何時にはどこどこで昼食会。」と言われるたびに、応答のメッセージを確認する。
と、王女は「もうこんな事はたくさんだ。」と突然ヒステリーを起こし憤りをあらわにする。
今の日本の皇室の「公務に追われている」姿は同じようなものかと想像してしまう。そして、“アン王女”の姿に“雅子様”や今の皇室の様子がだぶる。
でも、そこから先が映画の世界。
こっそり宿泊先の宮殿を抜け出し夜のローマの街に繰りだす。
運良くグレゴリー・ペッグ演じる新聞記者のジョー・ブラッドリーに《拾われ》、ここから駆け引きと冒険が始まる。
初め、ジョーはこの女性との関わりを拒もうと、何とかタクシーの運転手にあとを任せようとするのだが、結局自分のアパートメントに泊まらせることになる。
美しくしかも上品な女性にもかかわらず、すぐモノにしようと考える《今風の映画の男》やわたしらと違って、実に紳士なのである。
翌日、寝坊して出社し「女王との記者会見を済ませてきた。」と上司とかけあう嘘がばれるまで、昨夜自分のアパートに泊めた女性が“王女”であることに気がつかない。
「王女、突然の病気で会見他すべての公式行事中止!」の他社の新聞記事を示され、初めて王女と悟り、気持ちが逸る。
あやうく"首"になるとろを、またとない特ダネを握っていることをちらつかせ、その場を切り抜け特段のボーナスの約束まで取り付けると、自分のアパートにとって返す。
そのあとは、自分の素性を隠しつつ、仲間のカメラマン、アービングを巻き込み、いろいろな騒動を起こしながら、特ダネ記事に添える写真を撮りまくる。
その間のジョーと事情を知らないアービングとの駆け引きの、面白く巧みな脚本だこと。
アン王女と一行の辿る道筋はそのままローマの名所旧跡の市内観光である。
7年前に初めて行った海外旅行でローマを訪れた時の、「トレビの泉」やら「フォロ・ロマーナ」、「コロッセオ」、そして「スペイン広場」と夕暮れの「サンタンジェロ城」を、『ああ、ここなんだ!』と、わくわくしながら回ったのを思い出す。
翌日、自由行動の日を利用してホテルから徒歩で、王女らが滞在したという「~宮殿」も外から眺め、最後の記者会見の(ロケが)行われた「コロンナ宮殿」!)も訪れたが、《何と土曜の午前しか公開していない》のでは短期の滞在では無理というもので、あきらめて場所を確認しただけで終わったのを覚えている。
それらをデジカメとビデオカメラに収めたのだが、最後の観光場所に向かう地下鉄の中で子供の集団に2つともすられてしまった。(しばらくそのことに気付かず、その手口は見事というしかなかった。)
だから今では、ローマの思い出は頭の中に残っている記憶と『ローマの休日』のみである。
話しを戻そう。
アン王女のローマ市内での1日の“自由な”な行動は、自由な人間の幸せそのもののように映る。
理髪店で髪の毛を切り、花屋さんで花をもらい、スペイン広場ではジェラートを買って庶民と同じようになめる。
こんな何でもない、普通の市民がいつもしていることに自由と幸せを感じる王女が、ジョーは(観る人、一般も)愛おしくなる。
ジョーも板垣恭介と同じように新聞記者である。しかし、ブラッドリーはアン王女に「王女なんかやめて皇室を離れ、ぼくとどこか遠くに-南太平洋の誰にも干渉されない島にでも-逃れて、一緒に生活しよう。」とはけっして言わなかった。
アン王女もそうだ。小さな国が、列強の中で活路を求め、親善外交で乗り切っていくための、王女である自分の役割を充分理解している。
「24時間も空白を作ってしまったことを、どう王様に説明するのか、王女としての自覚と責任を。」と駐在大使に弁明を求められた時に、こう言わしめる。
「自分の家族・国民、祖国に対する責任を感じなかったら、ここには戻ってこなかった。」と。
最後のシーンが泣ける。
場所はあの「コロンナ宮殿」である。
女王が記者達の前に姿を見せる。一同を見わたす視線にブラッドリーとアービングの姿を認める。一瞬戸惑う面持ち。
記者の質問を受ける。
「ヨーロッパとの経済上の連携をどのようにお考えですか。」
「国家民族間の友好関係に関してのお考えを・・。」
「国家間でも信頼です-人のつながりでもお互いの信頼が大切であると信じているように。」
ブラッドリーが飛び込みで発言する。
「・・・私たち記者も、王女の信頼を裏切らないものと信じています。」
一瞬かすかな笑みを浮かべる王女。周りの記者は、誰も知らない。
《もう特ダネも、ボーナスも、掛け金もいらない。ふたりの思いでは、永遠に自分の記憶の中にしまっておくのだ》
「訪問した中で、どの街が最も印象に残りましたか?」
侍従が、模範的な回答を耳打ちする。
「どの街も、それぞれに・・・」
王女はそれを遮り、
「どの街も、・・・ローマ。何と云ってもローマです。私はこの地での思い出を永遠に忘れる事はないでしょう。」
万感の思いで王女を見つめるジョー・ブラッドリー。周囲に気付かれぬよう見返す王女の目にはかすかな涙が。
何度見ても、名作である。
○ ○ ○
今週の土曜日、そのローマに向けて発つ。
「ローマの休日」デジタル・リマスター版-ホームページ
『ローマの休日』の最後のシーン舞台-『コロンナ宮殿』を尋ねる