【2015年10月17日】 TOHOシネマズ二条
ヒトラー暗殺の計画は多数あったことが知られているが、実際に成功した例はない。成功していたらその後の歴史も変わっていたのかもしれないが、この《事件》もその一つで、実際にあった《史実》だそうだ。
ただ、特異なのは《大胆で緻密な計画》でありながら一個人の行為だったということだ。それと、まだナチスの独裁制と残虐性、好戦的な態勢が出来上がっていない早い時期に、その本質と危険性を見抜いた上での、行動だったということである。
暗殺という方法が良いか悪いかは置いといて、この映画を見て思ったのは、《ナチスという残虐な体質を持った政党がいかにに民衆の中に広がっていったか》という謎が、なにか解るように描かれているということである。
スイス国境近くの静かな田舎町は、都会の喧騒から離れ、つつましやかであっても平和な暮らしがあるように見える。そこに、民衆の不満を巧みに操るナチスが勢力を広げ、その村にも勢力を広げてくる。
それまでは村人が和気あいあいと歌い踊っていた空間の雰囲気が変わってくる。ユダヤ人と共産党を標的に民衆の間に溝を作る。何も知らない子供たちも《自分らの仲間》に取り込む。
そして実際に共産党員に弾圧を加えてくる。ユダヤ人も捉えられて収容所に送られているという噂も広まる。
共産党員でもなく積極的な支持政党も持たない田舎の一青年がヒトラーの危険な本質を見抜いて行動に出たのだ、たった一人で。
ナチスやヒトラーの残虐な映画を見るたびに、いつも思うもは、【どうしてナチスの残虐な行為を止められなかったのか】、【ヒトラーのような独裁者の登場を許したのか】ということである。
最近の日本を見ると、似たような気持になるが、一つには《その本質を知ってか》あるいは《知らぬまま》に《独裁者》を支持していると思われる人々が一定いるということである。
しかし、もっと情けないのは『今の自民党とその閣僚候補たち』である。《何を思って》自分を律しているのだろうか?
『ヒトラー暗殺、13分の誤算』-公式サイト