【2008年8月7日】 浜大津
京都の東山から満員の京阪電車京津線にゆられて約30分、終点の浜大津駅に到着し、流れに押し出されてホームから改札口への階段を上がる。7時半から始まる花火大会の1時間半も前というのに、会場はもう人でいっぱいである。
浜大津港への階段を下りた左手の広場の草地に、ようやく2人分の隙間を見つけ敷物をひき場所を確保する。有料観覧席もあるが、わいわい言いながら場所取りをする無料の草地で充分だ。
おにぎりをほおばり缶ビールを空け、時間を待つ。
ようやくあたりが暗くなり始め、人もますます増え、お互いの“敷地"の境界が確保しにくくなったころ、試し打ちのような、最初の一発が上がる。
しばらく間をおいて、いきなり連発で打ち上がり、夜空は大輪の乱舞である。
見上げるような角度で大玉が上がり、大輪が覆いかぶるようにはじけると、周りから拍手と歓声が沸き上がる。
やはり現場は音の迫力が違う。耳で聞くのでなく、腹に響き、体で聴くあの感触は和太鼓を思い切り敲いた時の快感に似ている。
○ ○ ○
この「びわ湖大花火大会」では、一晩で約1万発の花火が打ち上げられたそうな。どれだけの費用がかかって、それを誰が負担しているのかちょっと考えてしまうが、みんなが幸せな気分に浸って「あー、今日は良かった。」と思えれば、それで良いと思う。
“ただ"とは云っても、往復の電車賃は使っているし、帰りの混雑を避けるため、近くの飲み屋で時間稼ぎをするのは自分らだけでは無い。心配しなくても、しっかり、お金は回転しているのだ。
人々の気持ちを幸せにする経済活動はいい。
○ ○ ○
同じ火薬を使う商品でも、爆弾や地雷などの兵器は人間を不幸にするだけだ。
商品である以上、消費してもらわなければ資金が回転せず技術も革新されず、産業として成り立たないのは、花火も爆弾も同じだ。一度買ったものを、何年もため込んで使用されなければ、工場も稼働しない。だから軍需産業は消費先を血眼で探し求める。その結果、紛争地帯では市民を巻き添えに爆弾が炸裂し、地面は地雷で覆い尽くされる。
同じように使われない核兵器は増える一方だ。
大輪を咲かせる打ち上げ花火の音が、爆弾の炸裂音を連想させない平和な世界が地球を覆うのはいつの日になるのか・・・。
○ ○ ○
花火を見ていると、もうひとつ、いつも同じ感傷が押し寄せる。芥川の「舞踏会」である。
もう、あれから2年も経ってしまったか。
京都の東山から満員の京阪電車京津線にゆられて約30分、終点の浜大津駅に到着し、流れに押し出されてホームから改札口への階段を上がる。7時半から始まる花火大会の1時間半も前というのに、会場はもう人でいっぱいである。
浜大津港への階段を下りた左手の広場の草地に、ようやく2人分の隙間を見つけ敷物をひき場所を確保する。有料観覧席もあるが、わいわい言いながら場所取りをする無料の草地で充分だ。
おにぎりをほおばり缶ビールを空け、時間を待つ。
ようやくあたりが暗くなり始め、人もますます増え、お互いの“敷地"の境界が確保しにくくなったころ、試し打ちのような、最初の一発が上がる。
しばらく間をおいて、いきなり連発で打ち上がり、夜空は大輪の乱舞である。
見上げるような角度で大玉が上がり、大輪が覆いかぶるようにはじけると、周りから拍手と歓声が沸き上がる。
やはり現場は音の迫力が違う。耳で聞くのでなく、腹に響き、体で聴くあの感触は和太鼓を思い切り敲いた時の快感に似ている。
○ ○ ○
この「びわ湖大花火大会」では、一晩で約1万発の花火が打ち上げられたそうな。どれだけの費用がかかって、それを誰が負担しているのかちょっと考えてしまうが、みんなが幸せな気分に浸って「あー、今日は良かった。」と思えれば、それで良いと思う。
“ただ"とは云っても、往復の電車賃は使っているし、帰りの混雑を避けるため、近くの飲み屋で時間稼ぎをするのは自分らだけでは無い。心配しなくても、しっかり、お金は回転しているのだ。
人々の気持ちを幸せにする経済活動はいい。
○ ○ ○
同じ火薬を使う商品でも、爆弾や地雷などの兵器は人間を不幸にするだけだ。
商品である以上、消費してもらわなければ資金が回転せず技術も革新されず、産業として成り立たないのは、花火も爆弾も同じだ。一度買ったものを、何年もため込んで使用されなければ、工場も稼働しない。だから軍需産業は消費先を血眼で探し求める。その結果、紛争地帯では市民を巻き添えに爆弾が炸裂し、地面は地雷で覆い尽くされる。
同じように使われない核兵器は増える一方だ。
大輪を咲かせる打ち上げ花火の音が、爆弾の炸裂音を連想させない平和な世界が地球を覆うのはいつの日になるのか・・・。
○ ○ ○
花火を見ていると、もうひとつ、いつも同じ感傷が押し寄せる。芥川の「舞踏会」である。
もう、あれから2年も経ってしまったか。
夏の風物詩は、賑やかで楽しい。でも、祭りのあとはいつも淋しい。
人はひとりで生まれ、ひとりで旅立っていくものだから、力の限り輝き、瞬く間に消えてゆく花火のように儚い。
リチャード・ギアの「最後の初恋」のように、二度と会えなくなってしまうのは世の中によくあることで、一期一会なのですね。
今年も様々な人を見送って、夏が逝きます。
青木新門さんの「納棺夫日記」の一節が、心に残ります。
「死に直面した人の前では~
きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が側にいるだけでいい。」
「袖すり合うも他生の縁」ならば、「またの世までは忘れ居給へ」