佐渡ネタばかりでごめんなさい。
最近ようやく読み終わった本、それが宮本常一という「偉人」の本でした。
ひたすら日本中の過疎地を「足」のみで歩き、古老の話を聞き書きした民俗学の大家、(とでも言えばいいのかな?)宮本常一。
佐渡にも50数回訪れ、おけさ柿を地域ブランドとして確立するためのアドバイスをしてくれたり、
鬼太鼓座(鼓童の前身)の設立なんかに力を尽くしてくれた人です。
誤解をおそれずにいえば、
佐渡人でもないのに、これだけの偉業を佐渡でなしてくれた人なわけです。
それなのに、島内では宮本常一という名前はさほど有名ではないのが不思議。
以前、島外の友人が「おけさ柿って宮本常一っていう人が有名にしたんでしょ?」
という知的な会話(?)をしてくれた時、「え?知らない」という一言で終止符を打ってしまった私。反省・・・。
今年が生誕100周年ということで、色々なところで彼からみの本が発行されているようです。
この本もそのひとつ。
読んでみようと思ったのも、佐渡と彼との絡みが知りたかったから。
でも、読んで一番興味深かったのは、宮本常一の父親が、
旅たつ宮本に送った手紙の内容。
親のスケールのでかさがわかる手紙です。
「金というものはもうけるのはそんなに難しくない。
しかし使うのが難しい。それだけは忘れぬように。
私はおまえを思うように勉強させてやることができない。
だからおまえには何も注文しない。
すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。
30歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし30すぎたら親のあることを思い出せ。
ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里に戻って来い、親はいつでも待っている。
これから先は子が親に孝行する時代ではない。
親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。」
ぐっと胸にせまってきました。
かっこいいなあ。(かっこよくない感想だが)
(一応)聞き書きを仕事をしている人間として、大いに参考になりました。
最近ようやく読み終わった本、それが宮本常一という「偉人」の本でした。
ひたすら日本中の過疎地を「足」のみで歩き、古老の話を聞き書きした民俗学の大家、(とでも言えばいいのかな?)宮本常一。
佐渡にも50数回訪れ、おけさ柿を地域ブランドとして確立するためのアドバイスをしてくれたり、
鬼太鼓座(鼓童の前身)の設立なんかに力を尽くしてくれた人です。
誤解をおそれずにいえば、
佐渡人でもないのに、これだけの偉業を佐渡でなしてくれた人なわけです。
それなのに、島内では宮本常一という名前はさほど有名ではないのが不思議。
以前、島外の友人が「おけさ柿って宮本常一っていう人が有名にしたんでしょ?」
という知的な会話(?)をしてくれた時、「え?知らない」という一言で終止符を打ってしまった私。反省・・・。
今年が生誕100周年ということで、色々なところで彼からみの本が発行されているようです。
この本もそのひとつ。
読んでみようと思ったのも、佐渡と彼との絡みが知りたかったから。
でも、読んで一番興味深かったのは、宮本常一の父親が、
旅たつ宮本に送った手紙の内容。
親のスケールのでかさがわかる手紙です。
「金というものはもうけるのはそんなに難しくない。
しかし使うのが難しい。それだけは忘れぬように。
私はおまえを思うように勉強させてやることができない。
だからおまえには何も注文しない。
すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。
30歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし30すぎたら親のあることを思い出せ。
ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里に戻って来い、親はいつでも待っている。
これから先は子が親に孝行する時代ではない。
親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。」
ぐっと胸にせまってきました。
かっこいいなあ。(かっこよくない感想だが)
(一応)聞き書きを仕事をしている人間として、大いに参考になりました。
ご両親の、そして、村に住む人たちの、日本人の心持ちの偉大さに、感服の思いです。
ブログみさせて頂いて、佐渡に行ってみたくなりました。
著作よりも著者を先に知ってしまいましたが、きっと素晴らしい文章なのだろうなあ、と想像します。
宮本常一と触れ合った佐渡の方でご存命の方もおられる、と聞きました。どんなことを話したんだろうと興味深いです。