はるか昔の住民投票の記事。
当時は大学生。
裏にはドコモのポケベルの一面広告。若い織田裕二。時代がみえる(笑)
当時はまだ原発のことも、住民投票のことも1ミリも知らなかった。
そういう意味では、いろいろ平和だった。
なぜこれをとっておこうと思ったのか、うまく思い出せない。
たぶん、自分なりに問題意識はあったんだろうとは思うけれども、
読んだ記憶も遠い。
今、改めて読み返すと、記者さんの想いも強いであろう記事であることがうかがえる。
以下新聞記事抜粋デス。
5月晴れの日曜日。
山あいの空き家で女性達が談笑していた。
「山の中は暮らしにくい」と愛知に越したものの、今でも時々、親類と誘い合わせて
景色を眺めに来るのだという。
「処理場ができれば、この谷はあの高さまで埋め立てられてしまうんですわ」。
アザミの野を取り巻く尾根を見上げて、今井さんは急に寡黙になった。
岐阜県御嵩(みたけ)町。
東洋一といわれる管理型の産廃処理場が計画された小和沢地区は一部、
飛騨木曽川国定公園にかかっている。
地区の北側直下には木曽川が流れる。
釣り橋を渡った対岸から小和沢と木曽川を見すえ、
「何かあれば下流に影響必須なのは、一目瞭然でしょう」と今井さんは言った。
町では処理場建設の是非を問う住民投票を一ヶ月後に控え、町民間の亀裂、
県と反対派町民の対抗構図がより鮮明化していた。
県が産廃処理業者の計画を引き取って、第三セクターとして事業に関わる調整試案を
打ち出したからだ。
「許可権者で行司役の県が土俵に上がり、雰囲気が様変わりした」と
「住民投票を成功させる会」の田中保会長は語った。
同会は建設凍結を掲げる柳川喜郎町長が昨秋襲撃された事件に衝撃を受け
「暴力を許さず、ガラス張りの参加町政を実現するには、住民の声を表すしかない」と
運動してきたが、県の試案を受けて
「小和沢産廃に反対する町民の会」と改称した。
一方、建設推進派「明るいみたけをきずく会」は県の試案を説明する夜の小集会を
開き始めた。
町議でもある処理業者の社員が世話する地区集会をのぞいた。
集まった30人弱を前に、県廃棄物対策課長が、
「県がすべての面で責任を負い、安全性を確保します」と説き、県職員が帰った後、
町議が地区の下水や道路整備について説明。
「これは起債事業で県の許可が必要です。
許可は町の財政状態を判断して下されます」
処理場建設を受け入れた前町長と業者との協定書で、15年間で35億円が
町に寄付されることになっていた。
翌日、町役場に柳川町長を訪ねた。
「産廃問題は御嵩町の問題。
県の試案は法(のり)を超えているのではないか。
県と市町村は地方自治の上で対等のはずだ」。
まだリハビリ中の町長は、淡々と語った。
「小和沢に白羽の矢が立ったのは、埋め立てがしやすい地形を考えた業者の論理。
総合的な適地調査の結果ではない。
あそこには活断層もある。
なぜ業者の計画を引き継ぐのか」。
そうした疑問を県にただす説明会を開いた上で、町民の判断を仰ぎたいという。
産廃反対派の会議。
環境汚染を心配する木曽川下流の住民の応援を求めようという声に
「よそ者が来ると、町民の反感を呼ぶ」という意見が衝突し、議論が空転する。
「論議がまだまだ続く。
そうした中、これは地方自治の問題でもあると考える人たちが、着実に増えています。
そのことの意味を受け止めたい」
今井さんはそう話していた。
葛藤の中、自ら考え始めた住民
「大半の有権者は真実を見極める力を持っており、衆愚政治には陥らない。
私は町民を信じています」
柳川町長のこの信頼に町民がこたえるためにはまず勉強。
つまり「産業廃棄物」とは何なのか、
町内に建設が計画されてきた「処理施設」とはどういうものなのかを有権者がよく
学ばないと、案件を知性的に認識することができません。
もう一つ。
多くの町民は、自分の意思を明らかにすることによって経済的不利益が
生じたり、柳川さんのように暴力を被る恐れがあると感じています。
でも、だからといって己の良心をすててはだめ。
強い信念と勇気を持ってもらいたい。
大根を洗っていた野良着姿のおばあさんが
「ダイオキシン」「リサイクル処理」といった専門用語を使って
自分の考えをとうとうと話してくれました。
また、年配のある商店主は
「僕もいろいろ悩んだけど、腹を決めて看板を立てることにした」
と顔を紅潮させていました。
御嵩町民はいま、大いに葛藤しています。
今度の住民投票で本当に問われているのは、有権者自身の価値観や人生観。
6月22日、人々はこれをかけて投票用紙に向かいます。
結果はコチラ
産廃への反対は実に住民の8割だったという事実は、胸に重い。
住民のほとんどが産廃に反対であるにも関わらず、
行政という名の意思は、どんどん住民との意図とは違う方向へと
歩いていくものなのだなあ。
それも、ひとつの事実と、とらえて、
それでもなお、前をむく強い勇気、
言ってみれば、そんなものが、弱い自分にほしい。
当時は大学生。
裏にはドコモのポケベルの一面広告。若い織田裕二。時代がみえる(笑)
当時はまだ原発のことも、住民投票のことも1ミリも知らなかった。
そういう意味では、いろいろ平和だった。
なぜこれをとっておこうと思ったのか、うまく思い出せない。
たぶん、自分なりに問題意識はあったんだろうとは思うけれども、
読んだ記憶も遠い。
今、改めて読み返すと、記者さんの想いも強いであろう記事であることがうかがえる。
以下新聞記事抜粋デス。
5月晴れの日曜日。
山あいの空き家で女性達が談笑していた。
「山の中は暮らしにくい」と愛知に越したものの、今でも時々、親類と誘い合わせて
景色を眺めに来るのだという。
「処理場ができれば、この谷はあの高さまで埋め立てられてしまうんですわ」。
アザミの野を取り巻く尾根を見上げて、今井さんは急に寡黙になった。
岐阜県御嵩(みたけ)町。
東洋一といわれる管理型の産廃処理場が計画された小和沢地区は一部、
飛騨木曽川国定公園にかかっている。
地区の北側直下には木曽川が流れる。
釣り橋を渡った対岸から小和沢と木曽川を見すえ、
「何かあれば下流に影響必須なのは、一目瞭然でしょう」と今井さんは言った。
町では処理場建設の是非を問う住民投票を一ヶ月後に控え、町民間の亀裂、
県と反対派町民の対抗構図がより鮮明化していた。
県が産廃処理業者の計画を引き取って、第三セクターとして事業に関わる調整試案を
打ち出したからだ。
「許可権者で行司役の県が土俵に上がり、雰囲気が様変わりした」と
「住民投票を成功させる会」の田中保会長は語った。
同会は建設凍結を掲げる柳川喜郎町長が昨秋襲撃された事件に衝撃を受け
「暴力を許さず、ガラス張りの参加町政を実現するには、住民の声を表すしかない」と
運動してきたが、県の試案を受けて
「小和沢産廃に反対する町民の会」と改称した。
一方、建設推進派「明るいみたけをきずく会」は県の試案を説明する夜の小集会を
開き始めた。
町議でもある処理業者の社員が世話する地区集会をのぞいた。
集まった30人弱を前に、県廃棄物対策課長が、
「県がすべての面で責任を負い、安全性を確保します」と説き、県職員が帰った後、
町議が地区の下水や道路整備について説明。
「これは起債事業で県の許可が必要です。
許可は町の財政状態を判断して下されます」
処理場建設を受け入れた前町長と業者との協定書で、15年間で35億円が
町に寄付されることになっていた。
翌日、町役場に柳川町長を訪ねた。
「産廃問題は御嵩町の問題。
県の試案は法(のり)を超えているのではないか。
県と市町村は地方自治の上で対等のはずだ」。
まだリハビリ中の町長は、淡々と語った。
「小和沢に白羽の矢が立ったのは、埋め立てがしやすい地形を考えた業者の論理。
総合的な適地調査の結果ではない。
あそこには活断層もある。
なぜ業者の計画を引き継ぐのか」。
そうした疑問を県にただす説明会を開いた上で、町民の判断を仰ぎたいという。
産廃反対派の会議。
環境汚染を心配する木曽川下流の住民の応援を求めようという声に
「よそ者が来ると、町民の反感を呼ぶ」という意見が衝突し、議論が空転する。
「論議がまだまだ続く。
そうした中、これは地方自治の問題でもあると考える人たちが、着実に増えています。
そのことの意味を受け止めたい」
今井さんはそう話していた。
葛藤の中、自ら考え始めた住民
「大半の有権者は真実を見極める力を持っており、衆愚政治には陥らない。
私は町民を信じています」
柳川町長のこの信頼に町民がこたえるためにはまず勉強。
つまり「産業廃棄物」とは何なのか、
町内に建設が計画されてきた「処理施設」とはどういうものなのかを有権者がよく
学ばないと、案件を知性的に認識することができません。
もう一つ。
多くの町民は、自分の意思を明らかにすることによって経済的不利益が
生じたり、柳川さんのように暴力を被る恐れがあると感じています。
でも、だからといって己の良心をすててはだめ。
強い信念と勇気を持ってもらいたい。
大根を洗っていた野良着姿のおばあさんが
「ダイオキシン」「リサイクル処理」といった専門用語を使って
自分の考えをとうとうと話してくれました。
また、年配のある商店主は
「僕もいろいろ悩んだけど、腹を決めて看板を立てることにした」
と顔を紅潮させていました。
御嵩町民はいま、大いに葛藤しています。
今度の住民投票で本当に問われているのは、有権者自身の価値観や人生観。
6月22日、人々はこれをかけて投票用紙に向かいます。
結果はコチラ
産廃への反対は実に住民の8割だったという事実は、胸に重い。
住民のほとんどが産廃に反対であるにも関わらず、
行政という名の意思は、どんどん住民との意図とは違う方向へと
歩いていくものなのだなあ。
それも、ひとつの事実と、とらえて、
それでもなお、前をむく強い勇気、
言ってみれば、そんなものが、弱い自分にほしい。
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