先日の松ヶ崎のお祭りの時に、町を歩かせていただき、その町並みに
強く心をうたれました。
背景には海。まんまポストカードになりそうな美しさです。
わずかな石垣があるだけの畑です。息子の身長でも畑の様子が見えます。
車道のすぐ横に立派に管理されているネギと菜っ葉の畑があります。
ところ狭しと野菜と道具が見えますが、雑然としていません。
使われている道具達がいきいきとしています。
さて心をひかれまくったポイント、どこかおわかりでしょうか?
そう、どのお宅にも実に実に!管理の行き届いた畑があるのです。
非常に感銘を受けました。
これが山の中腹の中にある集落だったら、
きっと、こんなには感銘は受けなかったと思います。
かつての考え方の中に、
その土地に暮らす時、「住む」土地だけでなく、
「食べる」ものを自給する土地も確保しておくものだった、
という考えがあったのではないかな、と勝手に解釈しております。
別の言い方をするならば、
食べ物は、たとえ「町場」であっても、買うものではなく、自給するもの
というような感覚。
これは、もしかしたら、一昔前ならば普通の感覚だったのかもしれません。
でも、私みたいな世代の人間には、むしろ「新鮮」です。
あるいは、ありえない感覚です。
「町の中に住むために、住居の土地と一緒に、食べ物を自給する土地も一緒に確保する」
なんて考え方は、おそらく、非効率とされる考え方でしょう。
私には、こちらの考え方のほうがリアルです。
廻船業で栄えた町ならば、現金も沢山入ったことでしょう。
松ヶ崎のおばあさんに、
「この町の人は皆、家の前で自給できるだけの野菜を作っておられるようですが、
お米もどこかで作っておられるのですか?」
すると、目の前の小高い山を指差して、
「昔はあの山の向こう側に田んぼがあった。そこまで通うておった」と。
今はしていないけれども、とも言いつつも、
そこまで皆、「自給」していたことには驚きました。
野菜もあって米もある、目の前には海がある。
廻船業はおまけみたいなもので(笑)
町場なのに、ここには田舎にあるような「豊かさ」すら匂わせます。
キューバという国では、
かつてアメリカによってソ連との貿易をたたれたために、食料難に陥りかけ、
国は、町という町の、ある限りの「土地」、
例えば、公園という公園、花壇という花壇の全てを「畑」にすることで、
完全100%自給国として立ち直ることができたのだそうです。
その国に憧れ、
友人はかの国へ留学しました。
でも、実はこんなにすぐ近くにも同じようなことを、
ずっと昔からしている町がありました。
佐渡はやっぱりいいトコじゃないかと、こういう風景を見ると思います。
最後にもう1ショット。
雨どいから流れた雨水を釜でうけとめ、それを植物にあげていらっしゃる様子です。
ああ、いいなあ~と思いましたよ、ホント。
トップ画像なんて、写真だけみるとまるで異国の地のように思えちゃったりしましたよ。
佐渡人の長寿の秘訣は畑仕事にもあると思います。
我が家の畑もぼちぼちはじまっています。今日も「ご苦労!」の1クリックをお願いいたします↓
強く心をうたれました。
背景には海。まんまポストカードになりそうな美しさです。
わずかな石垣があるだけの畑です。息子の身長でも畑の様子が見えます。
車道のすぐ横に立派に管理されているネギと菜っ葉の畑があります。
ところ狭しと野菜と道具が見えますが、雑然としていません。
使われている道具達がいきいきとしています。
さて心をひかれまくったポイント、どこかおわかりでしょうか?
そう、どのお宅にも実に実に!管理の行き届いた畑があるのです。
非常に感銘を受けました。
これが山の中腹の中にある集落だったら、
きっと、こんなには感銘は受けなかったと思います。
かつての考え方の中に、
その土地に暮らす時、「住む」土地だけでなく、
「食べる」ものを自給する土地も確保しておくものだった、
という考えがあったのではないかな、と勝手に解釈しております。
別の言い方をするならば、
食べ物は、たとえ「町場」であっても、買うものではなく、自給するもの
というような感覚。
これは、もしかしたら、一昔前ならば普通の感覚だったのかもしれません。
でも、私みたいな世代の人間には、むしろ「新鮮」です。
あるいは、ありえない感覚です。
「町の中に住むために、住居の土地と一緒に、食べ物を自給する土地も一緒に確保する」
なんて考え方は、おそらく、非効率とされる考え方でしょう。
私には、こちらの考え方のほうがリアルです。
廻船業で栄えた町ならば、現金も沢山入ったことでしょう。
松ヶ崎のおばあさんに、
「この町の人は皆、家の前で自給できるだけの野菜を作っておられるようですが、
お米もどこかで作っておられるのですか?」
すると、目の前の小高い山を指差して、
「昔はあの山の向こう側に田んぼがあった。そこまで通うておった」と。
今はしていないけれども、とも言いつつも、
そこまで皆、「自給」していたことには驚きました。
野菜もあって米もある、目の前には海がある。
廻船業はおまけみたいなもので(笑)
町場なのに、ここには田舎にあるような「豊かさ」すら匂わせます。
キューバという国では、
かつてアメリカによってソ連との貿易をたたれたために、食料難に陥りかけ、
国は、町という町の、ある限りの「土地」、
例えば、公園という公園、花壇という花壇の全てを「畑」にすることで、
完全100%自給国として立ち直ることができたのだそうです。
その国に憧れ、
友人はかの国へ留学しました。
でも、実はこんなにすぐ近くにも同じようなことを、
ずっと昔からしている町がありました。
佐渡はやっぱりいいトコじゃないかと、こういう風景を見ると思います。
最後にもう1ショット。
雨どいから流れた雨水を釜でうけとめ、それを植物にあげていらっしゃる様子です。
ああ、いいなあ~と思いましたよ、ホント。
トップ画像なんて、写真だけみるとまるで異国の地のように思えちゃったりしましたよ。
佐渡人の長寿の秘訣は畑仕事にもあると思います。
我が家の畑もぼちぼちはじまっています。今日も「ご苦労!」の1クリックをお願いいたします↓
佐渡は何度か行ったことがあります。
赤泊のお祭りでお腹いっぱいご馳走をいただいたり
澄んだ海で、キャンプをした
初めて天の川をはっきり見たのも佐渡の夏空でした。
日々の生活となると、たいへんなこともたくさんあると思いますが、
その分、足元がしっかりされていますよね。
最後の写真のお釜、いいですね。
私もできるかな。
また訪れたいです。
そしてお褒めの言葉もありがとうございます。
最後のお釜はおそらく、使われなくなったお釜を使われたのでしょうね。こういう精神も心にしみました。