「売り物を包む梱包材は少なければ少ないほどいい」
私のささやかな持論です。
だから、こんな商品が、たまらなく好きです。
大きな袋に、かつお節が どかっと入っている「だけ」の豪快なパッケージ。
大手スーパーの自社オリジナル商品なんかではよく見かけます。
ダイエーや西友、無印もこういうシンプルなパッケージを採用してますよね。
「湿気ようが量が多かろうが、かまわねえよ」と江戸っ子口調が
聞こえそうな、こちらは Aコープオリジナル商品の「花かつお」。
小麦粉も片栗粉も、一度封をあけたら、何かひとつ工夫しないと
中身がもれてしまいそうな、そんな不便なパッケージが好きなのです。
でも、商品が1枚の袋に入っている「だけ」のシンプルパッケージは
スーパーのオリジナル商品以外では、最近少なくなってきているようでとても残念です。
「使いやすく小分けパックにしました」という5連の個包装かつお節や、
「職場の皆さんでわけやすいように、個包装にしました」というクッキーや
「いつまでも新鮮です」と書かれている10枚チョコレートを見ると
「過保護すぎる親」を連想させるものがあり、「子どもの行く末」を案じてしまいます。
でも、個包装を求める声が多いのは、悲しいかな、偽りなき現実なのです。
都会の自然食会社に勤めていたとき、
お客さんからの要望には
「小さなこどもがいるので、公園に連れて行き食べさせる時に便利なので、
クッキーを個包装にしてくれると助かります」
「職場で飲みたいので、紅茶をリーフでなく、ティーバッグにしてください」
というような個包装要望が、毎月、要望の中でトップでした。
「エコなのはわかるけれど…」
これも、お決まりのフレーズでした。
エコなのはわかるけれど「消費者の要望も取り入れないといけないよ」
エコなのはわかるけれど「不便なら変えないといけないよ」
というところでしょうか。
「小さなタッパーにクッキー入れて持っていくのは、やっぱり面倒なのかな…?」
「紅茶を別売りのお茶だし袋に自分で入れて、職場に持っていくっていうのはやっぱり
面倒なのかなあ…??」
「不便」。
本当に不便なのでしょうか、個包装でない商品は。
本当に企業側が努力しないといけないくらいに不便なのでしょうか?
不便と感じてしまうから、きっと声をだされているんですよね。
沢山の声を聞いてなお、思い続けていることがあります。
今の日本人の生活スタイル、もう少し「我慢」するべきなんじゃないかなあ、と。
「苦しい、苦しい」という病気を我慢するようなものでなく、
ほんのちょっとの不便さを共有する、それだけの我慢でもいいと思うのです。
個包装を求める声の多さは、
切り傷ひとつで手術を求めるものと同じもののような気がしてしまう。
商品をひとつ個包装にするということは、製造ラインを変えること=
膨大なコストがかかる。
本当にこんなにコスト、かけていいのかしら?
極限まで贅沢になった、今の日本人の生活スタイルが「普通」になってしまう
ことは、さらなる「贅沢さ」を求めるステップに思えてきてしまう。
「環境問題(ここではあえて、グローバルにとらえちゃいますが)を解決したい」と、
日本人の80%は思っているそうです。
だけども、実際に環境問題を考えて商品を購入している人は
人口の中の1%なのだといいます。
1%しかいないその理由は、企業でしょうか?それとも消費者でしょうか?
私のささやかな持論です。
だから、こんな商品が、たまらなく好きです。
大きな袋に、かつお節が どかっと入っている「だけ」の豪快なパッケージ。
大手スーパーの自社オリジナル商品なんかではよく見かけます。
ダイエーや西友、無印もこういうシンプルなパッケージを採用してますよね。
「湿気ようが量が多かろうが、かまわねえよ」と江戸っ子口調が
聞こえそうな、こちらは Aコープオリジナル商品の「花かつお」。
小麦粉も片栗粉も、一度封をあけたら、何かひとつ工夫しないと
中身がもれてしまいそうな、そんな不便なパッケージが好きなのです。
でも、商品が1枚の袋に入っている「だけ」のシンプルパッケージは
スーパーのオリジナル商品以外では、最近少なくなってきているようでとても残念です。
「使いやすく小分けパックにしました」という5連の個包装かつお節や、
「職場の皆さんでわけやすいように、個包装にしました」というクッキーや
「いつまでも新鮮です」と書かれている10枚チョコレートを見ると
「過保護すぎる親」を連想させるものがあり、「子どもの行く末」を案じてしまいます。
でも、個包装を求める声が多いのは、悲しいかな、偽りなき現実なのです。
都会の自然食会社に勤めていたとき、
お客さんからの要望には
「小さなこどもがいるので、公園に連れて行き食べさせる時に便利なので、
クッキーを個包装にしてくれると助かります」
「職場で飲みたいので、紅茶をリーフでなく、ティーバッグにしてください」
というような個包装要望が、毎月、要望の中でトップでした。
「エコなのはわかるけれど…」
これも、お決まりのフレーズでした。
エコなのはわかるけれど「消費者の要望も取り入れないといけないよ」
エコなのはわかるけれど「不便なら変えないといけないよ」
というところでしょうか。
「小さなタッパーにクッキー入れて持っていくのは、やっぱり面倒なのかな…?」
「紅茶を別売りのお茶だし袋に自分で入れて、職場に持っていくっていうのはやっぱり
面倒なのかなあ…??」
「不便」。
本当に不便なのでしょうか、個包装でない商品は。
本当に企業側が努力しないといけないくらいに不便なのでしょうか?
不便と感じてしまうから、きっと声をだされているんですよね。
沢山の声を聞いてなお、思い続けていることがあります。
今の日本人の生活スタイル、もう少し「我慢」するべきなんじゃないかなあ、と。
「苦しい、苦しい」という病気を我慢するようなものでなく、
ほんのちょっとの不便さを共有する、それだけの我慢でもいいと思うのです。
個包装を求める声の多さは、
切り傷ひとつで手術を求めるものと同じもののような気がしてしまう。
商品をひとつ個包装にするということは、製造ラインを変えること=
膨大なコストがかかる。
本当にこんなにコスト、かけていいのかしら?
極限まで贅沢になった、今の日本人の生活スタイルが「普通」になってしまう
ことは、さらなる「贅沢さ」を求めるステップに思えてきてしまう。
「環境問題(ここではあえて、グローバルにとらえちゃいますが)を解決したい」と、
日本人の80%は思っているそうです。
だけども、実際に環境問題を考えて商品を購入している人は
人口の中の1%なのだといいます。
1%しかいないその理由は、企業でしょうか?それとも消費者でしょうか?
書いた後で「強すぎたかな、批判的すぎたかな」と
ちょっと後悔したのです。
実は、小心者です。はい。
ちなみに佐渡は、こういうプラスチックものも「燃えるゴミ」なんです。最初はかなりとまどいました。
だからゴミ、減らしたいなあ、っていうのもあります。
そういえば、私もなにげなく個別パッケージのものを買っていたなぁと気付きました。実際、燃えないゴミが燃えるゴミより増えていたし!
今は何でも便利になりすぎているような感じがします。やはり消費者が気がつかなければいけないと思いましたよ~。