目指せ!ゼロウエイストな暮らし

モノを減らして、ゼロウエイスト。田舎でイラスト描いて暮らしています。

銃とジョウロ

2010年11月02日 | 育児日記<4コマ>
「雨よ降れ降れ~、ざあざあじょうろ~♪」

と息子は歌いました。(3コマ目)

NHKの「おかあさんといっしょ」の人形劇ででてくる
雨を降らすことのできる子鬼キャラクター・スイリンが
道具のジョウロを持ちながら、唱える「じゅもん」です。



銃をジョウロと見なして、遊ぶことができるなんて、


なんて素晴らしい国で過ごしているんだろうな!息子よ!

しかし、やはりおもちゃとはいえ、「銃」で遊ぶことは
避けたいと思いました。


幼い子どもが戦争で、銃を持ち、人を殺める

世界には、そんな哀しい現実もあります。
そんな事実をあざ笑うようなものだと思うんですよね、こういう遊びって。


子ども兵が、存在する国は、世界約70カ国。
アジア、アフリカ、中東、中南米などの36の紛争地域で、
武器を持って戦っている子ども兵の数は30万以上と推定されている。

第二次世界大戦以後、最近の紛争では子ども達が武器を持ち、
最前線で戦うようになった。
何故なら、小さくて、軽く、操作の簡単な小型武器が登場したからだ。

毎年50万人、1分で1人の命が小型武器によって失われている。
「ぼくは13歳、職業兵士」より。


はいは~い、読み流してくださいね~。



しかし銃のおもちゃ、改めて見回してみるととても沢山ありますね~、
びっくりです。

こういうおもちゃを、おもちゃとして遊ばせることに大人が無頓着なこと、
好ましくないセリフかもしれませんが「平和ボケしているなあ」と感じます。


「銃」が人を殺める道具であることを、「おもちゃ」で教えてどうするのでしょう。
ナンセンスとびこえて、有害です。


おもちゃ会社さんも、お金を稼ぐためとはいえ、
「子ども」に売っていいのかしら、こういうおもちゃを、と考えざるを得ません。


…いや、何も見ずに批判はいけないよね、と
この「銃」を使う原作であるヒーローモノのテレビ番組を見てみました。

…。唖然…。言葉を失いましたね…。

なんというか、こんなんでいいんですか?
完全に「善と悪の2極化」。
気に入らないもの(悪)は、殴る蹴るで始末しちゃう。
しかも優美にかっこよく。

女の子ですら、殴る蹴るで「悪」を倒していますね。
なんか、恐ろしくなってしまいました。
暴力を全部否定する気はないですが、安易すぎますね。

日本文化って、「悪」にも人格を認めていて、
「悪」になってしまった相応の理由を含め「許す」文化があったように思うのですが。


どこかで軌道修正してほしいですね。






変身モノって、女の子チックな夢があったと思うんですよね。
ほら、「クリーミーマミ」とか「ミンキーモモ」とかさあ、
とダンナにぼやく、30代のぐちぐち母に、1クリックを↓





コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山のトンカツ「アケビの肉詰め」 | トップ | 青トマトで保存食 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (maroへ)
2010-11-10 22:34:28
コメントありがとう。
とても真剣に考えてくれていることが文面からにじみでていて嬉しいです。
私自身、深くこのことを考えたというより、とっさに、という感じなので、例えば銃のおもちゃを撲滅させようとかいうような感じではないです。
(でもさすがに包丁のおもちゃで人を傷つけるまねみたいな遊びをしていたら、ヤバイと思うかも。
リアルさを感じられるか否か、だと思います)

無意識になるか意識的になるかは、確かに言うとおりのことかもしれないです。
そういう意味では非常に毎日ビシバシ考えるようなところに身をおいているように思います。

メールアドレスは変わっていないですか?
また話しましょう。
返信する
Unknown (あきちゃんへ)
2010-11-09 10:13:16
コメントありがとう。そうなんだ~、お友達が共著だったんだ~。すごい問題に取り組んでいるね。
この記事は、国際NGO「NICE」(ナイス)という団体さんの広報誌に載っていました。
今まで全く知らないでいた事実だったので、切り取ってとっておいたんです。問題を解決するためにないかするというような直接な行動をとっているわけではないけれど、知っておくことはするべきだろう、と思っています。お友達に敬意を表したいです。
返信する
Unknown (maro)
2010-11-06 08:10:51
うちは戦隊もののテレビ番組こそ見せてもらえませんでしたが、思い返せば、父親の持ってたモデルガンとか、実家の雑貨屋に置いてあった銃のおもちゃとかで遊んでいたこともありました。

そして、わたしも、アリを踏んづけて遊んでいました。子どものころ。
たぶん、珍しくないことだと思います。

でも、後になって、そこから学んだことというのは、命の尊さというよりも、自分の中に生き物をつぶすことを楽しむという感覚があった(そして今もおそらくどこかに収納されている)ということと、そういう自分の感覚を、怖いと認識したということです。

自分は、大なり小なり実際に生きている存在を殺すことの出来る者なんだけど、今は無意識に殺さないことを選択して生きているにすぎません。というより、その選択に苦しまなくてよい平和の中に生きているにすぎないです。いかなる状況におかれても、その選択を貫徹できるほど自分が強い人間だとも言い切れない。だから平和なときに何を考えて、どう生きているかが大切なんだ(と昔思っていたことを思い出しました)。

それに、もともと人間だって、何かを殺して食べていかないと生きていけないのに、今は単に、まるで殺していないかのように生きています。

良くも悪くも、殺す、ということを忘れて生きていけるのが、今の私のいるところです。
そうでない世界があることも忘れていられます。

本当は、いつだってみんな殺すってことと隣り合わせで生きているはずなのにね。

偉そうに書いたけど、久しぶりにこんなこと真面目に考えました。昔は学校の先生や、いろんな人との出会いの中で、いっぱい刺激を受けて、いろんなところでいろんな経験して、いろいろ考えていたのに・・・。
忘れていました。
少し身の置き所を考えなければなりませんね。ほっとくと無感覚になってしまう。

要は、何を手に取るか、何がまわりにあるか、ということよりもさらに、何を考えて、何を伝えようとしている人がまわりにいるか、ということが大事だと思います。

きっと、息子君のまわりには、今もそしてこれからも、もっと豊かな刺激や経験があって、彼なりの考えができてくんじゃないでしょうか。バーチャルを上回る、圧倒的な実体験、実生活があるはずです。それに、ご両親の姿があるから、それが何より心強いと思います。

さて、自分も子育て中・・・。
おちおちしていられません・・・。
返信する
読んでくれていたとは! (あきちゃん)
2010-11-05 23:24:03
「ぼくは13歳、職業兵士」は、友達2人が共著で書いていて、読んでいてくれたことに、とても感激しました。彼らの活動は、今年で10年を迎えて(最初は、カンボジアの地雷除去からスタートでした)、ちょうど今頃、10年記念のイベントを全国で行っているところです。
 問題を見つめると、途方にくれてしまいそうなことでも、あきらめず、一歩一歩進んでいくこと。そうすれば、夢はかなうんだと、信じたいな。
返信する
Unknown ( 春休みのデッサン室さんへ)
2010-11-05 10:00:59
色々な考え方がありますから、決して不愉快ではないですよ。だいじょうぶです。
私も、虫をつぶしたり、チャンバラは全然否定しません。痛いのを覚えるのは必要なので、鎌やハサミも早いうちから持たせたいと思っています。
でもおもちゃ銃は、バーチャルの世界での殺し合いです。
痛みを全くともなわない上で、人を簡単に傷つけ、死んでしまう、そこに危ういものを感じてしまうんですね。
返信する
どうなんでしょうね (春休みのデッサン室)
2010-11-04 23:47:51
う~ん・・・

もちろん、暴力や戦争は絶対反対ですが・・・

おもちゃの銃ぐらい持たないと銃がわからないのではないかいなぁ。
ちゃんばらごっこしないと、叩かれた痛みはわかりませんし、
昆虫には申し訳ないけど
虫遊びしないとどうしたら、どこまで触ったら
虫が、命が死んじゃうかわかりませんし、
銃と昆虫は全くレベルが違いますけどね。

どうなのでしょうね。
お気にさわったら申し訳ありません、ひとつの考えです。
決して武器を肯定しているわけではありませんよ。
子どもに「学び」を考える時にどうなんだろうなぁ~
っていうことです。

今回は不愉快なコメントになってしまったかもしれません。
申し訳ありません。
返信する

コメントを投稿

育児日記<4コマ>」カテゴリの最新記事