目指せ!ゼロウエイストな暮らし

モノを減らして、ゼロウエイスト。田舎でイラスト描いて暮らしています。

わたしの、エコグッズ論

2013年01月07日 | グッズ・エコグッズの紹介
おすすめのエコグッズを教えて、という書面をいただきました。
ネットブログに書面でコメントって、私のブログらしいなあと、
とても嬉しいです。


エコを自認している私としては「喜んで!」と言いたいところです。


でも、最近は「エコグッズ」という言葉は色々なところで聞かれるようになり、
どんなものにでも「エコ」をつけるようになっていることから
あれ?これって本当にエコ?と言いたくなるようなものにも「エコ」と言っていたりします。

理屈を聞くと、「ああそういうことね」とうなづくこともできるのですが、
別の方面から見ると、「それはむしろアンチ・エコグッズでは?」と思えたりします。


そんなことにいちいち目くじらを立てるな、という意味のことを
ダンナには言われるのですが、
幼少の頃から、エコ一筋で生きていた私には、なんとなく寂しさがあってやりきれない。
エコは地球を救うと思っていたのですから。
そんなこと思う私は、まだまだ子どもです。


だから、エコグッズには、
私なりの「エコグッズ」の定義を説明しなくてはいけません。
(面倒な性質)


私にとっての「エコグッズ」。

大前提は、繰り返し使えるもの。
加えて、ずっと使うもの。



単純明快。


できればナチュラル素材で、
かつ環境負荷が低い、であればなおいいのですが、
それは、実はその次の問題だったりするのです。私にとって。



一回きりで使って終わってしまうのは
自然素材であってもエコグッズとは言いがたい。

イベントで使われる、再生プラスチック製のお皿は、
やはりエコとはいえないと私は思う。

(それを使わざるを得ない事情はとりあえずおいといて。)




「道具が道具として長く使われること」
それがまずは「エコグッズ」としての前提だと思っています。


ぼろぼろになるまで、使うこと

素材よりも時間軸で考えるほうが、
エコグッズの理念にあっているのではないだろうか
と思えるのです。

道具を作った時間と手間にあうだけの時間を使ってあげること。
たとえ即捨てられてしまうプラスチックにだって、
実は何百人の人の手をわたって作られ、
何千年もかかって作られた石油を使って、手元にやってきたのかもしれない。



タンスに入れたままにしているのならば、
オーガニック素材のものだって、ゴミと同義。


(そうなると、道具を論じるよりも、暮らしの質を問わないといけなくなりますが。)



だから、子どもがプラスチックのおもちゃを
どんなに壊れようと、どんなにみすぼらしくなろうとも、
いつまでもいつまでも飽きずに遊んでいるのを見ると、
これはこれで究極のエコなのではないか、と思えます。




お店でエコと称して販売していたドギーバッグ
(外食した先で残した食事を持って帰るための紙箱)は
エコグッズとは認識できませんでした。
1回きりで終わってしまうものですから。
(行為は間違いなくエコですが)


ブナで作られた高価な鉛筆立ても私にとっては「エコグッズ」に
なりえなかった。
100年はもつらしいのだが、あんまりにもゴツゴツしていて重くて、
鉛筆を入れる前から重くて、使いこなせませんでした。



無漂白コーヒーフィルターもエコグッズとは言いがたい。
紙自体に純パルプを使っていたから。


つくづくとても難しい。
この社会の中で真のエコグッズを探し出し、自分の暮らしの中に取り込むのは。


で、自分なりのエコグッズ。


黒板。
繰り返し使えるメモ帳。
この家に引っ越していた時から、その場所にありました。
かつて、集落共同電話がおいてあったところに設置されていました。
子機で話しをしている時、さらさら書けてとても便利です。



軍手。
繰り返し使える作業手袋。
ぼろぼろになるまで毎日使います。
つりさげるヒモは自分で縫い付けました。
なくなりにくくなります。




ぼんぼん時計。
時々くるいます。
ネジでまきます。







できることならばエコグッズに囲まれて暮らしたい。
人生の目標です。








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