6月の教育委員会の会議をうけて、「私達市民の最後の行動だ!」
「わずか1ヶ月(9月議会の前まで)でどこまでできるか挑戦だ!」
予測も見通しもないままに、「いくぞ~!」とばかりに、
開始した署名活動。
スタッフの連日の精力的な行動力には、
ただただ脱帽としかいいようがありません。
本当に素晴らしい働きでした!
そして!
8月26日の署名集計までに、
その数は、
5039筆!
そして、9月9日には、
さらに723筆!
追加されました!
前回の署名活動の時とほとんど大差ない署名数に、
この問題が、市民にとって、あきらめ、見過ごされる問題でなく、
ますます注目を浴びる問題であることが証明された
と実感しました。
わずか1ヶ月で、5000筆も集まった事実をどう見るか
「どう見ても、見直しの価値ありではないか!」
と言いたいところです。
しかし残念ながら、甲斐市長にふられてしまい、
直接お渡しすることはできませんでした。
「5月に、一度お会いしており、その時に話は聞いている」
という返答だったそうです。
5月・・・は、まだ島内9地区で行われた意見交換会よりも前のことで、
意見交換会以後、
行われた教育委員会の会議の結論、
議会での答弁、タウンミーティングでの返答からも
図書館政策が市民の意見を取り入れたもの、
組み入れたものとは言いがたいものですので
その再考をお願いしたい、
個人ではなく、
こんなに多くの署名を手にしているのです。
どうか聞いてはもらえないでしょうか。
さらに付け加えるならば、この署名を行った市民団体と、
5月にお会いした市民団体は、別団体でもあるのです。
この日の気持ちに、あえて擬音をつけるなら「とぼとぼ・・・」でしょうか。
そのふられた当日は、畑野のタウンミーティング。
なんとか、市長にこの署名の内容だけでも伝えたい!
と思い、ダンナに協力をあおぎ、
1歳8ヶ月の娘を胸に抱いて、
夜7時からのタウンミーティングに出席するのですが、
私同様、市長に想いを伝えたい人たちが沢山で、
手をあげるも、市長に質問するチャンスが得られないままに
定刻がきてしまいました・・・。
一方で、そのタウンミーティングの中で、気になる発言がありました。
図書館について質問した方に対し、市長さんは
「図書館は待合場所ではない。本を読む場所である」
と答えていました。
この発言は、非常に理解に苦しむところでした。
そして、これが本当に本気でおっしゃっているのならば、
心からの失望を感じざるを得ません。
図書館はよく親が子どもを迎えに行く時の「待合場所」に利用するケースが
多くあるからです。
司書さんに見守ってもらいながら、親が迎えに来てくれるまで、
本に親しむ。
まさに本にふれるための機会を得る理想的なケースではないか、と思うのです。
市長さんのこの「図書館は待合場所ではない」発言は、
「図書室に本を読みに行く人は、迎えにきてもらってはいけない」
とも受け取れるのではないでしょうか。
どんな場所でも、人が集う場所ならば、
待ち合う場所になる可能性があるはずです。
何よりも、図書館を待合場所に使う理由のひとつには、
市が行った大規模な小学校の統合が大きな理由にあるはずです。
図書室を待合場所に使ってはいけない、とするならば、
何故その受け皿を作ってくれないのでしょう。
市政ってなんだろう?
失望を希望に変える魔法、どなたかご存知ですか?
ブログ文章を書いたのは8月末でしたが、
リアルタイムでアップできず、ごめんなさい。
署名を提出した時のお話とかできたら、と思っています。
「わずか1ヶ月(9月議会の前まで)でどこまでできるか挑戦だ!」
予測も見通しもないままに、「いくぞ~!」とばかりに、
開始した署名活動。
スタッフの連日の精力的な行動力には、
ただただ脱帽としかいいようがありません。
本当に素晴らしい働きでした!
そして!
8月26日の署名集計までに、
その数は、
5039筆!
そして、9月9日には、
さらに723筆!
追加されました!
前回の署名活動の時とほとんど大差ない署名数に、
この問題が、市民にとって、あきらめ、見過ごされる問題でなく、
ますます注目を浴びる問題であることが証明された
と実感しました。
わずか1ヶ月で、5000筆も集まった事実をどう見るか
「どう見ても、見直しの価値ありではないか!」
と言いたいところです。
しかし残念ながら、甲斐市長にふられてしまい、
直接お渡しすることはできませんでした。
「5月に、一度お会いしており、その時に話は聞いている」
という返答だったそうです。
5月・・・は、まだ島内9地区で行われた意見交換会よりも前のことで、
意見交換会以後、
行われた教育委員会の会議の結論、
議会での答弁、タウンミーティングでの返答からも
図書館政策が市民の意見を取り入れたもの、
組み入れたものとは言いがたいものですので
その再考をお願いしたい、
個人ではなく、
こんなに多くの署名を手にしているのです。
どうか聞いてはもらえないでしょうか。
さらに付け加えるならば、この署名を行った市民団体と、
5月にお会いした市民団体は、別団体でもあるのです。
この日の気持ちに、あえて擬音をつけるなら「とぼとぼ・・・」でしょうか。
そのふられた当日は、畑野のタウンミーティング。
なんとか、市長にこの署名の内容だけでも伝えたい!
と思い、ダンナに協力をあおぎ、
1歳8ヶ月の娘を胸に抱いて、
夜7時からのタウンミーティングに出席するのですが、
私同様、市長に想いを伝えたい人たちが沢山で、
手をあげるも、市長に質問するチャンスが得られないままに
定刻がきてしまいました・・・。
一方で、そのタウンミーティングの中で、気になる発言がありました。
図書館について質問した方に対し、市長さんは
「図書館は待合場所ではない。本を読む場所である」
と答えていました。
この発言は、非常に理解に苦しむところでした。
そして、これが本当に本気でおっしゃっているのならば、
心からの失望を感じざるを得ません。
図書館はよく親が子どもを迎えに行く時の「待合場所」に利用するケースが
多くあるからです。
司書さんに見守ってもらいながら、親が迎えに来てくれるまで、
本に親しむ。
まさに本にふれるための機会を得る理想的なケースではないか、と思うのです。
市長さんのこの「図書館は待合場所ではない」発言は、
「図書室に本を読みに行く人は、迎えにきてもらってはいけない」
とも受け取れるのではないでしょうか。
どんな場所でも、人が集う場所ならば、
待ち合う場所になる可能性があるはずです。
何よりも、図書館を待合場所に使う理由のひとつには、
市が行った大規模な小学校の統合が大きな理由にあるはずです。
図書室を待合場所に使ってはいけない、とするならば、
何故その受け皿を作ってくれないのでしょう。
市政ってなんだろう?
失望を希望に変える魔法、どなたかご存知ですか?
ブログ文章を書いたのは8月末でしたが、
リアルタイムでアップできず、ごめんなさい。
署名を提出した時のお話とかできたら、と思っています。
「図書館は待合場所ではない、本を読む場所である」
まったくもってその通りではないですか。
司書の方は保育士ではありません。
「病院は待合場所ではなく病気を治すところ」
「学校は待合場所ではなく勉強するところ」
その通りだと思いますが。
図書館は本を読むところです。
静かに調べ物をするところです。
ちなみに私は図書館・図書室の現状維持・改善を望んでいますが、子供の保育室と化した図書室には行きたくありません。
ブログアップありがとう♪
しかし、なんということでしょう。
市民の声を
聞かない、聞こうとしない
真剣に向き合わない
そんな政治が
この佐渡で行われているって
とても悲しい…。
私も魔法が知りたい!
まつさんのもたれたご意見ももちろんだと思います。
「図書館は本を読む場所であること」、
大前提と思います。
と、同時に図書館は、全国的に見ても
様々な複合施設として使われ、
認識されている施設でもあると思います。
行き場のない弱者が集うスペースでもあり、様々な年代の方のコミュニケーションツールのひとつとしてもとらえてもよいのではないか、と思っています。
保育室化してしまった図書室はもちろん
あるべきではありませんし、行きたいとは思えませんが
現在の佐渡では平日のある時間になると
沢山の子ども達が集まる実情もあります。
親も子どもに迷惑をかけたいとは思っていないはずです。
しかし佐渡には、そういう子ども達、親達のための「受け皿」となる施設、サービスが、他にないのです。
小さな子どもを持つお母さんも嘆かれている問題のひとるです。
そうした問題に直面した時、子ども達を、図書館から追い出すだけで問題は解決するか、といえばそうではないと思うのです。
(大学の地方自治の授業でもそんな課題がだされた話をききましたが、どこでも普遍的な問題でもあるのでしょうね)
そんな現状の中での、
今回の市長さんのコメントは
「図書室を待合場所に使ってはいけない」と、
受け取れてしまいました。
もっと深く話を聞くことができれば、あるいは異なる主旨があったのかもしれませんが・・・。
図書室という場所を「本を読むための場所」とだけとらえるのではなく、本をきっかけにあらゆる
可能性をもった場所、広げる場所として
とらえる段階にきているのではないか、と思います。
待合場所前提でなく、
本を読む前提であることを、改めて付け加えたいと思います。
コメントありがとうございました。
(待合室コメントについては、
今回の署名とは関係ないことをおことわりいたします。)
そして署名活動への協力もありがとうございます!
涙、労力の末の署名提出でしたが、
「民意は不要」とされた感じで、とても愕然としました。
共有してくれてありがとう!です。
とのことですが,では静かに集中して本を読みたいと思う人はどこにいったらよいのでしょう。
金井の図書館説明会にいきましたが,学校後の子供を図書館で遊ばせることがあたりまえのように考える親御さんの発言があって,あきれ返りました。図書館がなくなるというよりも,託児所がなくなると考えているようです。
本を読み,考えることが生活の一部となっていないことの証と思います。
タイトル、まんまその通りだと思います。
非常に単純で個人的な意見ですが、やっぱり「わけないといけない」のではないかと感じます。
確かに現在の市立図書館では、そうした純粋な読書をするための静けさを求めるには無理があるのも現状です。司書さんもとても頑張っておられています。
そして、それは佐渡に限ったことはでない全国的な問題でもあると思います。
他図書館では「読書室」という空間があり、完全に「読書空間」と「書棚空間」をわけている図書館もあるようです。
図書室を図書室らしく利用する、
そのための活動というか、運動もまた必要なのではないかと感じます。
(両者が共存する方法はないものでしょうか。
模索する価値はあると思うのですが。)
「当たり前と思っていることが、
当たり前に得られるわけではない」というのが
今回の一連の汗にまみれた活動の中で得た教訓です。
干菜さんの感じておられる「当たり前」もまた
そうなのだと思います。
ソトコトで一番に選ばれた小布施町の元館長花井 裕一郎氏も「知の広場」(書籍)は、図書館を考える上で大きな示唆と。
私も「知の広場」を読み古典的な図書館像ではなく新し図書館像が求められていると思うようになりました。
図書館という柱を基本として、老人から子どもまで集えるのが図書館で、何もこうあるべきだという姿は、ないのではないでしょうか?
静かな空間でじっくり本を読み考えたい人、また、子ども連れで、子どもに本や情報の接し方を教えたい人、老人がああでもないこうでもないと言いながらその課題に関する本を司書と探したりするなど、、こういった様々な形をつくることこそ必要ではないかと思うようになってきました。
佐渡の図書室は狭いし、読書する空間には適していないとおもいますが、よく活用されていて活気がありますよー選任職員のいる図書室は。
もっと、広く未来に向かって新しい発想で図書館・図書室を創る時代がきたのでは!?とおもいます。
ま、子どもよりも、中央図書館の職員のしゃべり声や足音が気になって読書できないという声を聴きますが、よっぽど問題では?とおもいますけど。
「知に広場」。図書が集う空間にこそふさわしい言葉だと思います。
「図書館という柱を基本として、老人から子どもまで集えるのが図書館」、
「古典的な図書館像ではなく新しい図書館像が求められている」、
まさにその通りだと思います。
それは何も、「(施設が)立派な素晴らしい図書館を!」というわけでは全然なく、
貧しい現状から導き出される必要性なのだと思います。
知恵をだし、さらに言えばそれに行政が協力してくれることで、十分にそれが実現する可能性があると思うのですが。
おっしゃるとおり、専任職員さんがいてこその図書空間であることは、無人化された図書室を見ることで一目瞭然だと思います。
「広く未来に向かって新しい発想で図書館・図書室を創る時代がきたのでは!?」
その通りだと思います。
個人的にですが、職員さんの件については、他の諸問題に比べ、さして問題のあることだとは思っていません。
図書館の重要性をよくご存知と思うからです。