以前のブログ「上関原発建設、深夜の強行」<2011年2月23日>並びに
「つまり、彼らがしようとしていることは・・・」<2011年2月23日>に、
その後、想像していたよりも多くの方からのメッセージをいただきました。
自身のブログに私の記事を掲載いただいたり、
反対メールを送ってくださったり、行動してくだって本当にありがとうございます。
いかに多くの人が、この問題に対し関心を持たれているかを知り、私自身も大変励まされました。
と、同時にいただいたメールを拝見し、印象深かったことがありました。
それは、「自分も電気を使っているから原発にNOとは言いにくい」とおっしゃる方が実に多かったこと。
「だけど、祝の人への中国電力のやり方はひどい」とも。
すごく優しい方が多かったこと、それがとにかく印象深かったです。
誰もが電気を使っています。
だけどその電気が、「どんなものなのか」ずっと知らされずに使っていた、
のもまた事実です。
そして、使っている電気がどんなものか
その多くの事実(多くの人間同士の争いを生み出している事実や、
電気を作る時に有害な放射能をだしている事実)を
知ったならば、こう思えないでしょうか?
「そのエネルギーを変えてほしい」と。
今あるエネルギーが「害があるもの」ならば、
「変えるべきもの」ならば、
別のエネルギーにしてほしい、
そう望むことは、むしろあるべき姿だと思うのです。
それは、今回の上関原発にしても、六ヶ所村にしても、
私の住む佐渡のすぐ向こう側にある刈羽柏崎原発でも同じことです。
ここまで知らされることなく、
与えられているエネルギーに対して、疑問を持つことは自然なことのように思います。
そして、フェアトレードのようなことが、電気にでもできるはずだと思うのです。
(一応技術的には可能)
たとえそれが、「夢を見ている」と失笑されるとしても、多くの醜い争いを前にして
それを夢みることがどうして「非現実だ」などと笑えるでしょうか。
今、私達が使っている電気というエネルギーは、
放射能、という半永久的に自然にも人体にも害があるものを作り出し続ける、というだけでなく、
そこに建設するために、
多くの人に立ち退きを要求し、それに応じない人々を暴力と大金でねじ伏せる
というような行為を繰り返しています。(日本でね)
さらに、
原子熱を作り出すためには、何トンもの冷却水を使うのですが、海水を使うため
温暖化の原因になります。
(原子力は温暖化を防止する電気ではなく、促進する電気なのです)
熱湯を何トンも海に排出するのですから、当然生態系にも大きな影響を与えます。
そして、ついには国内で原発はもう建てられないからと、
発展途上国に原発を建て、その電力を日本で使おうなどという計画まで持ち上がり、
現地の人から猛反発を受けています。
六ヶ所村に実際に行き、刈羽柏崎原発反対運動にほんのちょっぴり関わって、
知ることは恐いことでもある、と思うこともあります。
でも、それでも、
ちょっとずつでいいから、知らせること、をしたいと思いました。
反対メールは今も受け付けています。
過去ブログから飛べま~す。
原発のことを書くときは、いつもドキドキ。
勉強してはいるけれども、不備が見つからないかしらと、必要以上にどっきどき。
祈るように書いています。そんな私に1クリックを↓
「つまり、彼らがしようとしていることは・・・」<2011年2月23日>に、
その後、想像していたよりも多くの方からのメッセージをいただきました。
自身のブログに私の記事を掲載いただいたり、
反対メールを送ってくださったり、行動してくだって本当にありがとうございます。
いかに多くの人が、この問題に対し関心を持たれているかを知り、私自身も大変励まされました。
と、同時にいただいたメールを拝見し、印象深かったことがありました。
それは、「自分も電気を使っているから原発にNOとは言いにくい」とおっしゃる方が実に多かったこと。
「だけど、祝の人への中国電力のやり方はひどい」とも。
すごく優しい方が多かったこと、それがとにかく印象深かったです。
誰もが電気を使っています。
だけどその電気が、「どんなものなのか」ずっと知らされずに使っていた、
のもまた事実です。
そして、使っている電気がどんなものか
その多くの事実(多くの人間同士の争いを生み出している事実や、
電気を作る時に有害な放射能をだしている事実)を
知ったならば、こう思えないでしょうか?
「そのエネルギーを変えてほしい」と。
今あるエネルギーが「害があるもの」ならば、
「変えるべきもの」ならば、
別のエネルギーにしてほしい、
そう望むことは、むしろあるべき姿だと思うのです。
それは、今回の上関原発にしても、六ヶ所村にしても、
私の住む佐渡のすぐ向こう側にある刈羽柏崎原発でも同じことです。
ここまで知らされることなく、
与えられているエネルギーに対して、疑問を持つことは自然なことのように思います。
そして、フェアトレードのようなことが、電気にでもできるはずだと思うのです。
(一応技術的には可能)
たとえそれが、「夢を見ている」と失笑されるとしても、多くの醜い争いを前にして
それを夢みることがどうして「非現実だ」などと笑えるでしょうか。
今、私達が使っている電気というエネルギーは、
放射能、という半永久的に自然にも人体にも害があるものを作り出し続ける、というだけでなく、
そこに建設するために、
多くの人に立ち退きを要求し、それに応じない人々を暴力と大金でねじ伏せる
というような行為を繰り返しています。(日本でね)
さらに、
原子熱を作り出すためには、何トンもの冷却水を使うのですが、海水を使うため
温暖化の原因になります。
(原子力は温暖化を防止する電気ではなく、促進する電気なのです)
熱湯を何トンも海に排出するのですから、当然生態系にも大きな影響を与えます。
そして、ついには国内で原発はもう建てられないからと、
発展途上国に原発を建て、その電力を日本で使おうなどという計画まで持ち上がり、
現地の人から猛反発を受けています。
六ヶ所村に実際に行き、刈羽柏崎原発反対運動にほんのちょっぴり関わって、
知ることは恐いことでもある、と思うこともあります。
でも、それでも、
ちょっとずつでいいから、知らせること、をしたいと思いました。
反対メールは今も受け付けています。
過去ブログから飛べま~す。
原発のことを書くときは、いつもドキドキ。
勉強してはいるけれども、不備が見つからないかしらと、必要以上にどっきどき。
祈るように書いています。そんな私に1クリックを↓
放射能に地域も国境もない、これは本当にその通りです。なのに、日本に限ってですが、これまでの経験的に、驚くほど、その観点が薄すぎるのが気になります。
原発賛成派の方が、「放射能は絶対にでない」とする電力会社さんの意見に賛同するのは、逆に危険だと感じます。リスクをしっかりと把握してもらうのは、賛成派でも反対派でも必要なことだと思うのですが。
http://news.livedoor.com/article/detail/5403698/
放射線に地域も国境もないので、これはグローバルな問題ですよね。うちの地域さえ良ければよい(原発賛成でも反対でも)という話ではない気がします。
「知らないうちに」ということをここでは非常に大きなインパクトをもっているなあ、と思います。
住んでいる人にとっては、原発という大きなものに対し、「町」という単位で考えなくてはいけないけれど、そこに住んでいない人にとっては「国」という大きな単位で考えざるを得ませんよね。
そして前者は「町づくり」という観点で原発をとらえ、後者は「環境」とか「生態系」という観点で原発をとらえているようにも感じます。
あわない接点で、どうとらえるべきなのか、
shiwwaiさんのおっしゃる「原発大国」のリスクは非常に大きいと思います。
拝見して、促進を3000署名も集めて陳述に行ったということも知ることができました。
3月のブログは非常に考えさせられました。
じっくり拝読させていただき、その上で自分なりの意見をあらためて考えたいと思います。
そして私のような意見もご覧になっていただき、ありがとうございます。
でも原発を推進していきましょうという決定を、国民レベルで行った覚えなどないですよね。
いつの間にかこの狭い国に55基もの原発が乱立している世の中になっていました。
でも、そういう国にしようという選択をした覚えはありません。原発の利権に絡む人たちの間で物が決められ、知らない間にこういう国になってしまっていました。
だから、私たちはそんなに自分の責任にしなくてもいいのではないでしょうか?いつの間にかこんなことになっていたということに、もっと早く気付けなかった責任というのはありますけど…。
http://kaminoseki.jp/