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見返りにゃんこ

抱きしめたいけど背中が拒否してる



にゃんこはかわいい。にゃんこのかわいさは人を惑わす。しかし、こちらの望むようには行動してくれません。むにゅむにゅしたい、抱っこしたいとおもっても、しっかり背中で拒否を示し、相手にもしてくれない。「ふん」と無視をする。
じぶんがナデナデチヤホヤされたいときには、ゴロニャンと近づいてきて、上から目線で「ナデナデさせてあげるわ、うれしいでしょう」というそぶりで迫ってくる。こちらに拒否という権限は与えられないのだ。にゃんこの傲慢さ、それが嫌いな人もいるだろう(にゃんこ好きにはたまらないのですが)。ワンちゃんの素直さとは正反対だからね。
いままではワンちゃんが主役だったが、ここ数年、にゃんこ好きも増えてきたようだ。いいことだが、飼い猫さんだけではなく、野良にゃんこも大事にしてほしいと願う。捨て猫、捨て犬というくらいだから、人間が捨てたのだ。人間のせいなのだ。そう認識している。
亡くなった愛猫には、いろいろ教えられたし、お世話になった(お世話するより、お世話をしてもらった)。これからもにゃんこには、お世話になるでしょう(おせわしろにゃ~)。





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餅好きに?

力もちを夢見て餅食らうあほうなオレ



この写真を見て、ワタクシをよく知る人は驚くとおもう。「どうした、なにがあったと。なぜなら、ワタクシが餅を三つも食べているからです。数年前まではじぶんのなかのメニューに餅の存在はなかった。
ずいぶんむかし、お正月にあるお家でお雑煮をご馳走になることになった。そのときこう聞かれた「お餅はいくつ食べる?」。なになになに???幾つってどういうこと? お雑煮は餅一つでしょう。できれば餅ナシをお願いしたいのだ。
しかし、周りにいた人たちは口々に、「4個」、「5個」、スゴい人は「6個」。そもそも器の大きさが違った。女性でも「4個」だから、「1個」と言った者はみんなから冷たい視線を浴びた。それでも1個で押し通した(何年も)。
そんなヤツが今では餅を三つ食べられるのだ。すばらしいではないですか(勝手におもっている)。餅を好きになりつつあるという奇跡。わからないものです。まだお正月の餅が残っているので、どんどんどんどん食べますよ。そして「力もち」になるのだ。





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長寿番組

戻ってきたら閉まっていた



ずっと観ていたわけではないけれど、長寿番組が終わっていくのは寂しい。テキストだけは欠かさず買っている『おかずのクッキング』が終わる。テキストもなくなっちゃうのか? 土井善晴さんファンとしては気になるところだ。
『新婚さんいらっしゃい』も終わるのか? 「今日は日曜日のお昼ですよ」と教えてくれる番組だった。観ていないけれど(家族のだれかは観ていたのかな?)、流れていたことを記憶している。
始まったものはいつか終わる。もちろんわかっています。しかし、昭和の匂いが消えていくということを実感させられると寂しさが浮いて出てくる。
こうなったら(どうなったら?)、『徹子の部屋』だ。徹子さんに120歳くらいまで元気でいてもらって昭和の匂いをとどめてほしい。『徹子の部屋』はいまも観ているからね。応援団の一員だと自負しております。
これからもじわじわ長寿番組が終了していくのでしょう。そしてバトンを受けた新しい番組が、今の時代の匂いをのせて進んでいくはず。そういうものですね。





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あのラーメンが食べたい

思い出は一つ一つ消滅し幻となる


※西北亭ラーメン

シンプルというか、特別なことをしてるぞと胸を張っていないラーメンを食べたい。煮干しや豚骨や昆布や、あれこれ高価な素材を使わないスープ。そうです、鶏ガラスープでよいのだ。昔ながらの醤油ラーメン、中華そばと呼ばれていたあれあれあれです。
上等なチャーシューはいらない。高価な一杯であってはならない。そんなラーメンを熱望している今日この頃です。もうひとつ加えるならチェーン店のものはイヤだ(わがままです)。しかし、チェーンでない店ってあるか? なかなか見つからないよなぁ。もう求める中華そば(ラーメン)を食べることはできないのか・・・じぶんでつくるしかないのか。
好きだった、早稲田の「西北亭」は閉店したようだ。「西北亭」のラーメンと餃子、チャイナチャーハン、もう一度食べたい。近くに住んでいたからよく通ったものだ。4時に銭湯へ行き(一番乗り)帰りに「西北亭」でラーメンを、あー懐かしき時代である。ぐうたらな生活を送っていた頃である。
話を戻そう、昭和の中華そば(ラーメン)、まだどこかで存在するのだろうか、探してみよう。







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正方形写真

あれもこれも四角四面撮りの術



スマホを新しくしたので前のスマホと操作が違う、思い通りにならないことが多い。そのひとつに写真サイズ。まえのスマホのカメラにあったサイズがないのだ。縦長になったり横長になったり、じぶんの好きな雰囲気に仕上がらない。困った。
しかし、どうしようもないので、正方形にチャレンジすることにした。正方形写真、むかしそんなのがあったような気がするけれど、なぜ正方形だったのかは知らないままだ。
ちょっとしたことなのだが、長方形と正方形では違う。それも、ちょっとした違いだとおもったら大きく違ったのだ。むつかしい。正方形の中に被写体を入れてバランスを取るのに慣れていないからか、アタフタしている。たかがスマホの写真だと、じぶんに言い聞かせてパチリ、うーん、なんか間延びしている。四隅の空きがへんだ。これは挑戦しがいがあるんじゃないかと、無理に気合いを入れております。
Instagramはたしか正方形写真だったような気が・・・なるほど、そこを意識してのサイズか? ならば、正方形写真の達人を目指そうじゃないか。そんな達人は必要とされないでしょうけど、





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乾燥してる

手の届かないところが痒い



乾燥してる。治療の副作用なのか、経年劣化なのか、乾燥肌が止まらない。ある部分は治療の副作用というか影響だけれど、その他は体質というものなんだろうな。むかしから乾燥には手を焼いていた。それなのにケアなんていうことを一切しなかったから、ジワジワとひどくなったのかもしれない。
最近はあれこれケアをしているが、どうも効果を感じない。病院でも薬を処方してもらっている。でも、効果を実感しないんだよね。食べものとか睡眠とか、お風呂の入り方、入浴剤、いろいろ関係している? 入浴剤もあれこれ試している。食べものは、うーん、なにがいいのかよくないのか?だ。
乾燥で苦しんでいる人が多いのであれば、乾燥友の会でもつくって情報を交換したい。しかし、ひとによって症状はちがうだろうし、個人差も大きいようにおもう。
皮膚を交換したいよね。下着を着替えるように新しい皮膚に着替える。つるんつるのぴかぴかで、水分もたっぷりの新品肌に。そんなことができたらノーベル賞ものだぞ。大金持ちになるぞ。妄想である、「残念斬り~」。





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麺三昧

腹の虫今年も元気に騒いでる

つるつるつるり~ん、今年も快調に麺を食しております。年間どれだけ麺を食べるのか調査をスタートして約二週間、只今の数字7麺です。
まだ今月は半分ありますから、麺のごとくのびていくでしょう。ワタクシのバックには、クレジットカードのポイントで手に入れた全国各地のラーメンたちがついていますからね。心強い。「親分、いつでも参上いたしますぜ」と、待機してくれている。
もちろん乾麺も揃っているし、冷凍してある生麺も、手ぐすね引いて待っている。ははは、麺長者なのだ(億万長者になりたかったが、ダメだった)。
年末の数字がたのしみだ。トリは年越し蕎麦と決まっている。年越し蕎麦は、往年の北島三郎先生のようなものだ。定番だ。
トリは決まっているとなると、新年麺というのも必要ではないか。あってもいいとおもう。今年はもう遅いけれど、来年は考えよう。恵方巻きのようなブームを巻き起こせないか? 縁起物としての「新年麺」。密かにブームを狙ってみようじゃないか。開発までに1年ある。よーし、億万長者がダメなら麺長者をめざそう♪


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色鉛筆

同じ色の色鉛筆並べ言い訳考える



色鉛筆がたくさん出てきた。ふむふむ、なんでこんなに買ったのだろう。じぶんの行動が理解できません。たぶん、数年前に絵を描こうと思いついて、それならまずは道具を揃えることだということになり、手軽に使える色鉛筆を買ったんでしょう。
へたくそな絵でも色を塗るとなんとか見られるようになると、いつものごとくイージーに考えたはず。最初に無印商品のものを手に入れ、それでは色が足りないからと追加で別のメーカーのモノを購入したのだ。色が足りないって、何色も使うことはないのにそのときは燃えていたから「足りない」と判断したに決まっている。アホだ。
使われない色鉛筆が鉛筆立てで笑っている、「この三日坊主」と、笑っている。このままではいけない、笑われていてはいけない。使いますよ、使いますとも。最近は墨と毛筆に気持ちが行っているが、色鉛筆も復活させよう。三日坊主からの脱却であります。
墨と色鉛筆、どうかな? おもしろいかもしれないな。試して見よう。





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風小僧

風小僧残像だけが飛び回る



「子どもは風の子」と、子どもの頃によく言われたけれど、もう死語かな。数十年、耳にしたことがないような気がする。「子どもは風の子」ということばを聞くと『風の又三郎』を思い出したものだ。
今は、「子どもは…何の子」なのだ? かわることばはないのかもしれないな。昭和のことばは消えていくのか。自然消滅(自然淘汰?)。
21世紀の子どもは、エアコンの効いたじぶんの部屋でパソコンを広げ、オリジナルアプリをつくろうとしているか、ゲームをしているか、ユーチューバーに憧れながらYouTubeを観ているか、昭和の子どもには想像もできなかったことをやっているのだろうな。世の中の子どもがぜんぶそうだとはおもわないが、鼻水を垂らして走り回っている子どもを見なくなったのは事実だ。
駄菓子、たこ焼き、コロッケ・・・「買い食い」ということばもすでに消えたかもしれない。ほんとうに時代なんてサササノサッサと変化していく、速度を増している。100年後はどうなっている? この世に、じぶんが存在しないことだけは確かだ。今のうちに風小僧になって遊んでおこう。





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カツカレーの魔力

カツカレー食べたあとは澄まし顔



昨年、食べたい食べたいと叫んでいたカツカレー(数年前からだ)。叫ぶだけで食べる機会がなかった。今年こそ、今年こそ、必ず店カツカレーを食べるのだ。新年の誓いである。
なんとつまらない誓いだとおもわれるでしょうが、本人は真剣です。ここ数年求めていたものを食すのである。ミシュランとは無縁の店でガツガツと食らうのである。
ミシュラン? 星のついているカツカレーなんてあるのか、あったらその店のカツカレーは、カツカレーとは呼べないものでしょう。まったく魅力のないカツカレーに違いない(断定)。一等賞は、大衆食堂のもの。二等賞は、スタンドカレー。三等賞は、町の洋食屋さん。これがベストスリーだ(勝手なイメージです)。
期待に反してイマイチなのはとんかつ屋さんのカツカレーだ。いままでの経験からの結論である(おいしいところもあるのだろうけど)。
カツカレーごときに大騒ぎの新年。ごときであってごときではない(なんのこっちゃ?)カツカレーを近日中に制覇したいとおもいます。





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