2日目は午前8時に幸手駅より隣の南栗橋駅まで電車で行き、前日の到達ポイントからスタートしました。
しばらく旧道は、国道4号、利根川と平行して続きます。街道は住宅地の中をまっすぐ進み、まもなく江戸から7番目の宿場
栗橋宿に入ります。
村の鎮守である八坂神社があり、ここの夏祭りの御神輿は盛大に行われるそうです。また、狛犬ならぬ狛鯉が鎮座し、
その横に鯉が広げる古書の石のモニュメントには、この神社の神様は、利根川の洪水時に水波の中を鯉と亀とが運んできた
ものと伝えられていました。
昭和22年の台風で利根川が決壊したときの浸水線があり、そのテープ跡は、はるか人の背を越えているものでした。
今はゆったりと流れる利根川橋をわたります。川を境に茨城県古河市に入ります。
堤防を下りてすぐに、江戸から8番目の宿場である中田宿に入ります。ここの宿場は当時の旅人の多くは江戸を発って
2日目に、ここに宿を取ったと言うのですから、昔の旅人の健脚ぶりには驚きです。
この街道には神社も多く点在していました。
源頼朝が相模国鶴岡八幡宮の分霊を勅請したと言われる鶴峯八幡神社(写真上左)
鎌倉鶴岡八幡宮にあった大銀杏と同じようにここにも大銀杏がありました。奥に見える神楽殿では、古河市の無形文財
である神楽を伝えています。(写真下左)
光了寺 静御前が帰依した寺としても有名(写真下左)
次の宿場、古河宿までは長い交通量の多い街道をひたすら歩きます。古河宿の手前に一里塚跡があるのですが、
高校校庭のグランド隅にありフェンス越しに覗くことになります。
古河宿の入り口は、すっかり整備された歩道が続き、江戸時代の大名土井藩主の城下町として栄え、日光街道宿場と
しても栄えていたようです。高札場跡、本陣跡、など古い街並みが残る整然とした街の印象をうけました。
古河宿から3キロほどで、次の野木宿に着きます。この野木宿は比較的小さな宿場だったようです。
参道を紫陽花が覆う先に野木神社があり、1600年前の仁徳天皇時に建立されたもので、樹齢1200年の大銀杏と
いい、社殿の彫刻もりっぱなものでした。
この途方もない長い歴史をもつ神社を地元の小学生が一生懸命写生していました。
近くの渡良瀬川に埋もれていたという錨(写真下左)、その船の大きさが偲ばれます。
今回の日光街道はどこも紫陽花が満開を迎えていて、日本のこの季節の美しさをあらためて感じることができました。
歩行距離13キロ
帰路につく東北本線「野木駅」は、湘南新宿ラインも通っていて、乗り換えなしの2時間、グリーン車とビールを奮発して、車中の
人となりました。しかし、あっという間の2時間、あぁー、電車って便利!