小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

奥州街道1日目 宇都宮宿~白沢宿~氏家宿

2015-05-07 | 街道歩き

今年のゴールデンウィークは、お天気に恵まれ、雨を心配することなく出かけられたのはラッキーでした。

日光街道を踏破したのがちょうど1年前、今年も連休を利用して奥州街道をスタートさせました。
街道歩きも、それなりに歩くスタイルができ、人力だけで歩き切るという楽しみももちろんですが、
歩かなくては気が付かない道端の草花や、人々の生活、その土地の食べ物、景色、
そして道祖神、馬頭観音など、歩きながら長い歴史を感じるのも街道歩きの楽しみです。

奥州街道は、青森の三厩宿に至る途方もない距離ですが、幕府の道中奉行が管理していた道筋は
白河宿までということで、とりあえずここまでを目的地としました。
すでに日光街道を踏破しているので、奥州街道の起点は、宇都宮宿からになります。

朝7時の新宿湘南ラインに乗り、宇都宮駅着が9時30分。
宇都宮駅からバスに乗り、日光道中と奥州街道の分岐点(追分)伝馬町に降り立ったのが10時。

追分のスタート地点

                                ニ荒山神社門前町のオリオン通り

ニ荒山神社の門前町として栄えた宇都宮の繁華街を通り、田川に架かる幸橋を渡ります。

                              橋の上には当時の橋の模様が描かれたレリーフ

川の向かいには醤油醸造業と肥料商を営んでいた旧篠原家があり、国の重要文化財に指定され、
当時の豪商の姿を今に伝える貴重な建造物が残されていました。

旧街道は現在の国道10号線となり、交通量も激しく、現在においても重要な交通の要衝であることがわかります。
東北新幹線のガードを潜るとやがて鳥山道との追分になり、白沢街道(国道125号線)をまっすぐ進みます。

この辺りには、古い家が多く見事な長屋門や四脚門をみることができます。
江戸時代の豪農や富裕な庄屋の名残りなのでしょうか。

長屋門 : 門の両側の長屋は使用人の部屋や農機具の収納場所として使用


四脚門 : 柱の前後に控柱を2本ずつ、左右合わせて4本立てたもの


いくつかの集落を過ぎ、街道はまっすぐに北に伸びて行きます。
宇都宮市海道町あたりは八重桜の並木道が続き、すでにサクラの季節は過ぎて、おおかた花は散った後でしたが、
盛りの頃はどんなに見事だったことかと思います。


爽やかな風を頬に感じながら、しばらく気持ちのよい街道歩きを楽しみました。
日光街道と大きく違うのは、緩やかな道のアップダウンが多いことでしょうか。
当時は今の坂と違い、足場の悪い山道を歩いていたことと思います。
目前に見えた稚児坂は、奥州奉行を任ぜられた初代の伊沢家景が奥州の任地に向かう途中、
同行の我が子を亡くし、白沢地蔵堂に葬ったと言われています。
地蔵堂を過ぎるといよいよ白沢宿に入ります。

白沢宿
白沢宿は、日光道中と別れてから奥州街道最初の宿場で、町の至る所に古い歴史を感じることのできます。
それぞれの家の玄関には屋号を記した木札が掛けられていました。

80段登った先に白沢村の村社白髭神社、ここは白沢宿の産土神で、振り向けば鬼怒川が流れる平野が広がっていました。

鬼怒川などの水利にも恵まれて、道路の両側に水路があり、以前は生活用水としても使われていたのでしょう。
水車が回っていました。

外敵を侵入しにくいように街道を直角に曲げた枡形道を右に折れて、白沢宿出口を後にします。
宇都宮市の何と広いことか、鬼怒川に架かる阿久津大橋を渡り、やっとさくら市に入りました。
さくら市は平成17年に氏家町と喜連川町が合併してできた市です。
上流側の鬼怒川

鬼怒川に架かる阿久津大橋               鬼怒川下流側

すっかり回りが田園風景に変わり、鬼怒川を本流とした水路がいくつも交差し合いながら、田園を潤していました。

まもなく街道左側に勝山城址が、ここは鎌倉末期に氏家氏が築城し、その後宇都宮氏の一族によって北方防衛の
拠点だったと記されていました。
現在は、勝山城址の中には、近代的な建物さくら市ミュージアムがあり、氏家出身の荒井寛方の作品が
展示されているようでした。

さくら市ミュージアム                          勝山城址本丸跡

すっかり日も西に傾き始め、田植えを終えた田んぼにも夕暮れが迫ってきました。
街道はこの田んぼの中の一本道を氏家宿と進みます。

お伊勢の森                       追分・道標

田んぼの真ん中に伊勢神宮を勧請して建てられたというお伊勢の森があり、当時はこんもりとした森の中に
あったのでしょう。すでに名前だけの跡となっていました。

氏家宿はまもなく、追分を左折して、氏家の市街に入っていきます。暗くなる前になんとかこの日の行程を終えて、
今夜の宿泊地に着くことができました。

コメント (4)
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