小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

第1回 中山道ウォーク(日本橋~板橋)

2018-11-12 | 街道歩き

第1回目はツアー参加です。
9月29日(土)雨 日本橋~板橋(JR埼京線板橋駅) 距離10.8キロ 

中山道は、5街道の中でも日本の背骨を貫く大変重要な街道であったにも関わらず、温暖な東海道が
中山道に代わって通行量も増えて重要視されてきた歴史がありました。
いよいよ京都三条大橋までの538キロのスタートです。

9時45分に東京駅八重洲口からほど近い常盤橋公園に集合。受付を済ませてからウォーミングアップ
の体操をして、25名が1グループになりリーダーを先頭にスタートしました。

運悪く雨は小雨から本降りに、個人だったら迷わず中止のところ、大勢で歩く場合は傘は邪魔になる
ので差さず、レインウェアーで歩きだしました。
日本橋は5街道の起点です。日本国道道路元標

残念なことに歴史ある日本橋も高速道路の下に。
日本橋再生計画の中で、この日本橋周辺は今後どのように変貌していくのでしょうか。

橋の欄干に装飾されている獅子像は、石造りで東京都の紋章を持っています。

雨の中スーパーマリオカートは元気

日本橋室町をまっすぐ進み、竜閑川に架かる今川橋を渡ります。

神田川に架かる昌平橋を渡り、神田明神へ
華やかな神田明神の随神門、雨に煙っています。

お昼は1時に水道歴史館で、こんなお弁当が用意されていました。
ここで1時間ほど休憩、夫は靴の中に雨が染み込んで気の毒でした。

午後は本郷通りに戻り、本藤三丁目交差点の「かねやす」商店前を通過します。

「本郷もかねやすまでは、江戸のうち」(かねやすはその昔、入香散と言う歯磨き粉を売っていた)
と川柳で歌われ、この先は寺院などが立ち並んでいたようです。

東京大学赤門前を通過

本郷追分を過ぎたあたりに追分の一里塚跡があったようですが、雨でカメラを出すことができずに
この後しばらくは写真も残っていませんでした。
旧白山通りを通過します。

JR巣鴨駅の近くに徳川最後の将軍慶喜が復権後に居を構えた屋敷跡を通ります。近くに染井吉野碑もあ
り、江戸末期に染井村の植木職人が桜を交配して全国に広めたソメイヨシノ発祥の地の碑もありました。
おばあさんの原宿、巣鴨地蔵商店街に入ります。入口近くに真性寺があり、境内には街道を守護する江
戸六地蔵の一つ銅像地蔵菩薩像が今もなお見守るような姿で鎮座していました。

いよいよ雨は強くなり、とげぬき地蔵のある高岩寺でしばらく雨宿りをした跡に、東京都で唯一残る
路面電車庚申塚駅を横切り今日のゴールJR埼京線の板橋駅に向かいました。

JR埼京線の板橋駅に着いたのは、午後4時を回っていました。

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中山道のスタート

2018-11-12 | 街道歩き

旧街道歩きを夫と歩き始めて、もう20年近くが経ちました。旧東海道を完歩したのが2008年の6月、
ほぼ4年かかりました。その後日光街道、奥州街道(この街道はまだ大田原止まり)と歩き、中山道
を踏破してみたいという気持ちはずぅーと持ち続けていたのですが、山中を通ることも多く距離も
長く、すでに当時とは体力もだいぶ衰えているので無理だろうと諦めていました。

2か月ほど前、中山道69次のツアーがある旅行社で募集していることがわかり、ツアーだったら交通
や宿泊の心配をしないでも済みそうなので、行けるかもしれないと思い夫に相談すると、ちょっと自
信はないけれど参加してみようかということになりました。

今まで、ツアーには参加したことがないので歩くペースをみんなと合わせることができるのかとか、
いろいろ心配でした。
ツアーに始めて参加して今までの街道歩きでは、おもしろそうなところがあれば寄り道し、疲れたら
休憩し、美味しそうなものを見つけると食べ、そんな気ままなウォーキングだったので、実は初めて
の団体行動ですっかり自信を失ってしまいました。夫も同じだったらしく、今までもツアーに頼らな
いで歩けたのだから、中山道ウォークも自分たちで計画を立てて歩いて見ようということになり、
2回目からは、東海道中膝栗毛ならぬ中山道弥次喜多編で京都を目指すことになりました。と言って
も、夫も私もすっかりシニアのど真ん中、どこまでコマを進めることができるのか、どこでリタイア
することになるのか、皆目見当はつきませんが取り敢えずスタートしました。

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