少し古い話になりますが、なかなか第6回目の中山道ウォークの記録を纏める時間がなかったのですが
記憶がまだらにならないうちにとやっと纏めることができました。
まだ冬のような寒さも残る3月31日、第6回目の中山道中を籠原から本庄まで歩いてきました。
歩いても歩いてもまだ埼玉県という感じでしたが、なんとか群馬県が見えてきました。どこも桜や一
面の菜の花が出迎えてくれました。
乗り換えなしのJR東海道直通高崎行きで籠原駅まで、およそ2時間の電車は早朝なのでさすがに空い
ていてちょっとした読書タイム!9時過ぎには駅に降り立つことができました。
先回の終点のポイントだった県道264号線まで戻り、9時半にスタート。人通りもあまりない県道は
道を挟んで新旧の住宅地でしたが、道すがら鬼林稲荷神社の赤い鳥居、石仏石塔群や庚申塔などがあり、
中山道の名残を感じました。
10:30 愛宕神社の境内に芭蕉の句碑「冬枯れや 世は一色に 風のおと」が残されていました。
少し街道から外れたところに国済寺があり上杉謙栄が開いたお寺で、総門、三門、本堂が一直線に配置
された美しい禅宗の建物がありました。
庭園から見た本堂の屋根
鐘楼もなかなか趣がありました。
11:00 深谷宿の江戸(東)口にある常夜灯と1.7キロ先の深谷京(西)口の常夜灯、どちらも中山道
最大級で高さが4メートルもある立派なものでした。
12:00 深谷宿に入ると旧家や土蔵造りの建物、レンガ造りの旧商家や和洋折衷の家、また酒屋さん
も数件みられました。
この辺りが深谷宿の本陣や脇本陣があった辺りで、JR深谷駅にも近い場所でした。
深谷は明治20年ごろに郷土の英雄渋沢栄一(新一万円札の顔に予定)が日本で最初の機械式煉瓦製
造工場を設立し、東京駅のレンガもココ深谷で製造されたものなのだそうです。
また、深谷の地名はここ街道にかかる行人橋を流れる唐沢川のかっての深い谷に由来しているのだそうです。
今までの街道は広い道路が続いていましたが、標識を見落とさないように歩かないと、行き過ぎたり
曲がりそこなってしまいそうになるので、気を付けて進まなければならないことが多くなりました。
14:00 ぐっと道幅が狭くなり、坂を下ったところに八坂神社の庚申塔群があり、幕末の万延元年に
建設された百庚申で、当時の世情が騒然としていたことが偲ばれるものでした。
14:15 新しい17号線のバイパスを横断すると小山川にかかる滝岡橋を渡ります。小山川は秩父を
源とし、利根川に流れる川で、遠くには日光山系や赤城山系を見ることができました。
一面のネギ畑、ここは深谷ネギの名産地、そして北関東のからっ風も有名で、家の外を防風林で囲っ
ている家が目立ちました。
街道はしばらく小山川沿いに進んでいきます。
15:15 立派な長屋門のある医院。かっては武蔵(武州)と上野(上州)との境で立場だったのだ
そうです。
この先、道は二手に分かれます。國境に建立された傍示堂跡の右は五科道、左は中山道
御堂坂は比較的交通量も多く、本庄市街地が近いことがわかります。
本庄駅には午後4時を回っていました。(32000歩、約21キロ)
次回からは日帰りはきつく成りそうなので、いよいよ1泊から2泊への旅となりそうです。