今年最後の街道歩き、なかなか夫との休暇が合わなかったり、また今年は度重なる異常気象に予定の変更を余儀なくされたり、思ったより進まなかった中山道ウォークでしたが、なんとか来年に繋げて行きたいと思っています。
早朝6時50分東京駅発の東北新幹線で軽井沢駅に下り立ったのが8時10分
8:15身支度を整えて、先回の終着ポイント「六本辻」の交差点に着きました。
ラウンドアバウトの信号のない環状交差点です。
街道の両側は見事に紅葉していました。
林の中に別荘地が点在し、すっかり紅葉して枯れ葉がはらはらと舞い落ちる様は
なんとも気持ちがよく快適なウォーキングをスタートすることができました。
9:00 この奥に市村記念館 総理大臣を務めた近衛文麿の別荘跡があるようです。
9:20 浅間山に源を発し、千曲川に流れる湯川
この橋を渡ると「沓掛宿」の入口となります。
9:25 沓掛宿 本陣1 脇本陣3 旅籠17
沓掛と言う名前は「わらじ」を履き替える場所のことをいい、
京都からは碓氷峠を控えていたので、このような名前が残っているのでしょうか。
9:35 脇本陣鳶屋跡(しなの鉄道 中軽井沢駅近く)と草津道道標
側面に「右くさつへ」と書かれている 草津温泉へは十里の道のりだったとか
宿場はこのあたりまでで、国道を左手の道に入って行くと登り坂になり古宿(ふるしゅく)と呼ばれる村落に入ります。なかなか長い登り坂が続いていました。
10:30 遠近(おちこち)宮
伊勢物語の在平業平がこの神社を詠んだと言われています
フカフカと落ち葉が積もっていました。
この辺りは旧借宿村と言われ、間の宿で賑わっていたようで馬頭観音などが多く残されていました。
11:00 追分宿 本陣1 脇本陣2 旅籠35
名前の通りに中山道と北国街道の「追分」で、当時はとても繁栄していたと言われています。
浅間神社、常夜燈を過ぎると堀辰雄文学記念碑があり、この辺りの紅葉はみごとでした。
この一帯が軽井沢の文教地区とも言われているのも納得のいくものでした。
11:10この先の泉洞寺の紅葉は見事でした。
11:25 枡形の近くにあった茶屋で「桝形茶屋つるがや」で現在でもほぼ原形を保っています。
11:25 分去れの碑 追分発祥の地とも言われています。
常夜燈には「是より左伊勢」
道標には「さらしなは左みよしのハ左にて」と
更級(千曲市)と吉野(奈良)の方向を示しているものです。
まもなく、追分から左手にはいり、ひなびた街道はゆるやかなアップダウンを繰り返します。御代田地区に入ります。ここ御代田には、6年前に近所のウォーキング仲間が移住した場所であり、メールでお昼ごろ御代田の一里塚近くを通過することをあらかじめ伝えてあったので、友人が迎え出ていてくれました。
中山道は、しなの鉄道御代田駅と交叉していて、彼女の家はこの近くにありました。6年ぶりの再会に彼女の近況や新しい生活など思わずおしゃべりに花が咲き、2時間半の大休憩となりました。
浅間山がくっきりと姿を現し、友人と食べたお蕎麦のおいしかったこと
15:00 小田井宿 本陣1 脇本陣1 旅籠5件
小さな宿場で飯盛り女もなく婦女子の宿泊が多いところから姫の宿と呼ばれていたそうです。
街道沿いには往時をしのぶ白壁や赤松が残っていました。
上の問屋と下の問屋 静かな街並みでほとんど人通りもありませんでした
15:45 小田井宿を過ぎると人家が途切れ
街道沿いに畑やリンゴ園が広がり周りの景色も後方に浅間山、前方に蓼科山連峰がみえました。
16:10 岩村田宿の江戸(東)口
日没前の住吉神社と境内の樹齢400年のケヤキ
この日のゴール岩村田宿につきました
宿泊した佐久ホテルは文人も多く泊まったようで、葛飾北斎や若山牧水、小林一茶などの
名前が刻まれていました。
名物は鯉料理、鯉こくや鯉の刺身などが夕食にだされました
(次の日に続きます)