中山道街道歩きも、道中最大の難所「和田峠」越えを目前まで歩いたのが昨年の11月。厳しい冬を回避して、この春再開する予定でしたが、誰も想像することができなかったコロナによる自粛生活。再スタートすることもできずに11カ月が過ぎてしまいました。
やっと衰えた体力を奮い立たせて先回の望月宿から旧中山道ウォークを繋げることにしました。
先回は新幹線の佐久平から帰路に着いたので、今回は佐久平のホテルに前泊して翌日(10月1日)に再スタートを切ることにしました。
前日はお昼に佐久平に着きそのまま小諸線に乗り換えて、小諸の「懐古園」を訪れました。
秋の空は高く爽やかで、巡る季節に変わりないことにほっとしますが、このウィズコロナの状況下では、人々はみなマスクをして行く先々で手洗いと消毒を心掛け、新しい生活様式のコロナ時代であることを旅先でも実感しました。
まだ子供が小さかったころに蓼科山の帰りに懐古園に立ち寄った記憶はあったものの、当時は園内の遊園地と動物園の記憶のみで小諸城の記憶がほとんど残っていなかったので、とても楽しみにしていました。
懐古園は小諸の駅前から城郭がはじまります。
大手門は小諸駅を挟んで懐古園とは反対側にあり
「瓦門」とも呼ばれ、国指定重要文化財になっています。
線路を越えて寄木造りの二層の城門「三の門」を潜ります。
正面にある「懐古園」の大額は徳川家康の筆と言われています。
小諸と言えば島崎藤村の千曲川旅情ぐらいしか知らず、今回はこの島崎藤村の小諸での軌跡を知ることができました。
島崎藤村は恩師である小諸塾の塾長木村熊二のすすめで、明治32年から約6年間に渡ってここ小諸塾に赴任して国語と英語の教鞭を執っていました。
小諸義塾記念館では、当時の教育へ傾けた教育者の資料が揃い、その情熱の深さを感じることができました。
藤村記念館
黒門橋と北丸跡の弓道場
紅葉には早かった様ですが楓に覆われ紅葉の頃は素晴らしいと思います
天守閣は寛永3年の落雷で焼失した後、
徳川の政策により再建されなかったため現存するのは天守台のみ
写真からは少し無理のある
「小諸なる 古城のほとり 雲白く 遊子 かなしむ」
水の手展望台からは千曲川が見えました
夕方には佐久平のホテルに戻り、翌日の街道歩きのコースタイムなどを確認しました。