中山道ウォークも2018年秋に日本橋を出発してからちょうど2年、前回で江戸日本橋より48里目(中山道は67宿、139里)を通過し、この2年間でやっと道中3分の1をを通過したことになりました。
街道の中でも、もっとも長い中山道を歩こうということ事態、当初は実行不可能かと思ったのですが、今回中山道最大の難所和田峠を越えるところまで行けたことで、もうリタイアはなくのんびり京都を目指すしかないかと思うようになりました。
10月17日 JR長野新幹線東京駅7:26発、上田駅には9:01着でした。その後バスを2回乗り継いで、前回の宿場長久保のバス停(四拍)に着いたのが10:43、なんと自宅を朝6時に出てから5時間弱かかったことになります。
長野県長和町の天気予報は、2,3日前までは「曇り時々晴れ」の天気予報だったのに、着けば本降りの雨、こんな遠くまで来てしまったのだからもう前へ進むしかありません。
身支度を整えて11:00スタート
この日の予定は和田峠の麓まで。翌日峠を越えて下諏訪へ下りるためには、和田宿近辺で1泊しないと下諏訪までの長い距離を1日では歩くことはできないと判断しました。数年前までは和田宿の旅籠が宿を提供していたようですが、現在は民宿1軒のみ。すでに予約をしてあったので、まず民宿によって荷物を置きリュックの中を軽くして出発することにしました。宿の主人が行けるところまで行ったら、夕方には車で迎え、翌日にはまたその場所まで送ってくれるというサービス付き、ほんとに現代人ならではの峠越えと言えます。
12:00 民宿「みや」を出発
空は重そうな雨雲が覆い、雨が上がる気配はまったくありません。
12:20 青原地区
馬頭観音群
国道142号線は交通量も多く水しぶきも容赦なくかかってきます。
茅葺屋根のバス待合所
青い中山道道標が目立ちます。
行く先々で、この道標が中山道を間違えなくエスコートしてくれます。
(これは長野県管轄か、岐阜県に入ると違う道標になるのかな?)
12:35 旧和田村
良質な土壌を生成するミミズに感謝する「ミミズの碑」
石仏石塔群
このあたりからトレッキングシューズを履く私の足元が・・・。靴の底を見ればなんと穴が、ここから雨水が入り靴下は見る見る濡れてもう惨めなこと、長年履き慣れているとは言え、靴底の点検を怠ってきたことに後悔!足はどんどん冷えてきて、なんとか次の和田宿で雑貨店を見つけて長靴でもあればと一縷の望みをかけて歩きました。
13:07 49里目の上組の一里塚跡
13:30 和田宿へ入る
「是より和田宿」と書かれた自然石
八幡神社 茅葺きの入母屋造り
14:00 和田宿街並み
和田宿は約1600メートルの中山道最標高の和田峠を控え、次の宿場下諏訪宿まで約22キロあったために多くの旅人で賑わい旅籠も28件もあったようです。いまでも面影の残る建物が多く、その街道筋は当時にタイムスリップしたようでした。
江戸時代には質屋と両替商を営んでいた
今でも「よろずや」と呼び、店の主人は「昔でいうコンビニ」ですと
懐かしい看板 赤い長靴 ティータイム
街といっても、人っ子一人歩いていません。この雨ですから・・・、私はなんとか雑貨店らしい店を探し、店番をしていたおじいさんに女性物の長靴がないか聞いてみたところ、奥からつぶれた箱の中から真っ赤な長靴を持ってきてくれました。それは30年以上も昔に履いたようなデザインで、「どうせ売れないから500円でいいよ」と、「これで半日は歩ける」捨てる神あれば拾う神ありの心境で喜びました。
暖をとるために入った休憩所で飲んだ珈琲についていたお菓子は、この地域の特産ダッタンそば粉で出来た蒸しケーキ
和田宿本陣跡
皇女和宮も宿泊したという上段の間などは失われてしまったが、本陣跡として公開されています。
街は本陣のある中町を中心に問屋・本陣・脇本陣・木問屋などが集中し、旅籠や茶店、商屋などで賑わっていたようです。
建物は1階より2階が出ている出梁つくりの格子がついています。
15:00 鍛冶足の一里塚跡
和田宿を過ぎて、国道142号線との交差点に50番目の一里塚跡があり、その後旧道は依田川沿いの細い道に入っていきます。
村落の循環バスは一日に数本、和田峠の入口近くまで来ているようでした。
雨はいよいよ激しく唐沢地区に入っていきました。あたりも薄暗くなってきたので、民宿に電話をして迎えに来てもらいこの日の行程を終えました。
民宿ではとても暖かいもてなしを受け、この日の同宿者は3組でした。翌日和田峠を越える予定は私たちを入れて2組、宿の主人に熊と出合った場合の対策など、いろいろ話を聞いて翌日に備えました。(続く)