小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

第17回中山道ウォーク(伏見宿~太田宿~鵜沼宿)第1日目(11月26日 晴)

2021-12-04 | 街道歩き

前回の中山道はアップダウンも大きく体力もそれなりに消耗しましたが、ヤッターという気持ちもありました。
3日間歩くことにちょっと自信がついて、そこで2人の年齢を考えると、体調のいい時に少しでも中山道を先へ進めようと言うことになり、本格的な寒さが来る前に今回も2泊3日で決行することにしました。

11月26日 新横浜発7:21の新幹線ひかりで名古屋経由、名鉄広見線で「明智駅」に10:18着
この明智という地域は明智光秀生誕の地でゆかりの史跡も多いようでした。

10:30本陣跡スタート
伏見宿は木曽川を控えて、荷の集積地として、また「太田の渡し」の川止めなどが続くと
賑わっていたようですが、本陣1の小さな宿場町です

正岡子規は松山への道中、伏見宿に泊まり句を残しています

11:00 上恵土神社
神明神社と白山神社が合祀されていて、常夜灯が二つ並ぶ鳥居がありました

11:20 恵土の一里塚 
江戸日本橋より九十七里目 碑には「これより30メートル先」と刻まれています
なぜかこの先の一里塚には当時の雰囲気を残す一里塚が少なかったように思います

12:00 ランチ
しばらく交通量の激しい国道20号線を歩きます
今までランチには用意してきた(朝、コンビニで調達)サンドウィッチやおにぎりを食べることが多かった
のですが、さすが交通量が多いだけに、大手チェーンのレストランも多く、私たちは久しぶりにマックに入り
ハンバーガーとサラダのランチを取り、しっかりここでスマホの充電もできて助かりました        

12:45 太田橋
「今渡の渡し」はかって宿屋や茶屋が軒を連ね賑わっていたようです
昭和2年までは渡し船で木曽川を越えていたと記録にも残っています
「木曽の桟、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と言われた中山道三大難所の一つでした

現在は交通量も多く車道のわきに人橋もあって難なく越えることができます
が、さすがに長い川幅でした
渡った対岸は「太田の渡し」と呼んで、太田宿に入ります
しばらく豊かな水量を湛えながらゆっくり流れる木曽川の土手を歩きます

13:15 古井の一里塚 土手下に江戸日本橋より九十八里目の一里塚跡がありました

木曽川の土手から下りて宿場に入ります
太田宿は古い町並みや枡形が残り、宿場の雰囲気もよく残っていました(花屋さんも古民家風)

13:45祐泉寺
宿場の火事でも焼失を免れた「火伏観音」があります
境内に芭蕉の句碑や坪内逍遥、北原白秋の歌碑が残っていました

14:00 古い町並み
永楽通宝の看板のある民家 江戸時代には茶屋と酒の販売を営んでいたそうです

旧太田脇本陣「林家住宅」 板垣退助がここに投宿した翌日岐阜で暗殺された

本陣の先の西の枡形を折れ木曽川の土手にもどり
日本ライン下りをまたしばらく歩きます
対岸は奇岩と紅葉が美しく日本ライン下りの趣がでてきました

この土手道は日本ラインロマンティック街道と呼ばれて
飛騨木曽川国定公園の景勝地となっているそうです。

15:30 岩屋観音
この土手道の終点から国道に戻り、しばらく歩くと右手に岩にへばりつくような細い道に入ります
さぞ当時は木曽川の川岸は難路だったのだろうと思います
やがて右手に「岩屋観音」があり、岩窟の中に観音堂がありました

15:40 うとう峠入口
線路踏切入口に見落としてしまいそうな案内板「うとう峠入口」があり
ここは単線の線路を渡るしかありません。鬱蒼とした山道に入ります
ところがここで大きな間違い、すぐにまた「うとう峠」という案内板に従って
丸太の階段状の山道を直登してしまいました

こんな急な山道が続くのかと・・・
それでも両側の木々に道しるべの赤いひもが結んであったので間違いないと思いました
ところが山の頂に出ても標識はなく道を見失ったかと思いましたが
また赤い道しるべに沿って、下りると中山道の「うとう峠」に出ました

16:40 うとう峠の一里塚
どうも山に沿って回っていた道を峠越えしてしまったようでした
この間30分ほどでしたが、日暮れが迫って辺りが薄暗くなって、とても心細い思いでした

鵜沼宿の入り口で日も暮れました
この日はJR高山本線で鵜沼駅から美濃太田駅戻りホテルに入りました
(総歩行数 36443歩)

コメント (2)
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