小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

第17回中山道ウォーク(鵜沼宿~加納宿)第2日目(11月27日 晴)

2021-12-06 | 街道歩き

8:30 鵜沼宿スタート
前日はとっぷり日も暮れていたので「鵜沼宿」の道標に気が付きませんでした。

JR鵜沼駅よりスタートですが鵜沼宿の入り口に戻ります。高札場が復元されていました

9:00 鵜沼宿の街並み
常夜灯の脇に大きな柳の木があり、宿場の中心に入ります
町は明治24年の濃尾震災で壊滅な被害にあったものの
その後再築されて当時の面影を残す雰囲気のある町でした

立派なうだつの上がる商家と菊川酒造
明治4年の創業の菊川酒造の倉庫群は登録有形文化財となっています

9:20 茗荷屋梅田屋住宅
濃尾地震の壊滅的打撃の中で唯一残った旅籠

9:45 衣装塚古墳
宿の西出口先に岐阜県最大の円墳がありました(円墳としては県下最大)

10:00 津島神社と皆楽座

鳥居奥の拝殿で村芝居が上映され
回り舞台は文化財になっているのだそうです

まもなく国道21号と合流し、歩道もない交通量の激しい道路を進みます。この辺りの地名を各務原(かがみはら)市と呼び、往時は鵜沼宿を出ると加納宿まで一面の野原だったそうです。現在は幹線道路となって食事をするところも多く、少し早めのランチをゆっくり取りました。(昨日の疲れか、二人ともあまり調子がでてきません。休むところがあるとすぐ休みたくなります)
三柿野超交差点で国道とのY字路となり、旧道に入り交通量がだいぶ少なくなった気がしました。

12:30 六軒の一里塚跡
この辺りは「六軒茶屋」と呼ばれています
茶屋が六軒並んでいた名残から、ここの一里塚を「六軒一里塚」と呼びます

先の神明神社の馬頭観音は三面六臂の穏やかな顔でした

13:20 各務原市民公園
中2日目ともなると、なんとなく歩く足も重くすぐに休みたくなります
今までのような山の中ではなく、広い道路の街中を歩いているせいかもしれません

旧岐阜大学の敷地跡が市民公園となっていて、ここでまたゆっくり休憩をとりました
メタセコイアの黄葉が素晴らしかったです

13:50 新加納宿場
鵜沼宿と加納宿間が四里十町(17.4km)もあったことから休憩所を設ける必要があり
間の宿として新加納宿と立場がありました


15:30 庵看板と細畑の一里塚
旧道を進み長森細畑を過ぎたあたりに、廂の上に由緒ある古い看板がありました
ほとんど読めなかったのですが「明治水」と記されているようです
庵看板(いおりかんばん)というのだそうです

江戸日本橋より百五里目  珍しく両塚が残っていました

15:40 伊勢道追分 長屋門
旧道はやがて二股に出て、延命地蔵堂のとなりに「左 伊勢名古屋ちかみち 右 西京加納」とありました

先の「領下」という集落には立派な長屋門もありました

16:00 加納宿碑
陽も傾き始め、小春日和の暖かだった日差しも寒さを感じる頃
いよいよこの日の最後の宿場、加納宿に入ってきました

「御鮨街道」とも呼ばれているこの道は、
長良川で獲れた「鮎のなれ鮨」を将軍家に献上する主要路であったところから

16:15 加納宿東番所跡
現在のJR岐阜駅の南側が加納宿にあたり宿の東の入口は6つの枡形になって
宿の東西には番所が設けられていました

浄土真宗本願寺派の善徳寺

中山道加納宿の中心に差し掛かってきましたが
JR岐阜駅にも近く宿泊予定のホテルも近かったので
この日の行程をここまでとしました。(総歩行数:32474歩)

コメント (3)
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