暑さ寒さにめっぽう弱い現在の旅人は、秋の深まりとともに今年最後のの中山道ウォークを今回最後と決めて、11月3日から2泊3日の3日間で下諏訪宿から宮ノ越宿まで、先へ進めることにしました。
11月3日下諏訪宿~洗馬・11月4日~奈良井宿・11月5日~宮ノ越
新宿発7:30発のあずさ3号で下諏訪駅に着いたのが10:01 この日は諏訪大社下社「秋宮」と「春宮」を結ぶ中山道一帯でいろいろなイベントがおこなわれていてとても賑やかでした。
私たちは前回の到達点「諏訪大社下社春宮」までタクシーで行き、スタート地点としました。
10:20 来迎寺
ここは和泉式部の伝説が残るお寺で、心優しい娘が主人の怒りにふれてその額に火箸を当てられ地蔵にすがりつくと、その傷は地蔵の額に移り、娘の額の傷はなくなったという伝説で、その後その娘は和泉式部になったと境内の案内板に書かれていました。
境内のモミジの紅葉がちょうど見頃でした。
甲州街道との分岐点
この辺りが宿場の中心地で、旅籠跡など当時の面影を感じることができます
11:20 旧渡辺家住宅
やがて細い道路の両側には綺麗に刈り込まれた生垣の住宅地が続き、旧家が目立ちます。
高島藩の敷居武士の住居跡
江戸の時代に上級の民家だけに許された「雀おどり」の棟飾り
11:50 東堀の一里塚跡
国道20号線を横切ると、江戸日本橋から56里目の一里塚が笹の植え込みの中にあり、うっかりすると通り過ぎてしまいそうでした。
12:10 今井番所跡碑(屋敷は国登録有形文化財)
西に塩尻峠を控えていたので、四ツ家立場と呼ばれて賑わっていました。
今井氏が茶屋本陣を務め、皇女和宮が休息し「明治天皇今井御休憩所跡」碑もありました。
まもなく中山道碑
「右しもすは左しほじり峠」と刻まれています
12:40 軽く腹ごしらえ
いよいよ塩尻峠の登り坂に差し掛かっていきます。お腹を満たしてから熊除け鈴を出し、今回は電波も届くようだったので熊除けにスマホのラジオをつけていざ出発!
13:00 大岩
諏訪七不思議のひとつ
高さ2丈(約6m)、幅2間(約3.6m)と書かれていましたが、長い年月に風雨にさらされ小さくなってしまったのでしょうか。
急坂ながら、辺りの黄葉に目を奪われ、ほどなく頂上に着くことができました。
13:25 山頂展望台
晴天のために手前に諏訪湖、遠くに北アルプス穂高連峰が眺望できました
13:40 東山の一里塚 江戸日本橋より57里目 片方ですが塚を残しています。
14:00 柿沢地区
ここにも「雀おどり」の棟飾りを上げた旧家と「お女郎道祖神」
ほどなくして塩尻宿入口に入っていきます
14:40 三州街道碑と五千石街道碑
伊那飯田を経由して三河に至る南の塩の道
松本を経由して糸魚川にいたる北の塩の道
14:50 小野家住宅
宿場のほぼ中央に昔のままに残る旧旅籠屋「いてふ屋」(国の重要文化財)
このあたりから、本陣・脇本陣・陣屋・立場などの碑が立っていました。
「雀おどり」が美しい堀内家住宅
本棟造りの家屋は国重要文化財
この先、国道と合流した先にある塩尻橋を渡ると、この日の宿泊場所塩尻駅に続くのですが、もうひとつ先の洗馬宿を目指し少し先を稼ぐことにしました。
足はだいぶ疲れてきましたが・・・
16:00 平出の一里塚
中央本線のガードをくぐると、道路を隔てて右側には広大な敷地の昭和電工の工場が続きます。
その工場が切れたあたりに平出の一里塚が両塚とも現存された状態で残っていました。
陽もだいぶ傾き始めています。
洗馬宿に続く1本道は道路の両側に広いブドウ畑が広がっていました。ワイナリーも点在してこの辺りが有名な塩尻ワインの生産地であることを、その日の夜に飲んだワインが塩尻ワインであることでわかった次第でした。
16:20 「中山道一里塚」という信号で大きな国道と合流しました。わずかに旧道の痕跡が残るガソリンスタンド裏から交差点を渡るといよいよ「洗馬宿」に入ります。
雲の合間に沈んだ太陽
夕暮れの中に善光寺西街道の追分碑が佇み、いよいよ第1日目の行程の終了です。
17:17 洗馬駅
第1日目の宿泊先を塩尻駅近くのホテルに予約してあったので、中央本線で一駅戻りました。
洗馬駅は無人駅で電車のドアも自分で開け、整理券を取って降車駅で支払うというもの、洗馬駅では学生らしい2人が下りて、乗ったのは我々2人だけでした。
「雀おどり」!本で読んだことはあるんですが、実物を初めて見ました。かなり感激です。(自分の目で見たわけでもないのに)中山道って、昔の面影がかなり残っていて、写真を拝見するだけでも昔にタイムスリップしたようです。楽しい想いをさせていただきました。
ちょうど紅葉が見ごろだったんですね。塩尻峠からの景色が素晴らしかったです。