全国に8つもあった国鉄(JR)の印刷場(乗車券管理センター)は既に全廃されて久しく、現在、"本物"の硬券製造の現場を見ることは非常に難しくなっている。しかし、地方の中小私鉄の一部では今も硬券が日常的に使用されており、わずかに残っている"乗車券専門印刷会社"を中心に、細々とではあるが硬券の印刷・製造は続けられている。
まず地紋様の印刷
製紙会社から送られてくる硬券の原紙(板紙)サイズはA・B・C型が 400 X 535 *1)mm、D型が 400 X 550 mm、厚さが約 0.6 ~ 0.7 mm の特注上質紙(「旅客営業規則取扱基準規程」第179条によると「11号以上の厚紙」)で、まず最初に、この板紙全体に地紋様(正確には「字模様」)を印刷する。国鉄券の場合、硬券に使用されるのは「一般用」と呼ばれる「こくてつ/JNR」と機関車の動輪をデザインした地紋様で、原版(活版)は大蔵省(現・財務省)造幣局が製造し、かつては1日の作業終了毎に所定の金庫へ厳重に保管されていたという。やや遅れて、昭和42年頃からは「特殊用」と呼ばれる自動券売機や印刷発行機(軟券)などの"外注用"地紋様も出現するが、その背景には「大切な"一般用"原版を外部に持ち出したくない」という配慮があったと言われている。しかし、現在では写真製版の技術が非常に進歩しているので、"透かし"もないこの程度の地紋様を精密に複写することは造作もなく、その気になればコンピューター制御の精密機械を使って活版自体をコピーすることも十分可能ではないかと思われる。また、国鉄券の印刷に使用されるインクも特注品で、「インク消しを使うと地紋様まで消えてしまう」工夫がなされていた。今までに淡赤色・淡紫青色・淡緑色・淡黄色・淡褐色の5色が知られているが、淡黄色は旧1等券廃止と共に消滅し、淡褐色は"閑散期割引"の指定券類など特殊な用途に限られており、日常よく見掛けたのは前3者の地色である。
なお、私鉄の場合も、かつては国鉄の製法に倣ったものと思われるが、今もすべての会社で凸版機を使って地紋様を印刷しているのかどうかはよくわからない。以前は鉄道会社毎に社章や社名をあしらった独自の地紋様も多かったが、近年は"民鉄協会などの共通地紋"(「JPR/てつどう」「HPR/してつ」「TTD/てつどう/TETUDO」など)に換えた例が多いという。また、昔は国鉄の印刷場に印刷製造を委託した例もあり、稀に「こくてつ/JNR」地紋の古い私鉄券(下)を見掛けるのはそのためである。
板紙の裁断
板紙を各乗車券類のサイズに裁断する。まず、板紙の長辺をA・B・C型用ならば約 57.5 mm 毎に9つ、D型用ならば約 88 mm 毎に6つ(?未確認)に切断して細長い板状にする。これを"大裁(おおだち)"という。(「9等分」「6等分」と書かないのは、板紙の左右1cm程度を切り捨てるためで、これは恐らく地紋様の印刷不良が生じやすい両端を取り除くと共に券紙の横サイズを正確に揃えるための工夫と思われる。) "大裁機"はこの工程のためだけに独立して存在しており、機械自体はモーターで駆動するが、給紙は"手差し"で行うため、刃を傷めないようスムースに裁断するには熟練を要するとのことであった。
次に、大裁した板紙を束ねて"小裁機"のほうへ今度は90度回転して横向きにセットし、1枚ずつ一気に各硬券の縦サイズ幅に切り分ける。これを"小裁(こだち)"という。1回の小裁でA・D券ならば13枚、B券ならば15枚、C券ならば6枚(?未確認)を同時に断裁できるが、板紙のサイズ 400 mm を13等分すると約 30.8 mm、15等分すると約 26.7 mm、6等分すると約 66.7 mm となり、「旅規」の規定よりかなり大きくなるのは、やはり小裁の際に板紙の片端(?)を一部分切り捨てるためである。とりわけC券は、この小裁によるロス(無駄に廃棄される部分)が非常に大きいことが後々廃止となる一因になったと言われている。("裁断ミス"も多かったという。) また、B券は、券紙を節約するために昭和3年頃に当時の有楽町印刷場(後の東京印刷場)で初めて採用された規格で、わが国以外ではほとんど見掛けることはない。(昭和15年鉄道省製作の「乗車券」という記録映画を見ると、小裁機が約0.5秒に1回のハイスピードで次々と15枚のB券を排出するシーンが撮影されている。)
なお、「旅客営業規則」第189条の規定では、A型が 5.75 X 3 cm、B型が 5.75 X 2.5 cm、C型が 5.75 X 6 cm、D型が 8.8 X 3 *2)cm (但し、昭和36年頃以前は"3"が"3.03"、"6"が"6.06")となっているが、筆者のコレクションで実際に国鉄(JR)券を計測してみると、縦サイズはかなり正確でも、横サイズのほうはどういうわけか 0.5 mm 近くもオーバーしているものが少なくない。(エドモンソンの規格が日本に入ってきた際の"inch -> cm 換算に因る誤差の名残り"ではないかとも思ったが、1 inch は 2.54 cm なので、例えばエドモンソン規格のA券横サイズ"2 + 1/4"inch は 5.715 cm となり、むしろ短くなければならず辻褄が合わない。) また、私鉄券の場合も概ね同様の傾向はあるが、稀に横サイズが 0.5 mm どころではなく異常に長いものも見受けられる(下)。こうした券は裏面の"券番"が通常のものではない"半硬券"に多く、乗車券専門の印刷会社で調製されたものではない可能性が高い。
最後に、大裁・小裁が終了した乗車券類の原紙を肉眼で念入りに点検する。地紋様が正しい地色で鮮明に印刷されているか、裁断不良の券が含まれていないかなどが主なチェック項目になると思われる。
券面の印刷
点検が終了した原紙を束ねて"乗車券印刷機"にセットし、1枚ずつ券面に必要事項を印刷していく。乗車券印刷機は原則としてA・B・C・D型それぞれの専用機が必要だが、中には部品を交換することによりA・B両方に対応できるように改造されたものもあった。また、「近藤書」によるとC型用の印刷機はすべて戦前製で、C券の廃止により次々に廃棄されてゆく中、昭和の末期までなんとか運転可能な状態にあったのは東京乗車券管理センターの1台だけだったという。いずれも東京の"国友鉄工所"製がシェアの大半を占めていた模様だが、硬券の発行が下り坂になった昭和50年代頃には早くも製造が中止された模様。
所定のサイズに裁断された原紙を乗車券印刷機の右側にある"送り筒"に重ねてセットした後、機械を始動すると1枚ずつ"玉突き状"に中央の印刷コーナーへ原紙が送られる構造になっており、ほぼ同時に鉛の活字が組み込まれた金枠を上下からプレスすることにより印刷が行われる。インクは印刷機の動きに合わせ、背後にある容器からローラーを使って自動的に供給される仕組みになっている。印刷は、①裏面の券番 ②裏面の発行駅名・注意事項など ③表面 の順に高速で行われ、最後に乙片の綴じ穴まで穿孔して、左側にある"上げ筒"に送られる。1分間の印刷能力は最大350枚程度、電子制御装置が組み込まれた末期のモデルでは"包装"まで自動で行うもの、"送り筒"に原紙がなくなると自動的に機械が停止するものまであったという。なお、普通入場券の"赤線"や「小」「職」などの"影文字"、昔の急行券に見られた"赤斜条・赤縦条"などは、地紋様を印刷した後、裁断される前に加刷されるのが普通だが、東京・門司印刷場だけは"赤縦条"もこのステップで印刷されたことが知られている。
最後に、小面印刷が終了した乗車券類を再び肉眼で念入りに検査する。印字が鮮明に行われているか、誤植はないかなどが主なチェック項目になると思われるが、実際には"笑ってしまうようなミス券"が堂々とパスしてしまうケースも多く、珍しいものはマニアの間でもかなり高額で取引されている。
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