観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

湯田村駅 福塩線

2012-08-04 07:16:37 | JR西日本福塩線 / 伯備線 /境線

湯田村駅(ゆだむらえき)駅名の由来ですが「湯田村地名由来の「日当たりがよくて水温む田」説を裏書きするかのように、 平地に点在する農業用溜め池九つを数えた。 山腹には大山神社の石碑もある。伯耆大山を御神体とする牛供養と豊作祈念の大山信仰が、 山陰地方や備北一帯のみか備南にも普及していた歴史を窺わせる。 雑草や樹木を焼け焦がした野焼きの跡が頂上の一角に見えた。 驚いたことに焼け焦げた幹を支えとしながら、瑞々しい緑の葉冠を茂らせた若木がすっくと立っている。 焼け傷ついてもなお、冬枯れの大地と天に生命の炎を詩いあげる意志だ。 しなやかにまっすぐに伸びようとする若木から立ち去り難い思いの耳に、 神辺旭高校の時計塔がチャイムを響かせた。 かつて、「限りなくめぐりあやなす季節の真中 鐘の音は清かにひびく」 とこの高校の校歌(清水凡平作詩、川崎祥悦作曲)に刻んだ詩心をいとおしみながら、 陽射しが与えてくれるほんの少しの温もりさえ容赦なく剥ぎとる風の丘で、 しばらくは、影のように佇ちつくしていた。
毎日新聞 1995.1.26」とありました。

旧行政村の広島県深安郡湯田村でした。昭和29年3月31日神辺町と竹尋村(1941年上竹田村+下竹田村+八尋村)、中条村、道上村、御野村、湯田村が合併して新しい神辺町になりました。平成18年3月1日深安郡神辺町は、福山市に編入し消滅。現所在地は広島県福山市神辺町字徳田です。周囲は住宅地で、最寄に高校が立地することもあり、無人駅としては利用客は多いとの事です。駅は表からはわかりにくい場所です。駅前はそのれなりスペースがあり車寄せには苦労しません。西日本旅客鉄道(JR西日本)福塩線の駅です。

府中方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を持つホームと上屋のみの地上駅(停留所)です。棒線駅のため、福山方面行きと府中方面行きが同一ホームを共用する。かつては交換可能駅ではなかったのでしょうか。


せとうち地域鉄道部管理の無人駅で駅舎はなく、直接ホームへ正面階段で入る形になっています。近年、駅構内照明設備が充実した。自動券売機が設置され、岡山地区でのICOCA導入に合わせて新機種となった。ただし当駅からのICOCA利用はできないため、ICOCAを装填するホルダーと2,000円以上の高額紙幣対応は省かれています。


1914年(大正3年)7月21日 - 福塩線の前身である両備軽便鉄道の開業時に、同線の湯田村停留所として設置。
1926年(大正15年)6月26日 - 両備軽便鉄道が両備鉄道に改称。
1933年(昭和8年)
9月1日 - 両備鉄道の両備福山 - 府中町間が国有鉄道福塩線として国有化。同時に駅に昇格し国有鉄道の湯田村駅となる。
11月15日 - 福塩北線開業に伴い、それまでの福塩線が福塩南線に改称され、当駅もその所属となる。


1938年(昭和13年)7月28日 - 福山 - 塩町間全通により福塩南線が現行の福塩線の一部となり、当駅もその所属となる。
1971年(昭和46年)2月25日 - 無人化(出典:深安郡神辺町『広報かんなべ』1971年2月号)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。

電報略号 ユム
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 573人/日(降車客含まず)
-2006年-
開業年月日 1914年(大正3年)7月21日
備考 無人駅(自動券売機 有)


行政村
地方自治法では、市町村を基礎的な地方公共団体として定める。市町村は広域的な地方公共団体である都道府県と対等の関係にあり、市町村間の関係もまた同様であるが、市と町村では地方議員の定数や福祉事務所に関する規定など法令上その機能に若干の違いが存在する(町と村の機能は全く同一である)。
読み方を「そん」「むら」のどちらに定めるのかは各自治体で規定しており、「そん」で統一されている県、「むら」で統一されている県、「そん」「むら」が混在する県がある。

 

 

 

 


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