
藤枝駅は、静岡県藤枝市駅前一丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅です。藤枝宿場町(北東に約3km)側の北口が表玄関ですが、平成期に入ってからは特に南口の開発が著しく、人通りも増加しています。
藤枝市ですが町制前の名称は青島村でした1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、合併して発足。1922年(大正11年)1月1日 - 青島村が町制施行して青島町となり。1955年(昭和30年)3月31日 - 藤枝町(大覚寺上・大覚寺下を除く)、高洲村、稲葉村、大洲村、葉梨村と合併して藤枝市が発足いたしました。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを有する地上駅。1番線が副本線、2・3番線が本線となっており、1番線は一部の上り普通列車(平日は1日3本、土休日は1日1本)がホームライナーを待避するために使用いたします。この他、数本の側線を持つ。駅の南北を結ぶ橋上駅舎を備えています。
駅長・駅員配置駅(直営駅)。管理駅として、六合駅を管理しています。駅舎内部にはみどりの窓口も設置されています。また、1番線ホームに設置されているレンガ造りの危険品庫は、貴重なフランドル積みの建造物です。
藤枝駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1・2 ■東海道本線 上り 静岡・沼津方面
3 ■東海道本線 下り 浜松・豊橋方面
南北自由通路整備と橋上駅舎改築により、完全バリアフリー化されました。工事により、南北自由通路(パープルロード)に、エレベーター2基、エスカレーター4基、公衆トイレ(身体障害者対応トイレ)2か所、音声誘導システム、休憩コーナー1か所が整備されました。また、橋上駅舎内にはエレベーター1基、エスカレーター2基、トイレ(身体障害者対応トイレ)が1か所整備されました。
1889年(明治22年)
4月16日 - 官設鉄道静岡 - 浜松間延伸時に同線の藤枝駅が開業。所在地は、志太郡青島村となっていた。
4月27日 - 当駅で用便のため下車した宮内省御料局長官の肥田浜五郎が走りはじめた列車に飛び乗ろうとして転落死。当時は列車にトイレはなく、初めてトイレが付いたのは同年5月10日。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年に東海道本線に改称)の所属となる。
1913年(大正2年)11月16日 - 藤相鉄道(後の静岡鉄道)の藤枝新駅が開業。
1914年(大正3年)9月3日 - 藤相鉄道 藤枝新 - 大井川間が開業。
1956年(昭和31年)1月1日 - 藤枝新駅が新藤枝駅に改称。
1970年(昭和45年)8月1日 - 新藤枝駅廃止(静岡鉄道駿遠線廃止に伴う)。
1986年(昭和61年)11月1日 - 車扱貨物・チッキの取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる。
1992年(平成4年)12月12日 - 自動改札機を導入。[要出典]
2004年(平成16年)4月21日 - 市制50周年記念事業としての藤枝駅南北自由通路整備事業が始まり、起工式が行われる。
2005年(平成17年)8月2日 - 南北自由通路が先行開業。
2006年(平成18年)9月 - 橋上駅舎・南北自由通路落成。
2006年(平成18年)9月 - 改修された駅舎北口供用開始。
2008年(平成20年)3月1日 - TOICAのサービス開始。
肥田 浜五郎(文政13年(1830年)1月 - 明治22年(1889年)4月27日)は、豆州肥田氏の末裔で幕末期の幕臣、技術者、明治期の官僚。長崎海軍伝習所第二期生。諱は為良(ためよし)。明治22年(1889年)4月27日、藤枝駅で走りはじめた列車に飛び乗ろうとして転落、死去した。当時の列車に便所がなかった為、駅で用を足した後、無理に戻ろうとした為とされる。同年中に列車内への便所の設置が始まっているが、この事故も後押しした。なお日本海軍機関科士官第一号である。
駿遠線は、かつて静岡県中部、藤枝市の大手駅から新藤枝駅(東海道本線藤枝駅前)を経由し、駿河湾西岸、御前崎付近及び遠州灘北東岸を回って袋井市の袋井駅(東海道本線袋井駅前)を結んでいた静岡鉄道の鉄道路線。軌間762mmの軽便鉄道で、線名は駿河国と遠江国を結ぶことから付いた。なお、大手 - 新藤枝間を大手線として区別することもある。元は藤枝からの藤相鉄道と袋井からの中遠鉄道が、静岡電気鉄道(後の静鉄静岡清水線)など他の運輸事業者と戦時統合して静岡鉄道となり、戦後に藤相・中遠両鉄道の末端部をつないで一本の路線としたものである。その結果、大手 - 新藤枝 - 新袋井は全長64.6kmと、軽便鉄道としては日本最長規模になりました。
その複雑な生い立ちと長大さから、使用される車両も引き継ぎ車、静岡鉄道自社製を中心に種々雑多で、鉄道ファンには人気の高い路線だったのですが、モータリゼーションの荒波に抗し切れず、また老朽化した大井川橋梁の架け替えに多額の費用を要することから、全通からわずか16年後の1964年(昭和39年)より区間廃止が始まり、1970年(昭和45年)8月1日付けで全線廃止、バスに転換されました。
電報略号 フエ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 11,470人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1889年(明治22年)4月16日
備考 駅長配置駅(管理駅)
みどりの窓口 有
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