美ヶ原から武石村に下り、長和町に向かった。その目的は・・・今期の春、こちらの「古木・一本桜」
を訪ね歩いていた所、今まで気にもせずに通り過ぎていた宿場町が気になって居たので訪れる事とした
駅前から伸びる宿場町は静か
釜鳴屋の斜め対面の建物は「問屋・小林家」(左)。宿場の草創期から問屋を勤めてきたのだとか。
建物は明治3年(1870)の大火で焼失しその後再建されたものですが、屋根の「六文銭」鬼瓦は、
旧主真田氏との関係が伺えます。
昭和の時代に万年筆の日本ブランドとして世界と競り合った「モリソン万年筆」(現モリソンファクトリー)
の看板がありました・・・ブリキ製ですが
一福処 濱屋 明治初期に建てられた総二階出梁造りの建物は旅籠として造られたのだが、急激な旅人の
減少で開業には至らなかったそうです。今は長久保宿を訪れる旅人の休み処、そして歴史・民族資料館として
一般開放されている。 地元の方たちの「憩いの場」ともなって居るようですね
一福処を出て宿場町を歩いていると、昔の消防リヤカー? が・・・ 風情があって良いですね~
消火栓等も街並みを壊さないような配慮がされており違和感がありません。本陣門の横は『高札場跡』(右)
であるが、真新しい表示板が建てられている。
写真の門は江戸時代末の造営だが、門奥には上段之間・二之間などを含む江戸時代初期に建てられた
御殿が現存しているそうです。この長久保宿本陣は中山道の本陣では最古の本陣といわれ真田幸村の娘が
ここに嫁いでいるそうです。石合家が生活の場としているため一般公開はされていません。
此処も一軒の古民家ですが歴史・民俗資料館として開放
もう一軒自由に見学できる古民家がありました。
素晴らしい欄間ですね~ おや?!5つ玉ソロバンですか~ 昔、我が家にもあったな・・・
何処にいってしまったのだろうか?
松尾神社の本殿は万延元年(1860)に再建されたもので、総ケヤキの高床造り。欄間の竜が見事である。
本殿が柵で守られているため上手に写真に撮ることができないのが残念です。松尾と付くのには日本三大酒神
で官幣大社である松尾大社(京都府京都市右京区)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。
古くから酒造家から信仰の対象となりました。
日本酒好きの私も松尾様にお参りして帰路に着きたいと思います。