今日、12月16日は、「念仏の口止め」の日。
正月の神様(年神様)は念仏が嫌いであるとして、この日の翌日から1月16日の「念仏の口明け」までの1ヶ月間は、念仏を唱えないというしきたりがあり、この日にその年最後の念仏を行う。
昔から一年の中でも個々の行事は特殊なものを除き正月と盆に集中している。農作業の休養の期間と重なった面もあるが、それだけ重視されてきたからである。盆も正月もともに祖霊祭であったといえるだろう。盆は先祖を祭る機会で、一般的には寺院の関与が大きく、仏教的な行事の色彩が強い。それに対して正月の方は、同じ先祖祭であっても故意に仏教色を排除する傾向がみられ、16日を念仏の口明けなどといって、15日までは仏教的な行事をひかえたりしたのではないかと考えられる。
「正月」は「年神(としがみ)=歳神」様を迎えるための祭りであった。
昔は亡くなった人の魂(たましい)が山へと行き山の神様となり、春には里に降りてきて豊作をもたらす田の神様になり、秋には収穫後に山へと戻り、また山の神様になると考えられていた。その山の神様が正月に「年神」となり、子孫のもとに訪れ、豊作と子孫の繁栄を守ってくれると信じられていた。だから、昔から、新年は、その年の新しい年神様を、家族揃って迎える大切な日とされ、年神様を迎え、心も新たに一年を始めようとする思いが、家の内外を清め、飾り付けをし、ごちそうを供えて、新たな1年の安泰と豊穣を祈ってきたのである。
そのため、昔は、12月13日を「正月事始」として早々とお正月の準備を始めた。「正月事始」には、今の大掃除にあたる煤(すす)払いという払い浄めをし、門松の松を山へ採りにいく「松迎え」が行われた。門松は、お正月に年神様が依り代(よりしろ)として降りてきて、一家に幸福をもたらすものである。又、注連飾りは、年神様に神聖な場所を知らせるとともに、魔除けのものでもある。そして最後にお供えものの鏡餅や神酒、おせち料理など用意万端準備を整えて、大晦日を迎えた。
正月元旦の「元」は始め、「旦」は朝のことで、一月一日の朝をさすが、江戸時代までは、日が暮れると新しい一年が始まるとみなされ、元旦も大晦日の夜から始まった。年神様を迎えるために、除夜には寝ないで、家の内外を清め、門松を立て、年棚に鏡餅や洗米、神酒などを供え、一家を代表する年男は一年の邪気を払う若水を汲んできて年棚、神棚、仏壇などに供え、雑煮を作った。このように、大晦日の夜は年神様が訪れるのを待ち、一晩中寝ずに起きていた。この日に早く寝ると、白髪になる、しわが増えるなどといって戒められたものである。
そして、初詣であるが、初詣は、年男が大晦日の夕刻より氏神の社に籠もって、神前にて新しい年を迎える「年ごもり」が起源とされており、昔は恵方(えほう)参りとも言われ、その年の干支に基づくめでたいとされる方向にある神社又、仏閣に詣でたそうである。
元旦には、年神様に供えたものを降ろし、餅、雑煮、お節料理を食べ、新しい一年の健康と幸せを願ったのである。そういえば、昔から、普段、家の中のことなど一切しない親父たちが、仏事や神事など、母親などにはさせずに自分でしていたが、このような祭り事などは一家の長としての男の仕事だったのである。
正月に、子ども達が楽しみにしている「お年玉」は、年神様からの贈り物として、年上の人から年下の人へあげたものであり、今では現金だが、昔は餅(もち)や品物であった。
参考:
お正月
http://www.b-post.com/oosumi/gyouji/gyouji_01_01.html
お正月の豆知識
http://www.iki-iki.net/v3/shogatu1.htm
知る | 白鶴酒造株式会社[歳暮と正月]
http://www.hakutsuru.co.jp/know/guide/14guide.html
正月の神様(年神様)は念仏が嫌いであるとして、この日の翌日から1月16日の「念仏の口明け」までの1ヶ月間は、念仏を唱えないというしきたりがあり、この日にその年最後の念仏を行う。
昔から一年の中でも個々の行事は特殊なものを除き正月と盆に集中している。農作業の休養の期間と重なった面もあるが、それだけ重視されてきたからである。盆も正月もともに祖霊祭であったといえるだろう。盆は先祖を祭る機会で、一般的には寺院の関与が大きく、仏教的な行事の色彩が強い。それに対して正月の方は、同じ先祖祭であっても故意に仏教色を排除する傾向がみられ、16日を念仏の口明けなどといって、15日までは仏教的な行事をひかえたりしたのではないかと考えられる。
「正月」は「年神(としがみ)=歳神」様を迎えるための祭りであった。
昔は亡くなった人の魂(たましい)が山へと行き山の神様となり、春には里に降りてきて豊作をもたらす田の神様になり、秋には収穫後に山へと戻り、また山の神様になると考えられていた。その山の神様が正月に「年神」となり、子孫のもとに訪れ、豊作と子孫の繁栄を守ってくれると信じられていた。だから、昔から、新年は、その年の新しい年神様を、家族揃って迎える大切な日とされ、年神様を迎え、心も新たに一年を始めようとする思いが、家の内外を清め、飾り付けをし、ごちそうを供えて、新たな1年の安泰と豊穣を祈ってきたのである。
そのため、昔は、12月13日を「正月事始」として早々とお正月の準備を始めた。「正月事始」には、今の大掃除にあたる煤(すす)払いという払い浄めをし、門松の松を山へ採りにいく「松迎え」が行われた。門松は、お正月に年神様が依り代(よりしろ)として降りてきて、一家に幸福をもたらすものである。又、注連飾りは、年神様に神聖な場所を知らせるとともに、魔除けのものでもある。そして最後にお供えものの鏡餅や神酒、おせち料理など用意万端準備を整えて、大晦日を迎えた。
正月元旦の「元」は始め、「旦」は朝のことで、一月一日の朝をさすが、江戸時代までは、日が暮れると新しい一年が始まるとみなされ、元旦も大晦日の夜から始まった。年神様を迎えるために、除夜には寝ないで、家の内外を清め、門松を立て、年棚に鏡餅や洗米、神酒などを供え、一家を代表する年男は一年の邪気を払う若水を汲んできて年棚、神棚、仏壇などに供え、雑煮を作った。このように、大晦日の夜は年神様が訪れるのを待ち、一晩中寝ずに起きていた。この日に早く寝ると、白髪になる、しわが増えるなどといって戒められたものである。
そして、初詣であるが、初詣は、年男が大晦日の夕刻より氏神の社に籠もって、神前にて新しい年を迎える「年ごもり」が起源とされており、昔は恵方(えほう)参りとも言われ、その年の干支に基づくめでたいとされる方向にある神社又、仏閣に詣でたそうである。
元旦には、年神様に供えたものを降ろし、餅、雑煮、お節料理を食べ、新しい一年の健康と幸せを願ったのである。そういえば、昔から、普段、家の中のことなど一切しない親父たちが、仏事や神事など、母親などにはさせずに自分でしていたが、このような祭り事などは一家の長としての男の仕事だったのである。
正月に、子ども達が楽しみにしている「お年玉」は、年神様からの贈り物として、年上の人から年下の人へあげたものであり、今では現金だが、昔は餅(もち)や品物であった。
参考:
お正月
http://www.b-post.com/oosumi/gyouji/gyouji_01_01.html
お正月の豆知識
http://www.iki-iki.net/v3/shogatu1.htm
知る | 白鶴酒造株式会社[歳暮と正月]
http://www.hakutsuru.co.jp/know/guide/14guide.html