今日は「昭和の日」
1926(大正15,昭和元)年12月25日、大正天皇が崩御し、皇太子であった裕仁親王が践祚した。
昭和の始まりは、大正天皇の崩御と共にあった。大正15年12月25日午前1時25分葉山御用邸で大正天皇は崩御。翌日(昭和元年12月26日)昭和天皇即位。
昭和(しょうわ)は、日本の元号の一つであるが、東京日日新聞(現在の毎日新聞)は、早くから「新しい元号は『光文』になるらしい」という情報を得ていたため、政府の公式発表の前に「元号は『光文』に決定」と報じた。しかし政府は元号を「昭和」と発表したため、この「大特ダネ」は「大誤報」となってしまい、編輯主幹の木戸元亮は責任をとって辞任した。「光文」は新元号の候補の中にあったが、政府内では既に「昭和」に決定していた。しかし、東京日日新聞の報道から政府の公式発表までの時間があまりに短かったことから、「元々『光文』に決定していたものが、新聞で先に報道されてしまったため『昭和』に急遽変更した」という噂も生まれたという。このときの様子などは、参考の「元号に賭ける」に詳しく書かれている。
昭和天皇は、1901年4月29日、大正天皇と貞明皇后の第一皇子として青山の東宮御所に生まれる。称号は迪宮(みちのみや)。生後70日で枢密顧問官の伯爵 川村純義に預けられ、沼津御用邸で養育される。 1908年、学習院初等科に入学。学習院院長・乃木希典(陸軍大将)の厳格な教育を受けた。1916年に立太子礼をおこなって皇太子となる。1921年11月25日摂政に就任。1924年に久邇宮良子女王(のちの香淳皇后)とご成婚。 1926年12月25日、大正天皇の死去により践祚し即位。そして、昭和の時代が始まる。
昭和(しょうわ)は、昭和天皇の在位期間であった西暦1926年12月25日から1989年1月7日までの時代をいい、日本の元号のなかで64年(厳密には62年と2週間)間も長く続いた元号であり時代である。
この元号が、昭和と決まった時から子供の名前に「昭」の字をつけるのが流行した。それは、この年の12月26日まで、「昭」を使った名詞、動詞、形容詞がそれまでの日本語に存在しなかった為、国民は「昭」の字の存在を殆ど知らなかったからだという。
元号「昭和」の出典 は、『書経』(※印参照)「百姓昭明、協和万邦」であり、”国民の平和と世界の共存繁栄を願った”ものである。
しかし、今思い起こせば、昭和の前半は戦争の歴史であり、実に多難続きの時代だった。元号昭和の出典の趣旨、期待を少々裏切った元号だったといえるかもしれませんね~。
現在、国民の祝日の中に、4月29日「みどりの日」がある。この日は、昭和の「天皇誕生日」だった。昭和天皇が亡くなった1989年に、政府はこの日を「みどりの日」とする祝日法改正案を国会に提出し成立させた。「昭和」と聞くと、先にも述べた暗い戦争の時代を思い起こす人も多く、野党からの反対意見が出るのを懸念して「昭和の日」とすることを避けたものだったが、今、国会では、「祝日」の持つ意義を再度考え直し、昭和という”激動の時代をいつまでも心に留めておく”意味で、今ある祝日を見直し、「みどりの日」については「昭和の日」にしようと議論されている模様だ。もともとが、昭和天皇の誕生日をもって、祝日とするのであれば、確かに、みどりの日などという中途半端な名前の記念日は可笑しいとおもうが、国民の民意を十分に尊重した上で行って欲しいものである。
「昭和」は長い時代であり、前半の30年間位は確かに戦争と戦後の暗く辛い思い出が残る。しかし、戦後の発展は目覚しいものであり、特に昭和30年代~40年代は尤も華やいだ充実した時代でもあった。今、歌謡曲をはじめ様々な分野で「昭和ブーム」が静かに広がっているようだ。 東京のお台場に昭和30年代をイメージした商店街が作られ人気を呼んでいるようであり、各地にも同様の街並みやこの時代をテーマにした博物館、資料館が出来ているという。この時代は、戦後の復興期から高度経済成長期をむかえ所得も倍増し、衣・食・住ともに大きな変貌を遂げた時代であり、生活がどんどん便利に、そして豊かになってゆく時代であった。私もそうだが、このような時代に多感な子供時代から青春時代を過ごした人達が、中高年世代となり、先行き不透明な今の時代と比べるととても懐かしく、心地よい古き良き時代として思い起こされるのも無理ないことであろう。そして、また、この時代を経験していない若者達にとっても、この時代に新鮮さと興味が感じられるからであろう。 私にも、戦争での辛い思い出が多くあるが、そのような時代に青春を過ごし、充実した生活を送れたことは、本当に幸せだったと思っている。
※=『書経』 五経の一つ。上は尭舜から下は秦の穆公(ぼくこう)にいたる政治史・政教を記した中国最古の経典。
(画像は、昭和天皇の即位礼。昭和3年11月10日。京都御所の紫神殿・高御座。AsahisimbunWeeklyAERAより)
参考:
[PDF] 元号に賭ける
猪瀬 直樹. いのせ なおき. 評論家. 長野市に生まれ. 1946.11.20. る。. 昭和六十二年( )『ミカドの肖像』で大宅壮一ノ. 1987. ... 四章の第三章に当たる。. -鴎外の執着と増蔵の死. 元号に賭ける
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/pdf/inosenaoki02.pdf
1926(大正15,昭和元)年12月25日、大正天皇が崩御し、皇太子であった裕仁親王が践祚した。
昭和の始まりは、大正天皇の崩御と共にあった。大正15年12月25日午前1時25分葉山御用邸で大正天皇は崩御。翌日(昭和元年12月26日)昭和天皇即位。
昭和(しょうわ)は、日本の元号の一つであるが、東京日日新聞(現在の毎日新聞)は、早くから「新しい元号は『光文』になるらしい」という情報を得ていたため、政府の公式発表の前に「元号は『光文』に決定」と報じた。しかし政府は元号を「昭和」と発表したため、この「大特ダネ」は「大誤報」となってしまい、編輯主幹の木戸元亮は責任をとって辞任した。「光文」は新元号の候補の中にあったが、政府内では既に「昭和」に決定していた。しかし、東京日日新聞の報道から政府の公式発表までの時間があまりに短かったことから、「元々『光文』に決定していたものが、新聞で先に報道されてしまったため『昭和』に急遽変更した」という噂も生まれたという。このときの様子などは、参考の「元号に賭ける」に詳しく書かれている。
昭和天皇は、1901年4月29日、大正天皇と貞明皇后の第一皇子として青山の東宮御所に生まれる。称号は迪宮(みちのみや)。生後70日で枢密顧問官の伯爵 川村純義に預けられ、沼津御用邸で養育される。 1908年、学習院初等科に入学。学習院院長・乃木希典(陸軍大将)の厳格な教育を受けた。1916年に立太子礼をおこなって皇太子となる。1921年11月25日摂政に就任。1924年に久邇宮良子女王(のちの香淳皇后)とご成婚。 1926年12月25日、大正天皇の死去により践祚し即位。そして、昭和の時代が始まる。
昭和(しょうわ)は、昭和天皇の在位期間であった西暦1926年12月25日から1989年1月7日までの時代をいい、日本の元号のなかで64年(厳密には62年と2週間)間も長く続いた元号であり時代である。
この元号が、昭和と決まった時から子供の名前に「昭」の字をつけるのが流行した。それは、この年の12月26日まで、「昭」を使った名詞、動詞、形容詞がそれまでの日本語に存在しなかった為、国民は「昭」の字の存在を殆ど知らなかったからだという。
元号「昭和」の出典 は、『書経』(※印参照)「百姓昭明、協和万邦」であり、”国民の平和と世界の共存繁栄を願った”ものである。
しかし、今思い起こせば、昭和の前半は戦争の歴史であり、実に多難続きの時代だった。元号昭和の出典の趣旨、期待を少々裏切った元号だったといえるかもしれませんね~。
現在、国民の祝日の中に、4月29日「みどりの日」がある。この日は、昭和の「天皇誕生日」だった。昭和天皇が亡くなった1989年に、政府はこの日を「みどりの日」とする祝日法改正案を国会に提出し成立させた。「昭和」と聞くと、先にも述べた暗い戦争の時代を思い起こす人も多く、野党からの反対意見が出るのを懸念して「昭和の日」とすることを避けたものだったが、今、国会では、「祝日」の持つ意義を再度考え直し、昭和という”激動の時代をいつまでも心に留めておく”意味で、今ある祝日を見直し、「みどりの日」については「昭和の日」にしようと議論されている模様だ。もともとが、昭和天皇の誕生日をもって、祝日とするのであれば、確かに、みどりの日などという中途半端な名前の記念日は可笑しいとおもうが、国民の民意を十分に尊重した上で行って欲しいものである。
「昭和」は長い時代であり、前半の30年間位は確かに戦争と戦後の暗く辛い思い出が残る。しかし、戦後の発展は目覚しいものであり、特に昭和30年代~40年代は尤も華やいだ充実した時代でもあった。今、歌謡曲をはじめ様々な分野で「昭和ブーム」が静かに広がっているようだ。 東京のお台場に昭和30年代をイメージした商店街が作られ人気を呼んでいるようであり、各地にも同様の街並みやこの時代をテーマにした博物館、資料館が出来ているという。この時代は、戦後の復興期から高度経済成長期をむかえ所得も倍増し、衣・食・住ともに大きな変貌を遂げた時代であり、生活がどんどん便利に、そして豊かになってゆく時代であった。私もそうだが、このような時代に多感な子供時代から青春時代を過ごした人達が、中高年世代となり、先行き不透明な今の時代と比べるととても懐かしく、心地よい古き良き時代として思い起こされるのも無理ないことであろう。そして、また、この時代を経験していない若者達にとっても、この時代に新鮮さと興味が感じられるからであろう。 私にも、戦争での辛い思い出が多くあるが、そのような時代に青春を過ごし、充実した生活を送れたことは、本当に幸せだったと思っている。
※=『書経』 五経の一つ。上は尭舜から下は秦の穆公(ぼくこう)にいたる政治史・政教を記した中国最古の経典。
(画像は、昭和天皇の即位礼。昭和3年11月10日。京都御所の紫神殿・高御座。AsahisimbunWeeklyAERAより)
参考:
[PDF] 元号に賭ける
猪瀬 直樹. いのせ なおき. 評論家. 長野市に生まれ. 1946.11.20. る。. 昭和六十二年( )『ミカドの肖像』で大宅壮一ノ. 1987. ... 四章の第三章に当たる。. -鴎外の執着と増蔵の死. 元号に賭ける
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/pdf/inosenaoki02.pdf