今日(12月17日)は絵物語作家・山川惣治(やまかわそうじ)の忌日。(1908年~1992年)福島県出身。<84歳>
今の若い人は知らないと思うが、山川惣治は1940~50年代に日本の少年雑誌に絵物語というジャンルを確立した、空前の人気作家であった。
学校卒業後、多くの紙芝居を制作、昭和初期の紙芝居ブームを作った。
昭和13年文部省主催の日本紙芝居コンクール入選を機に、雑誌「少年倶楽部」で、絵物語作家としてデビュ。戦後は、紙芝居や少年雑誌で作品を発表したが、特に「少年王者」「少年ケニヤ」などの密林冒険物が人気を呼んだ。特に、「少年ケニヤ」は、1951(昭和26)年から1955(昭和30)年の4年に渡って産経新聞に連載されたことにより、少年雑誌の読者だけでなく、日本全国に大人のファンをも獲得した。
絵物語というのは、挿し絵画家による絵と、挿し絵画家自身、あるいは小説家による文が組み合わされたもので、紙芝居の雑誌版のようなものである。「少年ケニヤ」は、アフリカのケニヤで動物調査中の父と離ればなれになってしまった少年ワタルが、その地で少年ケニヤとなり、そこで出会った少女ケイトや酋長のゼガらとともにケニヤの広大な原野や、鬱蒼とした密林で活躍する姿を描たものであり、日本版・少年ターザン物といったところか・・・。兎に角、その頃のアフリカは、現在の宇宙と同じような未知の世界であった。
戦後間なしの焼け跡しかなかった時代、子供の頃に、このカラーの緻密画による冒険物語の大自然の迫力や動物たちの躍動がとても新鮮で、興奮し、胸躍らせて読んでいたことを思い出す。
(画像は、「少年ケニヤ」DVD)
参考:
山川惣治と絵物語の世界
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingo21/index.html
今の若い人は知らないと思うが、山川惣治は1940~50年代に日本の少年雑誌に絵物語というジャンルを確立した、空前の人気作家であった。
学校卒業後、多くの紙芝居を制作、昭和初期の紙芝居ブームを作った。
昭和13年文部省主催の日本紙芝居コンクール入選を機に、雑誌「少年倶楽部」で、絵物語作家としてデビュ。戦後は、紙芝居や少年雑誌で作品を発表したが、特に「少年王者」「少年ケニヤ」などの密林冒険物が人気を呼んだ。特に、「少年ケニヤ」は、1951(昭和26)年から1955(昭和30)年の4年に渡って産経新聞に連載されたことにより、少年雑誌の読者だけでなく、日本全国に大人のファンをも獲得した。
絵物語というのは、挿し絵画家による絵と、挿し絵画家自身、あるいは小説家による文が組み合わされたもので、紙芝居の雑誌版のようなものである。「少年ケニヤ」は、アフリカのケニヤで動物調査中の父と離ればなれになってしまった少年ワタルが、その地で少年ケニヤとなり、そこで出会った少女ケイトや酋長のゼガらとともにケニヤの広大な原野や、鬱蒼とした密林で活躍する姿を描たものであり、日本版・少年ターザン物といったところか・・・。兎に角、その頃のアフリカは、現在の宇宙と同じような未知の世界であった。
戦後間なしの焼け跡しかなかった時代、子供の頃に、このカラーの緻密画による冒険物語の大自然の迫力や動物たちの躍動がとても新鮮で、興奮し、胸躍らせて読んでいたことを思い出す。
(画像は、「少年ケニヤ」DVD)
参考:
山川惣治と絵物語の世界
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingo21/index.html