今日(10月1日)は「国勢調査の日」
1920(大正9)年、10月1日、我が国初めての第1回、国勢調査が実施された。10月1日の調査結果のうち、所帯数と人口は12月19日、国勢調査発表として新聞に速報された。内地人口5596万3053人、外地人口2102万5326人。このときの発表数値は、確定値とは若干違っていたようである。しかし、それにしても、日本の総人口の37.6%もの人たちが外地に住んでいたことになる。随分多くの人が外地に住んでいたのだよね~。この時代を感じさせるよ。このとき、外地では、台湾に約365万人、樺太に10万人、朝鮮に1728万人、(外地の各総督府・庁調べ)が居たのだとか・・・。
日本の人口はそれまで戸籍によっていた。しかし、それは、かなり不正確なものだった。日本は、明治維新以後、近代国家としての体制整備が急がれるなかで、人口、土地、財産など国民の生活をはじめ、国のあらゆる状態を把握する調査の必要に迫られていた。国勢調査の実現には、日本の統計の基礎を築いた先覚者・杉亨二(すぎこうじ)などの尽力があった。当時の初代統計局長とも言われる立場にあった彼は、明治維新後の我が国の近代化において人口調査の必要性を説き、1879(明治12)年には国勢調査の試験調査とも言うべき「甲斐国現在人別調」を実施したことで有名。彼は、1885(明治18)年12月太政官が廃止された時に、官界から引退したが、その後は、スタチスチック社(のち統計学社)等において、後進の指導に努めるとともに、統計の普及、第1回国勢調査実現の運動に尽力した。しかし、容易に実施時期は到来しなかった。1895(明治28)年、國際統計協会総会において、1900(明治33)年の世界人口センサス実施が各国政府に対し提案され、我が国へも参加勧誘があった。これを機に民間、政界において国勢調査促進運動が展開される。翌1896年、さらに1900年と、内閣総理大臣に国勢調査執行の建議が提出された。1902(明治35)年、国勢調査に関する法律が帝国議会に提出され成立、同年12月2日、国勢調査に関する法律公布。実施は、第1回は2005(明治38)年と決めるが、その後の議会の解散と財政縮小の方針によって、1905年の実施は不可能となった。その後も、何度か東京統計協会から国勢調査実施を建議され、新聞社も国勢調査の必要性を論じ、国民の注意を喚起した。そして、ようやく、1918(大正7)年、政府提案の国政調査予算が両院で可決され、当初の予定より15年遅れて1920(大正大正9)年10月1日、国勢調査が実施されるにいたったのである。
日本最初の国勢調査「大正9年国勢調査」では、先ず、趣旨の徹底と宣伝が大掛かりに行われた。ポスターの掲示はもとより、戸口会、婦人会など各種会合の機会を利用した説明のほか、中等教育程度の学校では国勢調査という科目まで設定されたという。
国勢調査のPR活動は7月頃から説明会などを中心に本番前日まで各地で盛んに行われた。宣伝カー、飛行機によるビラの散布、路面電車も看板を掲げて走った。地域によって鳴り物声付きの宣伝・・まるで今のチンドンヤのような形での国勢調査の宣伝もあったようだ。
第1回国勢調査の大阪市役所の宣伝ポスターの文句は「一人の嘘は万人の実を殺す」「申告はありのまゝ」だった。
新聞社も最初の国勢調査であることから進んで協力をした。こうして、国勢調査は、関係者、一般国民にとって最初の大事業であるにもかかわらず、円滑に実施された。
当時の調査員は、全国で30万人、地域の有識者や教師などが任命され、胸に付ける記章も渡された。調査用紙は、9月21日ごろから調査員によって配布され、10月1日午前8時から全国一斉に回収された。浮浪者など住居が不確定場合には、役所などの係員が出張し、個別に調査したという。(アサヒクロニクル、週刊20世紀より)
国勢調査の“国勢”を訓読みして“国のいきおい”を調べる調査ととられがちだが、1896(明治29)年3月に、衆議院と貴族院で決議された「国勢調査ニ関スル決議」によると、「国勢調査ハ全国人民ノ現状即チ男女年齢職業(中略)家別人別ニ就キ精細ニ現実ノ状況ヲ調査スルモノニシテ一タビ此ノ調査ヲ行フトキハ全国ノ情勢之ヲ掌上ニ見ルヲ得ベシ」とあり、“国勢”の意味は、「国の情勢」ということになる。
国勢調査については、統計法に基づく国勢調査令(昭和55年政令第98号)の第10条で申告義務が定められるとともに、その方法について、「世帯主又は世帯の代表者」や「世帯員」が、「調査票に記入し、調査票の取集に応じ、及び国勢調査員等の質問に答えることにより行う」ことが定められており、また、統計法第19条では、「申告をせず、又は虚偽の申告をした者」、「申告を妨げた者」に対して、「6箇月以下の懲役若しくは禁錮又は10万円以下の罰金に処する。」と規定している。
日本国民として、国勢調査には、協力したいところだが、近年、個人のプライバシー保護の問題などで、国勢調査のあり方が、色々、論議されている。
1920(大正9)年に「国勢調査」が始まって以来、調査員による調査票の配布・回収を原則としてきたが、最近は、封筒を用意するという「改革」がおこなわれた。しかし、調査票は、全世帯封入提出でなく、調査票をそのまま直接調査員に手渡すことを原則にしている。この回収方法をさえ、問題にする人達がいる。
神戸市の場合などは、調査票を、添付の封筒に入れたものを、回収時に、調査員が目の前で確認し、書き方に誤りがなければ、本人の目の前で封筒に入れ封をするようにすることを原則としているが、記入した調査票を封筒に入れ、添付のテープで封をして、調査票を渡すことも出来る。この場合、記入誤りが、有った場合は、確認のための質問に協力しなければならない。
私にすれば、調査票の内容を見て、どうして、それほど、プライバシーにこだわる人がいるのか?、よくわからない。選ばれた調査員がそれほど信用できないのか?、政府が信用できないのか?、それとも、人に知られると困る仕事・思想をもっている人なのか?・・・どうかは、知らないが、5年に一度の、重要な統計資料である。”実施費用は649億円に上るという。総務省は、国勢調査に協力しない所帯には、隣近所から氏名、性別、住人の数の3点を聞き取りするので、最低でも、所帯数と人口はカウントできるので、未回収はゼロと言っている”ようだ(9月30日朝日新聞朝刊)。財政難の国が、多額の費用と労力をかけての調査である。気持ちよく、協力したいものである。
この国勢調査のことについては、私の別館HPYousan!sCollectionRoomの絵葉書のページ、絵葉書「第1回国勢調査」でも書いてあるので、興味のある方は見てください。 絵葉書「第1回国勢調査」はここです。
(画像は、マイコレクションより、臨時国勢調査局発行の「第1回国勢調査」絵葉書3枚組の中の1枚。「国勢調査への注意書き」)
参考:
国勢調査 (総務省統計局公式HP)
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/
国勢調査2005 CENSUS PARKへようこそ!(総務省統計局国勢調査広報ホームページ)
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2005/kouhou/
国勢調査 [神戸の統計 主要統計結果] 神戸市企画調整局総合計画課
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/013/toukei/contents/kokutyou.html
日本統計協会HP
http://www.jstat.or.jp/index.html
1920(大正9)年、10月1日、我が国初めての第1回、国勢調査が実施された。10月1日の調査結果のうち、所帯数と人口は12月19日、国勢調査発表として新聞に速報された。内地人口5596万3053人、外地人口2102万5326人。このときの発表数値は、確定値とは若干違っていたようである。しかし、それにしても、日本の総人口の37.6%もの人たちが外地に住んでいたことになる。随分多くの人が外地に住んでいたのだよね~。この時代を感じさせるよ。このとき、外地では、台湾に約365万人、樺太に10万人、朝鮮に1728万人、(外地の各総督府・庁調べ)が居たのだとか・・・。
日本の人口はそれまで戸籍によっていた。しかし、それは、かなり不正確なものだった。日本は、明治維新以後、近代国家としての体制整備が急がれるなかで、人口、土地、財産など国民の生活をはじめ、国のあらゆる状態を把握する調査の必要に迫られていた。国勢調査の実現には、日本の統計の基礎を築いた先覚者・杉亨二(すぎこうじ)などの尽力があった。当時の初代統計局長とも言われる立場にあった彼は、明治維新後の我が国の近代化において人口調査の必要性を説き、1879(明治12)年には国勢調査の試験調査とも言うべき「甲斐国現在人別調」を実施したことで有名。彼は、1885(明治18)年12月太政官が廃止された時に、官界から引退したが、その後は、スタチスチック社(のち統計学社)等において、後進の指導に努めるとともに、統計の普及、第1回国勢調査実現の運動に尽力した。しかし、容易に実施時期は到来しなかった。1895(明治28)年、國際統計協会総会において、1900(明治33)年の世界人口センサス実施が各国政府に対し提案され、我が国へも参加勧誘があった。これを機に民間、政界において国勢調査促進運動が展開される。翌1896年、さらに1900年と、内閣総理大臣に国勢調査執行の建議が提出された。1902(明治35)年、国勢調査に関する法律が帝国議会に提出され成立、同年12月2日、国勢調査に関する法律公布。実施は、第1回は2005(明治38)年と決めるが、その後の議会の解散と財政縮小の方針によって、1905年の実施は不可能となった。その後も、何度か東京統計協会から国勢調査実施を建議され、新聞社も国勢調査の必要性を論じ、国民の注意を喚起した。そして、ようやく、1918(大正7)年、政府提案の国政調査予算が両院で可決され、当初の予定より15年遅れて1920(大正大正9)年10月1日、国勢調査が実施されるにいたったのである。
日本最初の国勢調査「大正9年国勢調査」では、先ず、趣旨の徹底と宣伝が大掛かりに行われた。ポスターの掲示はもとより、戸口会、婦人会など各種会合の機会を利用した説明のほか、中等教育程度の学校では国勢調査という科目まで設定されたという。
国勢調査のPR活動は7月頃から説明会などを中心に本番前日まで各地で盛んに行われた。宣伝カー、飛行機によるビラの散布、路面電車も看板を掲げて走った。地域によって鳴り物声付きの宣伝・・まるで今のチンドンヤのような形での国勢調査の宣伝もあったようだ。
第1回国勢調査の大阪市役所の宣伝ポスターの文句は「一人の嘘は万人の実を殺す」「申告はありのまゝ」だった。
新聞社も最初の国勢調査であることから進んで協力をした。こうして、国勢調査は、関係者、一般国民にとって最初の大事業であるにもかかわらず、円滑に実施された。
当時の調査員は、全国で30万人、地域の有識者や教師などが任命され、胸に付ける記章も渡された。調査用紙は、9月21日ごろから調査員によって配布され、10月1日午前8時から全国一斉に回収された。浮浪者など住居が不確定場合には、役所などの係員が出張し、個別に調査したという。(アサヒクロニクル、週刊20世紀より)
国勢調査の“国勢”を訓読みして“国のいきおい”を調べる調査ととられがちだが、1896(明治29)年3月に、衆議院と貴族院で決議された「国勢調査ニ関スル決議」によると、「国勢調査ハ全国人民ノ現状即チ男女年齢職業(中略)家別人別ニ就キ精細ニ現実ノ状況ヲ調査スルモノニシテ一タビ此ノ調査ヲ行フトキハ全国ノ情勢之ヲ掌上ニ見ルヲ得ベシ」とあり、“国勢”の意味は、「国の情勢」ということになる。
国勢調査については、統計法に基づく国勢調査令(昭和55年政令第98号)の第10条で申告義務が定められるとともに、その方法について、「世帯主又は世帯の代表者」や「世帯員」が、「調査票に記入し、調査票の取集に応じ、及び国勢調査員等の質問に答えることにより行う」ことが定められており、また、統計法第19条では、「申告をせず、又は虚偽の申告をした者」、「申告を妨げた者」に対して、「6箇月以下の懲役若しくは禁錮又は10万円以下の罰金に処する。」と規定している。
日本国民として、国勢調査には、協力したいところだが、近年、個人のプライバシー保護の問題などで、国勢調査のあり方が、色々、論議されている。
1920(大正9)年に「国勢調査」が始まって以来、調査員による調査票の配布・回収を原則としてきたが、最近は、封筒を用意するという「改革」がおこなわれた。しかし、調査票は、全世帯封入提出でなく、調査票をそのまま直接調査員に手渡すことを原則にしている。この回収方法をさえ、問題にする人達がいる。
神戸市の場合などは、調査票を、添付の封筒に入れたものを、回収時に、調査員が目の前で確認し、書き方に誤りがなければ、本人の目の前で封筒に入れ封をするようにすることを原則としているが、記入した調査票を封筒に入れ、添付のテープで封をして、調査票を渡すことも出来る。この場合、記入誤りが、有った場合は、確認のための質問に協力しなければならない。
私にすれば、調査票の内容を見て、どうして、それほど、プライバシーにこだわる人がいるのか?、よくわからない。選ばれた調査員がそれほど信用できないのか?、政府が信用できないのか?、それとも、人に知られると困る仕事・思想をもっている人なのか?・・・どうかは、知らないが、5年に一度の、重要な統計資料である。”実施費用は649億円に上るという。総務省は、国勢調査に協力しない所帯には、隣近所から氏名、性別、住人の数の3点を聞き取りするので、最低でも、所帯数と人口はカウントできるので、未回収はゼロと言っている”ようだ(9月30日朝日新聞朝刊)。財政難の国が、多額の費用と労力をかけての調査である。気持ちよく、協力したいものである。
この国勢調査のことについては、私の別館HPYousan!sCollectionRoomの絵葉書のページ、絵葉書「第1回国勢調査」でも書いてあるので、興味のある方は見てください。 絵葉書「第1回国勢調査」はここです。
(画像は、マイコレクションより、臨時国勢調査局発行の「第1回国勢調査」絵葉書3枚組の中の1枚。「国勢調査への注意書き」)
参考:
国勢調査 (総務省統計局公式HP)
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/
国勢調査2005 CENSUS PARKへようこそ!(総務省統計局国勢調査広報ホームページ)
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2005/kouhou/
国勢調査 [神戸の統計 主要統計結果] 神戸市企画調整局総合計画課
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/013/toukei/contents/kokutyou.html
日本統計協会HP
http://www.jstat.or.jp/index.html