今日(10月15日)は「女人禁制破りの日」婦人運動家が提唱。
1867(慶応3)年10月15日、イギリス公使ハリー・S.パークが、夫人同伴で、当時女人禁制だった富士山に登った。
このイギリス公使ハリー・S.パークが、夫人同伴で、登った日を記念日としているが、以下参考の富士山ネットの「富士山の登山史年表』見てみると、「1832(天保3)年 に、江戸の高山たつが、女人禁制の富士山に男装して富士講行者とともに吉田口から登った」とあり、これが、女性の富士山初登頂のようである。そして、1860 《万延元(庚申)9》年にイギリス公使オールコックが外国人として初登山。 そして、先に述べた、イギリス公使ハリー・S.パークが、夫人同伴でのぼり、1872( 明治5)年に 富士登山の女人禁制解除 に至っている。
富士山の「フジ」の由来は、アイヌ語の「フチ=火」に、あるいはマレー語の「プシ=すばらしい」にあるそうだ。山の構造は四階建てで、現在の形になったのはおよそ5千年前の縄文中期初頭だったという。近代以前の富士登山の最終目的は、山頂に至り、浅間大菩薩(せんげんだいぼさつ)の聖なる地である内院、つまり噴火口を拝することであった。山頂までの道のりには、さまざまな神仏が祭られており、登拝者はそれらを巡拝しながら長く厳しい道のりを経て山頂へと歩を進めた。平安時代になると修験者(山伏)を先達とした登山者(道者・どうしゃ)が多くなり、江戸時代になると、江戸を中心に富士講が栄え登山者がふえた。
信仰を目的とした登山をする道者は、穢れのない清いことをあらわす「行衣(ぎょうい)」と呼ばれる白装束を着用して登った。修験道では女性は不浄との考えが一般的であったため、富士山も女人禁制とされていた。この「女人禁制」は富士山だけではなく、神仏が祭られるような標高の高い山にはこのような規制が少なからずあった。しかし、富士山の女人禁制は、時代によって登山できる範囲が変わっていった。中世段階では、4合5勺(しゃく)の御座石浅間神社まで登ることができたが、江戸時代では2合目御室浅間神社までとなっていた。その後、女人禁制も解除され、富士山は修験の場から現代の観光のための登山へとその性格を少しずつ変えてきた。
女性に対して、社寺や山岳の聖地、霊場への立ち入りを禁じる女人禁制の問題も、このように、社会の変化とともに解除してきているが、わが国では後世まで女人禁制を残したのが,今でも修験の山とされているものであり、大和(奈良県)の大峰山(山上ケ嶽)・美作(岡山県)の後山などが、この制を守っている山岳霊場として知られている。
とくに「霊峰」と呼ばれる大峯山は、今から1300年前、修験道の開祖と言われた役小角(えんのおずぬ)によって開かれた。この大峯山系から熊野にかけては、七十五靡乃霊場があり、これを辿って行を重ねることを大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)と言う。その「大峰山(山上ヶ岳)」を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、ユネスコの世界文化遺産に登録された。この参詣道の一部に女人禁制区域を残したまま登録することは女性差別として、反対する人達があり、禁制を守ろうとする人達と抗争している。
女人禁制の背景には、山伏・修験が山岳修行を通して超自然的・霊的能力を身につけることを目的とする考え方から,四季の峰入り修行を行うにあたり,対女性の煩悩を断つことが求められて,女人禁制を厳しくしていたとも言われている。大峯山山頂には日本で一番高い所にある木造建築物で、国重要文化財である大峯山寺本堂がある。奈良時代初期、大和の神奈備、吉野・大峯では、山が神霊や祖霊の宿る聖地であると考える日本古来の山岳信仰が渡来した道教や仏教と習合して独自の山岳宗教として開花したものであり、これが、一概に、女性差別に直接繋がるものとも言い切れない面もあるのではないか・・・?。今、女人禁制は山上ガ岳の大峰山寺の周辺だけに限られており、今もこの大嶺山に登る人達は、大半が、修験道の人達と言われる。
私も、時代の流れとして、女人禁制の方向で検討されるべきとは考えるが、日本古来の山岳信仰に基づいて聖地を守ってきた地元の人達にとっては、単に、禁制破りや観光目的だけの為に、その聖地へづかづかと、立ち入り、長い伝統のある禁制を一方的に破った人達に、憤りを感じるという・・・その気持ちも理解出来るような気がするだが・・・。
(画像は大嶺山)
参考:
日本の世界自然遺産 - 林野庁による。国内で世界自然遺産に登録された屋久島、白神山地、登録候補地の紹介等。
http://www.rinya.maff.go.jp/sekaiisan/
富士山講座 山梨日日新聞の連載から/面白資料館(富士吉田歴史民俗博物館)
http://www.fujisan-net.jp/RENSAI/OSF_04.htm
富士山ネット
http://www.fujisan-net.jp/index.php
富士登山の歴史(富士宮市ホームページ)
http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/e-museum/fujiyama/tozanshi.htm
ふらっと -ジェンダ- 女人禁制その2
http://www.jinken.ne.jp/gender/oomine/
1867(慶応3)年10月15日、イギリス公使ハリー・S.パークが、夫人同伴で、当時女人禁制だった富士山に登った。
このイギリス公使ハリー・S.パークが、夫人同伴で、登った日を記念日としているが、以下参考の富士山ネットの「富士山の登山史年表』見てみると、「1832(天保3)年 に、江戸の高山たつが、女人禁制の富士山に男装して富士講行者とともに吉田口から登った」とあり、これが、女性の富士山初登頂のようである。そして、1860 《万延元(庚申)9》年にイギリス公使オールコックが外国人として初登山。 そして、先に述べた、イギリス公使ハリー・S.パークが、夫人同伴でのぼり、1872( 明治5)年に 富士登山の女人禁制解除 に至っている。
富士山の「フジ」の由来は、アイヌ語の「フチ=火」に、あるいはマレー語の「プシ=すばらしい」にあるそうだ。山の構造は四階建てで、現在の形になったのはおよそ5千年前の縄文中期初頭だったという。近代以前の富士登山の最終目的は、山頂に至り、浅間大菩薩(せんげんだいぼさつ)の聖なる地である内院、つまり噴火口を拝することであった。山頂までの道のりには、さまざまな神仏が祭られており、登拝者はそれらを巡拝しながら長く厳しい道のりを経て山頂へと歩を進めた。平安時代になると修験者(山伏)を先達とした登山者(道者・どうしゃ)が多くなり、江戸時代になると、江戸を中心に富士講が栄え登山者がふえた。
信仰を目的とした登山をする道者は、穢れのない清いことをあらわす「行衣(ぎょうい)」と呼ばれる白装束を着用して登った。修験道では女性は不浄との考えが一般的であったため、富士山も女人禁制とされていた。この「女人禁制」は富士山だけではなく、神仏が祭られるような標高の高い山にはこのような規制が少なからずあった。しかし、富士山の女人禁制は、時代によって登山できる範囲が変わっていった。中世段階では、4合5勺(しゃく)の御座石浅間神社まで登ることができたが、江戸時代では2合目御室浅間神社までとなっていた。その後、女人禁制も解除され、富士山は修験の場から現代の観光のための登山へとその性格を少しずつ変えてきた。
女性に対して、社寺や山岳の聖地、霊場への立ち入りを禁じる女人禁制の問題も、このように、社会の変化とともに解除してきているが、わが国では後世まで女人禁制を残したのが,今でも修験の山とされているものであり、大和(奈良県)の大峰山(山上ケ嶽)・美作(岡山県)の後山などが、この制を守っている山岳霊場として知られている。
とくに「霊峰」と呼ばれる大峯山は、今から1300年前、修験道の開祖と言われた役小角(えんのおずぬ)によって開かれた。この大峯山系から熊野にかけては、七十五靡乃霊場があり、これを辿って行を重ねることを大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)と言う。その「大峰山(山上ヶ岳)」を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、ユネスコの世界文化遺産に登録された。この参詣道の一部に女人禁制区域を残したまま登録することは女性差別として、反対する人達があり、禁制を守ろうとする人達と抗争している。
女人禁制の背景には、山伏・修験が山岳修行を通して超自然的・霊的能力を身につけることを目的とする考え方から,四季の峰入り修行を行うにあたり,対女性の煩悩を断つことが求められて,女人禁制を厳しくしていたとも言われている。大峯山山頂には日本で一番高い所にある木造建築物で、国重要文化財である大峯山寺本堂がある。奈良時代初期、大和の神奈備、吉野・大峯では、山が神霊や祖霊の宿る聖地であると考える日本古来の山岳信仰が渡来した道教や仏教と習合して独自の山岳宗教として開花したものであり、これが、一概に、女性差別に直接繋がるものとも言い切れない面もあるのではないか・・・?。今、女人禁制は山上ガ岳の大峰山寺の周辺だけに限られており、今もこの大嶺山に登る人達は、大半が、修験道の人達と言われる。
私も、時代の流れとして、女人禁制の方向で検討されるべきとは考えるが、日本古来の山岳信仰に基づいて聖地を守ってきた地元の人達にとっては、単に、禁制破りや観光目的だけの為に、その聖地へづかづかと、立ち入り、長い伝統のある禁制を一方的に破った人達に、憤りを感じるという・・・その気持ちも理解出来るような気がするだが・・・。
(画像は大嶺山)
参考:
日本の世界自然遺産 - 林野庁による。国内で世界自然遺産に登録された屋久島、白神山地、登録候補地の紹介等。
http://www.rinya.maff.go.jp/sekaiisan/
富士山講座 山梨日日新聞の連載から/面白資料館(富士吉田歴史民俗博物館)
http://www.fujisan-net.jp/RENSAI/OSF_04.htm
富士山ネット
http://www.fujisan-net.jp/index.php
富士登山の歴史(富士宮市ホームページ)
http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/e-museum/fujiyama/tozanshi.htm
ふらっと -ジェンダ- 女人禁制その2
http://www.jinken.ne.jp/gender/oomine/