今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

とらふぐの日

2005-10-29 | 記念日
今日10月29日は「とらふぐの日」
「と(10)らふ(2)ぐ(9)」の語呂合せ。他に同様の語呂合わせで「ふくの日=2月9日(下関ふく連盟が1981=昭和56年に制定。)」「ふぐの日=9月29日 」がある。
河豚(ふぐ)の古名はふくであり、ふぐの名の由来は遠く菅原公が九州に左遷された頃の古書にすでに「布久」と記されいるそうである。又、新井白石の「東雅」には、ふくとはその腹脹れることをいうと記されているそうで、その語源は怒ると腹がふくれることによるようだが、また一説ではふくは海底の砂を吹いて出てくるゴカイ類を食べる性質があるので「吹く」に由来するとも言われているという。そのふぐの種類は約70種類とも100種類とも言われているが、食用に出来るのはその内約1~2割とか。
明治時代、伊藤博文公が下関に来た時、しけの為魚が全然なかったが、「下関に来て魚がないとは・・・」と皮肉を言われた女将が、当時禁止とされていたふぐ料理を出したところ、これに勝る品なしと絶賛し、山口県の県令に命じ禁止令を解いたそうで、その時、禁止令が解かれたのは、山口県だけで、全国の地域で禁止令が解かれるようになったのは戦後のこと。その様なことから、ふぐは「山口県・下関」と言われるようになったそうである。今、下関はふぐの取り扱い量日本一を誇る集散地となり、ここから全国各地の市場に配送されている。
これらの多くの種類の中でも、最も高価で美味とされているふぐの王様が「トラフグ」である。外見的な特徴としては背面は青色みがかった黒色をしており、背面、腹面には小棘が密生している。胸ひれの後ろに大きい斑紋があり、体長は70センチ以上に達するものもある。この斑紋がトラを連想させるためトラフグの名がある。この「トラフグ」生息地としては北海道南部から中国沿岸まで広く分布しているが、瀬戸内海西部産のものが最も美味といわれており、豊後水道に臨む大分県で漁獲されたものが多く、下関へ出荷されているのだそうである。
大分県と言えば関で獲れる「関あじ、関さば」などが全国的に有名であるが、ふぐ通などには「大分のふぐ」が有名であり、通人の中には、東京などから大分まで食べに来る人もいると聞いている。私も仕事でよく九州へ行くようになるまでは知らなかったが、現役最後の5年ほどは、福岡に住み、大分へは毎月何度も行っていた。そして、大分へ行くと、シーズンには、大分在住の知人に安くてうまい店を案内してもらい、夜は、必ず、ふぐを食べに行っていた。
ふぐには、テトロドトキシンという毒があり、その為、免許を持ったプロのふぐ調理人しか調理することは許されず、ふぐの肝を食べさせることは、禁止されている。しかし、この肝が、大分では、食べれるのである。何故、大分だけが食べれるのかと言うと、食べさせることを禁止しているのは、「県条例」であって、全国で、大分県だけは、県条例で禁止されていないのである。大分の知人や店の人などに、何故禁止しないのかと聞くと今までかって、大分では、ふぐの肝を食べて死んだ人などいないと、絶対的な自信を持っているのである。現在は、ふぐの毒の所在も明らかになり、その除去法もわかっているので中毒の心配はなく、天然の美味を安心して食べられるのだそうだ。 私が知人に紹介してもらったふぐの専門店では、生の肝を葱・もみじおろしと一緒にポン酢の中にといて食べる。ふぐのヒレ酒にふぐの肝・・・酒好きには、たまらないね~。
関西人の私が、大阪で初めてふぐを食べたとき、ふぐのことを「てっぽう」というので、何故と理由を聞くと「当たると死ぬから」そんな名前がついたと言われ、どきどきしながら食べたことを思い出す。当時まだ、ふぐを怖がって食べない人も多かった。
「ふぐは食いたし命は惜しし」、「真に一死に値する」といわれるふぐの味。ふぐは冬の季語にもなっており、古くから多くの俳人がふぐに関する句を詠んでおり、江戸時代の俳人・松尾芭蕉も、
「ふぐ汁や鯛もあるのに無分別」
「あら何ともなやきのふは過ぎてふぐ汁」
の句を残しているなど、昔の人も、そのうまさに魅かれて、こわごわふぐを食べていたことが窺われる。
しかし、「武士は主君のために命を張るもの」と、無駄な死に方は、許されなかったため、ふぐ毒による中毒死を防ごうと「河豚食禁止令」が室町時代以降たびたび出されたが、豊臣秀吉も朝鮮出兵の際、下関に参集した兵が中毒死して困ったとか・・・。
以下参考の「我が国のフグ食の歴史」を見ると、1982(明治15年)「違警罪即決令」発布 、「河豚を食う者は拘留科料に処す」とフグ食禁止。それまでは、河豚食禁止令が出ていても内緒で食べていた人が多かったんだろうね~。その後、先に述べた、伊藤博文公の発言から、1888(明治21年) 山口県に限定 して、河豚食が解禁され、ふぐが、超高級料理化する。その後、1918(大正7)年、他県に先駆けて兵庫県が、その後、1941(昭和16)年に大阪府が河豚食を解禁し一般に食されるようになったそうだ。食い倒れの町大阪といわれるが、大阪よりもずっと前に、兵庫県が河豚食を解禁していたんだよね~。そりゃ~、伊藤博文公は兵庫県の初代知事だものね~。ただ、ふぐ通はその後、条例などによって、食べさせることを禁止された美味しい「肝」が本当は食べたいんだよね~。神戸の元町の小料理屋さんなどでは、内緒で、ふぐの肝を食べさせていたらしく、昭和40年代に、歌舞伎役者の坂東三津五郎氏が、ふぐの肝を食べて死んだことで、話題になったことがあったよね~。私なんか、勉強不足で、長い間、ふぐは、下関や九州が産地などと思い込んでいたのだが、私の地元、兵庫県、それも目と鼻の先の淡路島でも、極上のふぐが獲れることを知ったのはそう古いことではない。正に、灯台下暗しであった。さ~、これから寒くなった時がふぐのシーズンだぞ~。
(画像はふぐ料理・ふぐの肝)
参考:
ふぐ料理
http://hccweb1.bai.ne.jp/~hdb41101/million_fg01.html
我が国のフグ食の歴史。
http://www.jnit.co.jp/mame/mame/mame9.html
法益主体の危険引受け(2・完)/東雪見 (坂東三津五郎ふぐ中毒死事件)
http://law-web.cc.sophia.ac.jp/top/LawReview/contents/4703/4703higashi_main.htm