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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「夕霧忌」大坂の遊女・「夕霧」の忌日

2006-01-07 | 人物
今日(1月7日)は「夕霧忌」。大坂の遊女・「夕霧」の1678(延宝6)年の忌日。
昔、大坂の新町に「夕霧」と言う名妓がいたのはご存知・・・?源氏物語の夕霧ではないよ。生年は不詳 であるが、大阪の浄国寺(じょうこくじ。天王寺区下寺-3 ) に、タ霧の墓碑があり、墓碑には延宝六年正月六日没と記されている。(新暦では、 1678年2月26日)
この夕霧太夫の墓石の左側面に鬼貫の句『此塚に 柳なくとも あわれ也』が刻まれている。この句は、夕霧没後11年の1688(元禄元)年に、鬼貫が墓に詣でて詠んだものとのことである。島鬼貫は1661(寛文元)年摂津国伊丹の酒造家の三男に生まれた。その在世当時から芭蕉と併称され、真価を高く認められた俳人であったが彼はあくまで孤高を堅持し、門人を持つこともなかったという。「夕霧」は本名は照(てる)と言い、出身地は一説によると、現在の京都市右京区嵯峨の近くであるといわれる。いつ、どういう風に嶋原に入ったか不明であるが、元京都・島原「扇屋」の宮島甚三郎抱えの太夫だったそうだ。島原の扇屋四郎兵衛家が1673(寛文12)年、大阪・新町移転の際、同家抱えとなり大坂新町に下り、全盛を極めたと言われている。道中の時引舟を連れて歩く姿は、この夕霧から始まったといわれるそうだ。当時、日本三太夫の一人として、江戸の高尾、京の吉野と並び評され、あらゆる技芸に通じ、さらにその美貌で人気を集めたそうだが、1678(延宝6)年正月、若くして病歿すると、大坂中がその死を悼んだという。享年は22歳とも27歳とも伝えられる。俳譜も嗜み「ちごの親手傘いとはぬ時雨かな」時雨に我が子を守ろうと両手で傘をつくる親子の様子を優しい眼差しで描く句を残しているそうだ。夕霧太夫の墓はこの浄国寺の外に、生地といわれる京都嵯峨「清涼寺」にもある。
「あでやかに 太夫となりて 我死なむ 六十路過ぎにし 霧はかなくも」清涼寺境内の庭にある歌舞伎の初世中村雁治郎の末娘(七女)で女優の中村芳子が詠んだ歌といわれる。
中村芳子は大正9年生、昭和62年12月没。昭和55年11月に2代目島原・夕霧太夫を襲名。7年間太夫として活躍。昭和63年11月、夕霧太夫を偲んで歌碑を建立したそうだ。
夕霧の死後、翌月には、「夕霧名残の正月」が坂田藤十郎の藤屋伊左衛門、霧波千寿の夕霧で上演、大評判となり、坂田藤十郎による筋立ては、上方和事狂言の基礎と成ったといわれている。そして、近松門左衛門の浄瑠璃「夕霧阿波鳴渡」を始めとして、浄瑠璃の「廓文章」、歌舞伎の夕霧七年忌」など藤屋伊左衛門との恋愛を脚色したいろいろな作品が作られている。
昨年(平成17年)12月京都・南座で「吉例顔見世興行」、今年(平成18年)1月東京・歌舞伎座「壽初春大歌舞伎」にて、三世坂田藤十郎の没後231年ぶりに四代目として、中村鴈治郎が坂田藤十郎の名を襲名する披露公演が行われている。その中の演目に「 夕霧名残の正月」がある。初代坂田藤十郎が藤屋伊左衛門を演じ、大当りをとり、以来、伊左衛門は初代藤十郎の当たり役となり、その生涯を通じて18回演じたと伝えられているものであり、正に、上方歌舞伎の大名跡である坂田藤十郎襲名に相応しい演目であろう。
大坂の繁華街と言えば、今は、「キタとミナミ」であるが、近世にはもうひとつ「ニシ」と呼ぶ繁華街があった。それが新町廓である。中でも、九軒町の吉田屋が有名で、店の前に堤を築き、桜を植えていたとされおり、近松門左衛門も「女殺油地獄」の中で「廓四筋は四季とも散ることを知らぬ花揃え」と表現している。この新町廓は、東を西横堀川、北を立売堀川、南を長堀川に画された地域で、江戸幕府から公許された大阪唯一の遊廓であった。新町の遊女は太夫・引船・天神・鹿子位・端女郎の階級があり、青楼にも揚屋・天神茶屋・鹿子位茶屋・店付茶屋の別があったそうだ。特に知られた遊女に木村屋の小太夫・大和太夫、扇屋の夕霧太夫、佐渡島屋の吾妻太夫がおり、井原西鶴、近松門左衛門の作品に多く登場する。
1872(明治5)年、太政官布告第295号の「娼妓解放令布告」により公娼制度を廃止しようと試みたが、実効性に乏しかったこともあり、1900年に至り公娼制度を認める前提で取り締まりを図ることにし(娼妓取締規則)、1908年には非公認の売淫を取り締まることにした。しかし、第二次世界大戦後の占領下において、当時のGHQ司令官から公娼制度廃止の要求がされたことに伴い1946年に娼妓取締規則が廃止され、1947年に、ポツダム命令として、婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令(昭和22年勅令第9号)が出されその後、売春対策審議会の答申により本法が制定され現在に至っている。
そういえば、昔,井原西鶴のものを映画化した「好色一代男」(1961年)を見たことがある。女という生き物をこよなく愛し、女の幸せの為に尽くし、でも意外に一人の女に執着が無い不思議な放蕩青年世之助を若い雷蔵が演じていた。若尾文子は世之助が一千両で身請けするプライド高き遊女夕霧太夫を優雅に演じていた。又、世之助の父親であるしぶちんな商人を演じた鴈治郎が実にいい味を出していた。この映画に出てくる鴈治郎は、二世中村鴈治郎であり、今回襲名をした、四代目坂田藤十郎のお父さんである。
(画像は「好色一代男(初版」)以下参考の早稲田大学図書館所蔵貴重資料より)
参考:
夕霧太夫(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%9C%A7%E5%A4%AA%E5%A4%AB
色里用語事典/遊女名鑑
http://www.ikedakai.com/irosatoyogo6.html
夕霧の事に触れた記述が『近世江都著聞集』巻九にあり参照。
『近世江都著聞集』
http://www.ikedakai.com/enseki5-2.html
歌舞伎
http://www.palette532.com/~inui/folklore/j-maturi19.html
SHOCHIKUホームページ(歌舞伎・演芸)
http://www.shochiku.co.jp/play/index.html
売春防止法 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B2%E6%98%A5%E9%98%B2%E6%AD%A2%E6%B3%95
好色一代男(初版)早稲田大学図書館所蔵貴重資料
http://www.wul.waseda.ac.jp/collect/wa/he13-1607.html
近松門左衛門 ちかまつもんざえもん
http://www.tabiken.com/history/doc/L/L250L100.HTM
鬼貫の句碑
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage434.htm
瓢亭
http://www.h7.dion.ne.jp/~hyotei1/

瓢亭-めん2004年7月号記事
http://www.h7.dion.ne.jp/~hyotei1/men.html