今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

鏡開き

2006-01-11 | 行事
今日(1月11日)は「鏡開き」。
本来お正月というのは、年の初めにあたって、一年間家を守ってくれる歳神さま〈お正月さま〉を迎える行事で、門松は歳神さまの依代(よりしろ)であり、神さまが降りてくる目印と考えられていた。「鏡開き」は、正月に年神様にお供えした鏡餅を雑煮や汁粉にしていただくことによって、一家の今年1年の円満と無事息災を願う行事であり、鏡餅は神棚や床の間などに飾る。
古来、 鏡は只単に姿形を映すだけのものではなく、魂まで映すもの、何か霊的なものが宿るものだと考えられていた。また、光を反射した時にそのものが光り輝くような様子や円い形状から太陽信仰とも繋がっていた。そのような鏡は祭祀を司る各地の神社で神宝、神体として今でも残されている。鏡餅の由来はこのようなところから来ており、鏡餅は、形が丸い鏡のようなので鏡餅と言う。源氏物語の初音、栄花物語、紫式部日記にも「餅鏡(もちひかゞみ)」の名が出て来る。歴史的には"餅鏡"→"鏡"→"鏡餅"と変化してきた。
現在は、どこに御供えしているものも「鏡餅」と一絡げにして言っているが鏡餅は神棚だけでなく、敬うべきところ、大切にしているものにもお供えした。例えば、商家は蔵や、その家の生業を象徴するものにも供え、武家であれば父祖伝来の具足(鎧兜)に供えたのである。この正月中重々しく飾られていた鏡餅を割るということは、大正月の終わりと、その年の仕事始めを意味する。武士は、具足櫃(ひつ)開きをし、主家の鏡もちを君臣ともども分け合って主従固めをし、商家では、蔵開きをし、農村では田打ち正月をして、一年の出発とした。
現在のような「鏡開き」(行事)は、もともとは武家社会の風習だったものが一般化したもののようであり、この風習は室町時代(14世紀頃)から行われていたようである。
武家では「具足開き」と言い、男性は具足(鎧や兜のこと)にお供えした「具足餅」を、女性は鏡台にお供えした「鏡餅」をそれぞれ雑煮にして食べたことが始まりのようである。「具足餅」は紅白二段重ねにし、かつお節(=勝)と一緒にお供えしたといわれる。
古来、正月は、20日が祝い納めであったようだ。民間では諸日あったようであるが、武家では一般 に20日に鏡餅をおろした。
それは、具足(に供える餅を食べるのを「刃柄(はつか)を祝う」、また女性が鏡台に供えた鏡餅を「初顔(はつかお)祝う」と言ったことから、武家では一般 にその縁語にあたる20日(はつか)に鏡餅をおろしこれを「20日祝い」と言っていたようである。しかし、徳川3代将軍家光の忌日(慶安4年4月)が20日でであったために、11日に改められめられたと伝えられている。
そして、武家社会では”切る”は切腹を連想させるため忌み、手や斧で割るのを作法としていた。また、おめでたいときに“割る”という言葉も縁起が悪いため、“運を開く”にかけて”餅(鏡)を開く”と呼ぶようになり、これが、「具足祝」(呼称)になり、また下って、現在の「鏡開き」の呼称に落ち着いたと考えられている。今も、地方によっては日が違い、京都では4日に、ほかに20日に行う地方もある。
ところで、鏡開きの大きな裸の鏡餅はどのようにして割っているかな。今では昔のように斧を使うところもないだろうし、手や木槌で割るには硬い。どこも、悪戦苦闘しているのではないかな。そんなとき、電子レンジに入るくらいの大きさのものなら、濡れふきんを軽く絞って餅にかけ、電子レンジにかけて少しやわらかくしてから、切り分けるとよいとか・・・。もっとも、この頃は、硬くなるからと真空パックのものが売られており、開くと中から小さな子餅が出てきたりするが・・・・。我が家は、仏教徒なので、日ごろから、仏様にお供え物をよくするが、お供え物にした饅頭や果物などをお供え物に使っていないものと食べ比べると、なんと、同じものであるにも係わらず、不思議とお供え物にしたものは美味しくないのである。一度、お坊さんに聞いてみたら、それは、仏様が食べておられるからだという。このブログを読んでいる人には、今の時代に何言ってるの・・・と笑う人が多いのだろうが、何時も何かと仏様にお供えをしている私や家人は、いつも経験していることであり、私達の不思議のひとつになっているのである。もし、お坊さんの言われている通り、仏様が食べているのなら、真空パックのものを供えられると食べられずに困っているだろうな~・・・。
この正月の行事とは別に、新年の仕事・行事初めの儀式の一つとして、又、新築家屋の完成時、創立記念日、結婚披露宴などの祝宴で、酒樽の蓋を木槌で割って開けることも「鏡開き」といっている。酒屋では、酒樽の上蓋のことを鏡と呼んでいた。昔から日本酒は様々な神事を営む際に神酒として供えられ、祈願が済むと参列者でお酒を酌み交わし、祈願の成就を願うことが習慣となっている。神酒が樽で供えられたときには樽の蓋を開いて酒をふるまう。鏡餅を割って食べる「鏡開き」と同じである。昔は、大型店などの正月の初売りなどでは、縁起担ぎに来店客に樽酒を振舞っていたし、従業員なども少し酒を飲んでほんのりと赤くなった顔をして、陽気に賑やかに商いをしていた。しかし、このごろは、そのような、陽気なムードは見られなくなった。そもそも、日本の伝統的な行事が廃れている~。少々、寂しい気がすねるね~。
1月10日は「十日えびす」でもある。この日のことは、去年、このブログで「十日えびす」の日のことを書いてあるので見てください。本えびすは昨日だが、今日は残りえびすの日。神戸・大坂などでは、このえべっさんの日が明けるとやっと、正月が明けた気分になる。
(画像は鏡開き「北斎漫画」国立国会図書館蔵。武士が斧で、餅を割っている。NHKデーター情報部、ビジュアル百貨「江戸事情」第1巻生活編より)
参考:
鏡開き - Wikipedia
.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1%E9%96%8B%E3%81%8D
鏡開き」の由来
http://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/drink/00072.html
サブページ 1
w.geocities.co.jp/Bookend/4373/vol_187_01.htm