今日(1月21日)は、「家族ふれあいの日」
東京都と心の東京革命推進協議会(青少年育成協会)は、家族の結びつきが希薄になっている今日、家族そろっての食事など家庭でのふれあいを促進するために、毎月第3土曜日、日曜日を「家族ふれあいの日」としている。さらに、ファミリーレストラン、文化施設、レジャー施設などの「家族ふれあいの日」協力店・施設の協力により、都民の人が18歳未満の子どもを連れた際に、窓口に優待券をご提出すれば、料金の割引又は各種サービスが受けられるそうだ。
いつの時代でも、青少年の健やかな成長は親の願いであると共に、社会全体の願いでもある。今、青少年を取り巻く環境が大きく変化する中で、全ての国民が「青少年の健全な育成は大人の責任であることを自覚し、大人自らが姿勢を正し、規範意識やモラルの向上に努めると共に、青少年が心豊かにたくましく成長するよう努力することが必要だ。
なかでも家族の安らぎの場であるべき家庭でのあり方が問われるが、家族みんなで「話し合い、お互いが理解し合う」、「団らんで相互にぬくもりを分かち合う」など、家族間の心のふれあいの場を増やしていくことは青少年の健全な育成においても極めて大切なことである。しかし、今日の家庭は、ともすれば日常の生活や仕事に追われ、家族での人間的なふれあいが薄れがちである。他の府県でも形を替えた家族ふれあいのキャンペーンを実施しているところもあるようだが、東京都のように「家族ふれあいの日」に一家団欒で食事をしたり、レジャーを楽しむ機会を増やすことはとてもいいことだと思う。
ただこの「家族」を考えるとき、思い起こせば、戦前、と戦後では随分とそのあり方は変ってきた。それでは、家族って、一体なんだろう?一度原点に帰って考えてみよう。
広辞苑によると「家族」とは、以下のように定義している。
1、血縁によって結ばれ生活をともにする人々の仲間で、婚姻に基づいて成立する社会構成の一単位。
2、「家」の旧制度の下で、戸主の統率した家の構成員。原則として戸主の親族でその家を構成する者及びその配偶者。
ここにあるように、従来は、結婚によって、血のつながった同じ家に住む夫婦・親子・兄弟など、近い血縁の人びとを家族としていたが、今日では、家族の考えかたについて、かならずしも結婚や同居などを絶対条件とは考えない人も増えてきており、人によってそれぞれな考え方が出来てきている。
戦前の日本の家族は、家制度に基盤をおき、地域社会はもとより、国家とつながる「イエ」を形作っていた。「家制度」は「家」と「家父長制」の二つを大きな要素としていた。「イエ」という親族集団の一体的結合と継続的発展を重視し、家族の人々を「イエ」に従属する存在とみなした。しかし、終戦を機に、民法の改正により家制度は廃止された。
戦後の家族変動の最も顕著なものは単身世帯が増大したことである。つまり、現代の家族には、同居親族数が減少し核家族化が進んだこと、共同体の力の減退に伴って家族の基盤に変容が生じたこと、の二つの特徴があげられる。合わせて、夫婦の共働きも一般化しつつある。それによって、育児や子育てが保育園や学童クラブ、地域の野球やサッカーなどのスポーツクラブ、学習塾などに外注されることも増えてきた。これを家族の機能の分散化ともいうのだそうだ。また、共働きに伴う性別役割分業の問題、老親の扶養の問題も表面化してきた。かつて、家族の機能として、生殖、育児、経済、団欒などが挙げられてきたが、今では残るものは「団欒」だけしかないのかといわれはじめているが、それすらも崩壊しつつある。そして、こうした家族の機能不全状態の広まりと共に、家庭内暴力、児童虐待などの事件が新聞の社会面を賑わすことが日常化してきた。その上、少子高齢化の進展があり、増加する高齢者人口と在宅での高齢者看護などと共に、家族をめぐる社会問題は先鋭化しつつある。
上記2にあるように、旧制度の「家」においては、戸主の権限は家の統率者としての権限であるため、家を統括する戸主の権限により家族の権利が犠牲にされる側面があったため、憲法24条等に反するとして、日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律(昭和22年法律第74号)により、日本国憲法の施行日(1947年5月3日)に廃止された。
現在、政府内に憲法改正論議があるが、9条(戦争放棄・戦力不保持)と並んでこの24条の改正も検討されているようである。
その根底にあるのは、離婚・単身赴任・家庭内暴力の増加・老老介護・子どもの不登校などであるが、家族の崩壊現象の背景には、戦前の家父長制度への反省から、我が国で戦後、個人主義の重要性が過度に標榜され、従来あった良き家族関係まで否定されてきたとの見方が強いようであり、そのため、何らかの形で、社会の基礎としての家族の重要性を再確認するねらいから家族条項を設けようとするものだろう。その底辺には、24条の男女平等型家族では、男女の性別役割や「男らしさ」「女らしさ」といったものも曖昧となり、家族ひいては国家をも支えられなくなるといった危機感があるのだろうと推測される。しかし、この問題に関しては、特に女性などを中心にジェンダーの問題として、反対されるであろうが、「最近の日本は、人間関係が空洞化してしていることを考えると、せめて家族関係・親子の間について規律を定めておくことは養育の義務あるいは扶養、保護といったことが残念ながら必要になってきているのではないか」といった心配をする人の気持ちも理解できるように思う。それ程に、日本の共同体であるべき家庭・家族問題が、国家の危機問題にも及びかけていることは間違いないだろう。今日は「家族ふれあいの日」。難しいことは、別にして、せめて家族の団欒の機会ぐらいは持つようにしたいよね。
(画像は雷鳥の和風列車「だんらん」のチラシ部分)
参考:
東京都公式ホームページ/平成17年度「家族ふれあいの日」について
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2005/03/20f3s900.htm
家族ーWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E6%97%8F
日本国憲法
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
東京都と心の東京革命推進協議会(青少年育成協会)は、家族の結びつきが希薄になっている今日、家族そろっての食事など家庭でのふれあいを促進するために、毎月第3土曜日、日曜日を「家族ふれあいの日」としている。さらに、ファミリーレストラン、文化施設、レジャー施設などの「家族ふれあいの日」協力店・施設の協力により、都民の人が18歳未満の子どもを連れた際に、窓口に優待券をご提出すれば、料金の割引又は各種サービスが受けられるそうだ。
いつの時代でも、青少年の健やかな成長は親の願いであると共に、社会全体の願いでもある。今、青少年を取り巻く環境が大きく変化する中で、全ての国民が「青少年の健全な育成は大人の責任であることを自覚し、大人自らが姿勢を正し、規範意識やモラルの向上に努めると共に、青少年が心豊かにたくましく成長するよう努力することが必要だ。
なかでも家族の安らぎの場であるべき家庭でのあり方が問われるが、家族みんなで「話し合い、お互いが理解し合う」、「団らんで相互にぬくもりを分かち合う」など、家族間の心のふれあいの場を増やしていくことは青少年の健全な育成においても極めて大切なことである。しかし、今日の家庭は、ともすれば日常の生活や仕事に追われ、家族での人間的なふれあいが薄れがちである。他の府県でも形を替えた家族ふれあいのキャンペーンを実施しているところもあるようだが、東京都のように「家族ふれあいの日」に一家団欒で食事をしたり、レジャーを楽しむ機会を増やすことはとてもいいことだと思う。
ただこの「家族」を考えるとき、思い起こせば、戦前、と戦後では随分とそのあり方は変ってきた。それでは、家族って、一体なんだろう?一度原点に帰って考えてみよう。
広辞苑によると「家族」とは、以下のように定義している。
1、血縁によって結ばれ生活をともにする人々の仲間で、婚姻に基づいて成立する社会構成の一単位。
2、「家」の旧制度の下で、戸主の統率した家の構成員。原則として戸主の親族でその家を構成する者及びその配偶者。
ここにあるように、従来は、結婚によって、血のつながった同じ家に住む夫婦・親子・兄弟など、近い血縁の人びとを家族としていたが、今日では、家族の考えかたについて、かならずしも結婚や同居などを絶対条件とは考えない人も増えてきており、人によってそれぞれな考え方が出来てきている。
戦前の日本の家族は、家制度に基盤をおき、地域社会はもとより、国家とつながる「イエ」を形作っていた。「家制度」は「家」と「家父長制」の二つを大きな要素としていた。「イエ」という親族集団の一体的結合と継続的発展を重視し、家族の人々を「イエ」に従属する存在とみなした。しかし、終戦を機に、民法の改正により家制度は廃止された。
戦後の家族変動の最も顕著なものは単身世帯が増大したことである。つまり、現代の家族には、同居親族数が減少し核家族化が進んだこと、共同体の力の減退に伴って家族の基盤に変容が生じたこと、の二つの特徴があげられる。合わせて、夫婦の共働きも一般化しつつある。それによって、育児や子育てが保育園や学童クラブ、地域の野球やサッカーなどのスポーツクラブ、学習塾などに外注されることも増えてきた。これを家族の機能の分散化ともいうのだそうだ。また、共働きに伴う性別役割分業の問題、老親の扶養の問題も表面化してきた。かつて、家族の機能として、生殖、育児、経済、団欒などが挙げられてきたが、今では残るものは「団欒」だけしかないのかといわれはじめているが、それすらも崩壊しつつある。そして、こうした家族の機能不全状態の広まりと共に、家庭内暴力、児童虐待などの事件が新聞の社会面を賑わすことが日常化してきた。その上、少子高齢化の進展があり、増加する高齢者人口と在宅での高齢者看護などと共に、家族をめぐる社会問題は先鋭化しつつある。
上記2にあるように、旧制度の「家」においては、戸主の権限は家の統率者としての権限であるため、家を統括する戸主の権限により家族の権利が犠牲にされる側面があったため、憲法24条等に反するとして、日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律(昭和22年法律第74号)により、日本国憲法の施行日(1947年5月3日)に廃止された。
現在、政府内に憲法改正論議があるが、9条(戦争放棄・戦力不保持)と並んでこの24条の改正も検討されているようである。
その根底にあるのは、離婚・単身赴任・家庭内暴力の増加・老老介護・子どもの不登校などであるが、家族の崩壊現象の背景には、戦前の家父長制度への反省から、我が国で戦後、個人主義の重要性が過度に標榜され、従来あった良き家族関係まで否定されてきたとの見方が強いようであり、そのため、何らかの形で、社会の基礎としての家族の重要性を再確認するねらいから家族条項を設けようとするものだろう。その底辺には、24条の男女平等型家族では、男女の性別役割や「男らしさ」「女らしさ」といったものも曖昧となり、家族ひいては国家をも支えられなくなるといった危機感があるのだろうと推測される。しかし、この問題に関しては、特に女性などを中心にジェンダーの問題として、反対されるであろうが、「最近の日本は、人間関係が空洞化してしていることを考えると、せめて家族関係・親子の間について規律を定めておくことは養育の義務あるいは扶養、保護といったことが残念ながら必要になってきているのではないか」といった心配をする人の気持ちも理解できるように思う。それ程に、日本の共同体であるべき家庭・家族問題が、国家の危機問題にも及びかけていることは間違いないだろう。今日は「家族ふれあいの日」。難しいことは、別にして、せめて家族の団欒の機会ぐらいは持つようにしたいよね。
(画像は雷鳥の和風列車「だんらん」のチラシ部分)
参考:
東京都公式ホームページ/平成17年度「家族ふれあいの日」について
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2005/03/20f3s900.htm
家族ーWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E6%97%8F
日本国憲法
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM