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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

オードリー・ヘップバーン (米:俳優『ローマの休日』) の忌日

2006-01-20 | 人物
1993年 の今日(1月20日)は、オードリー・ヘップバーン (米:俳優『ローマの休日』) の忌日。<63歳>
オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)は、アメリカで活躍した映画女優。本名エッダ・キャスリーン・ヴァン・へームストラ・ヘプバーン・ラストン(Edda Kathleen Van Heemstra Hepburn - Ruston)。1929年5月4日、アイルランド系イギリス人の父ジョセフ・アンソニー・ヘップバーン・ラストンとオランダ人の母エッラ・ファン・ヘームストラ(貴族の出)のもとに、ベルギーの首都ブリュッセルで生まれる。10歳のとき両親が離婚し、母とともにオランダへ移住。第二次世界大戦中ドイツ軍に叔父を殺された。幼い彼女は反ナチスのレジスタンスの連絡役として活躍した。アンネ・フランクと同い年で、戦後、オードリーはアンネの事を知りひどく心を痛めたという。戦後の1948年、ロンドンでバレエを習うなど、ヨーロッパを中心とする各国で生活した経験を持つ。その後、24歳のとき、舞台「Gigi」を見た監督ウィリアム・ワイラーに認められ、メジャー映画「ローマの休日」(1953年) の主演アン王女役に大抜擢され、この映画の大成功で彼女は一躍大スターの仲間入りをした。ストーリーはある小国の王女が、訪問先のローマで公務に飽きてひそかに官邸を脱け出し、街で知り合ったアメリカ人の新聞記者ジョー(グレゴリー・ペック)と一日一晩を過ごし何時しかジョーに叶わぬ恋心をだくようになる。ラスト、アン王女の新聞記者会見が大使館前で行われた。ジョーとアン王女とは目と目を合わせて無言の別れを告げあった。この席での記者の質問の対して"Rome! By all means、Rome.I will cherish my visit here in memory、as long as I live"(”ローマです!無論ローマです。今回の訪問は永遠に忘れ得ぬ想い出となるでしょう。”)「ローマの休日」(アン王女)の名文句は、いつまでも心に残る名シーンであった。
彼女の表情は優雅で気品にあふれ、それでいてこの上なく無邪気、そしてひときわファッショナブルにスクリーンを彩(いろど)る。 映画への出演数はそれほど多くはないものの、「ローマの休日」ではアカデミー賞主演女優賞を獲得。翌年(1954 年)「麗しのサブリナ」その後も「マイ・フェア・レディ」、「ティファニーで朝食を」などに出演。彼女の魅力が十分に生かされた作品ばかりだ。1954年に俳優のメル・ファーラーと結婚、息子ショーンが生まれるが離婚。後に精神科医と再婚したが、離婚に終わっている。1989年の「オールウェイズ」を最後に映画界を引退。 晩年は、ユニセフ親善大使に就任し、インドやソマリアなど世界各地でマザー・テレサのように、貧しい人のための活動も行う。その一方で、世界の名園を紹介するテレビ・ドキュメンタリー「世界の庭園」という番組のホスト役として、7ヶ国・16の庭園を訪れる。 1993年1月20日、結腸ガンで亡くなる。
初めてオードリー・ヘップバーンの映画「ローマの休日」を見たとき、それまでの女優には見られない新鮮さに驚いた。彼女の魅力については誰もが知っているところであり、ここに印す必要はないが、毎号話題の人物を紹介しているアメリカの週刊雑誌「タイム」が「ローマの休日」が封切られるとすぐにオードリー・ヘップバーンを表紙にしたほどである。これほどにの女優に英国映画はそれまで、なぜ端役ばかりやらせていたのか不思議なくらいである。出演映画も数本あるし、ミュージカル舞台にも立っていたこともあり、その前には、化粧品のポスターにもなっていたと言うから、アメリカに引き抜かれるまでこの女優の素質と実力に気がつかなかったのは、よほど、見る目がなかったと言われても仕方がないのではないか。ウィリアム・ワイラーは、英国にいたパラマウントのスカウトを通じて彼女の存在を知り、一目でその素質を見抜いたとという。監督の中には新人を売り出すことを得意としている人もいるようだが、ウィリアム・ワイラーと言う人は、それまで、無名の新人を殆ど使っていないと言う。演技について難しい注文をつける人で、新人を使って冒険を試みることを余り好まなかったというから、その、ワイラーが新人を主役に使ったのだから、始めから、確信を持ってその素質と実力を見抜いていたのだろう。「ローマの休日」は数あるオードリーの作品の中でもひときわぬきんでた作品だと思うが、いかにすぐれた素質と演技力を持ったオードリーであっても、演出者としてすぐれたウィリアム・ワイラーの作品でなければ、その後のオードリー・ヘップバーンは生まれていなかったかもしれない。ウィリアム・ワイラーによって、磨きをかけられたからこそ、埋もれていた彼女がダイヤモンドのように輝き、魅力的に世に出たと言える。
(画像はコレクションの映画「ローマの休日」のパンフレット。日比谷映画劇場公開。)
参考:
Wikipedia - オードリー・ヘプバーン
http://ja.wikipedia.org/wiki/オードリー・ヘプバーン
オードリー・ヘプバーン
http://www.paoon.com/star/506.html
オードリーの小部屋
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/akirachan/audrey.htm
ローマの休日 製作50周年記念デジタル・ニューリマスター版 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD3514/