私は立ちどまって、調理台の上に、下働の女中がむいたばかりのグリーン・ピースが、何かのゲーム用のみどりの玉のように、数をそろえてならべられているのを見た、しかし私がうっとりしたのはアスパラガスのまえに立ったときで、それらは、ウルトラマリンとピンクに染められ、穂先はモーヴと空色とにこまかく点描され、根元のところにきて──苗床の土の色にまだよごれてはいるが──地上のものならぬ虹色の光彩によるうすれたぼかしになっていた。そうした天上の色彩のニュアンスは、たわむれに野菜に変身していた美しい女人たちの姿をあらわにしているように私には思われたが、そんな美女たちは、そのおいしそうな、ひきしまった肉体の変装を通して、生まれたばかりのあかつきの色や、さっと刷きつけられた虹の色や、消えてゆく青い暮色のなかに、貴重な本質をのぞかせているのであって、そのような本質は、私がアスパラガスをたべた夕食のあとにつづく夜にはいっても、まだ私のなかに認められ、そこに出てくる変身の美女たちは、シェイクスピアの夢幻劇のように詩的であると同時に野卑なファルスを演じながら、私のしびんを香水びんに変えてしまうのであった。
★マルセル・プルースト「失われた時を求めて 第1巻」p203 井上究一郎訳・ちくま文庫
アスパラガスを、こんな風に描くことのできる人なんて、他に知らない。
色の描写は、上質の水彩画のようだ。でも、それが「美女」へと変身していく様は、まさに「言葉」でなければできない魔術だ。