Yoz Art Space

エッセイ・書・写真・水彩画などのワンダーランド
更新終了となった「Yoz Home Page」の後継サイトです

ぼくの切抜帖 8 マルセル・プルースト「失われた時を求めて」★ジルベルト

2014-12-11 15:31:46 | ぼくの切抜帖

そんなふうに、私のそばを、ジルベルトというその名が通りすぎた、一瞬まえまでは、彼女は不確定な映像にすぎなかったのに、たったいま、そのような名によって、一つの人格があたえられたのだ、いわば護符のようにさずけられた名であり、この護符はおそらくはいつか私に彼女を再会させてくれるだろう。そんなふうに、その名が通りすぎた、ジャスミンや、においアラセイトウの上で発せられ、みどりのホースの撒水口からとびだす水滴のように、鋭く、つめたく、そしてその名は、それが横ぎった──と同時に、他から切りはなしている──清浄な空気の圏内を、彼女の生活の神秘でうるおし、そこを虹色に染めながら、彼女と暮らし彼女と旅する幸福な人たちに、彼女をさし示し、そうした幸福な人たちと彼女との親密さ、私がはいれないであろう彼女の生活の未知のものにたいする、私にとってはいかにも苦しい、彼らの親密さの、エッセンスともいうべきものを、ばら色のさんざしの下の、私の肩の高さのところに、発散させているのであった。

★マルセル・プルースト「失われた時を求めて 第1巻」p238 井上究一郎訳・ちくま文庫

 



初めて名前を知ったときというのは、こんな感じなのかもしれません。それにしても、美しい表現です。フランス語が読めないことがもどかしい。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぼくの切抜帖 7 マルセル・プルースト「失われた時を求めて」★意識

2014-12-11 15:26:41 | ぼくの切抜帖

それに私の思考もまた一つのかくれた秣(まぐさ)小屋のようなもので、その奥にはいっていると、そとのようすをうかがうためにそうしているのであっても、私には深くもぐりこんでいるような気がしたのではなかったか? 私が外部にある一つの対象を見ていたとき、それを見ているという意識が、私とそれとのあいだに残って、うすい精神のふちで対象をかがり、そんなふちにさまたげられて、私は対象の実質に直接にふれることがどうしてもできなかった、その実質は、私がそれに接触しないうちにいわば蒸発したのであって、たとえばぬれたある物体に近づけられた白熱の物体は、つねに蒸発帯に先行されているために、湿気にふれないのと同様である。

★マルセル・プルースト「失われた時を求めて 第1巻」p139 井上究一郎訳・ちくま文庫




「対象の実質に直接にふれる」ことの困難さ。

断片を引用しても、なんのこっちゃということになると思いますが、これはあくまで、ぼく自身のためのメモですので、ご容赦ください。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぼくの切抜帖 6 マルセル・プルースト「失われた時を求めて」★蠅の音楽

2014-12-11 15:26:27 | ぼくの切抜帖

それからまた、そとのすばらしい光の感覚は、私の目のまえで、小さな楽団を組んで、夏の室内楽のようなものを演奏している蝿たちによってしかつたえられないこともあった、この蝿の音楽は、人間がうたう音楽の一節──好季節に偶然きいたのが、つぎにきくときにその好季節を思いださせる──のように光の感覚を呼びおこすのではなくて、もっと必然的な一つの絆で夏にむすびついていて、快晴の日々から生まれ、そうした日々とともにしかふたたび生まれることはなく、そうした日々の本質の少量をふくんでいるのであって、われわれの記憶に単に夏の映像を呼びさますだけではなく、夏が帰ってきたことを、夏が実際に目のまえにあって、あたりをとりまき、直接に近づきうることを確証するものなのである。

★マルセル・プルースト「失われた時を求めて 第1巻」p138 井上究一郎訳・ちくま文庫

 
 
「そうした日々の本質を少量ふくんでいる」が、非常に大事なことを言っているように思われます。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする