ときどき彼は、朝から晩まで外出している彼女が、街のなかや道路で、ふとした事故に会って、なんの苦しみもなく死んだらと望むことがあった。そして、彼女がぶじに帰ってくると、人間のからだが、ひどく柔軟であり、強靭であって、周囲に起こるすべての危険(ひそかに事故死をねがって危険を計算してみるようになって以来、危険は数かぎりなくあることにスワンは気づくのであった)そんな危険を、たえず食いとめ、未然にふせぐことができ、そんなふうにして、人々にたいして毎日ほとんどさしさわりなく、その虚偽の行為と快楽の追求にふけらせていることに、彼は感心するのであった。
★マルセル・プルースト「失われた時を求めて 第1巻」p598 井上究一郎訳・ちくま文庫
自分を振り回す恋人の死をふと願うスワンが、ふとこんなことを思う。
確かに、ぼくらは、「数限りなくある危険」を、自然とたくみに避けて生きていられる。不思議なことです。