山本洋三「出発」より
半紙
青空はもう発熱しない
青樹はもう発汗しない
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断片的だとやっぱり意味不明ですね。
そろそろ全文を。
ちょっと長いです。
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出発
出発の旗は
幾度となく風にはためき
幾度となく地にまみれた
風は砂のように
輝きをなくした
頬を流れる
涙はいつもきまって
舌の悔恨から
喉の薄明へと姿をくらましたが……
埃まみれの旗を今
涙の淵からひきずり出して
ああどの空へ向けてかかげよう!
青空はもう発熱しない
青樹はもう発汗しない
青春ということばを
ぼくはいつも背中の影にかくしてきた
まるで初潮を恥じる少女のように
けれど
青葉透かす日の光みちる
街路樹の下道に沿いながら
ぼくはひっそりとたくらんでいたのだ
ぼくだけに輝かしい出発を
しかしぼくにみえたのは
巨大な白いビルの角を
いつみてもゆるやかに曲がっていく
男たちの後姿だけだった
今世界のどこに
輝くものがあるか
きらめくものがあるか
もう一度ぼくは生きることができるだろうか
出発の輝きのために
ただそれだけのためにといえる
激しさで
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この詩は、1975年ごろに書いた詩です。
ちょうどこの頃、最初の勤務校都立忠生高校にいて
教師をやめようかと思うほどのヒドイ精神的な状況にありました。
先輩の教師の理不尽な個人攻撃に対抗して
身も心もボロボロだったのです。
それを救ってくれたのが「演劇部」であり、演劇部員たちでした。
この詩は、ひどくセンチメンタルで
お恥ずかしい限りですけど
今ならある程度客観的に読むことができます。
結局、ぼくは、あの前代未聞の大学闘争の渦中にありながら
「青春」を燃焼できなかったということでしょう。
簡単にいえば、「戦わなかった」ということです。
それは「闘争」の「正しさ」を確信できなかったからですが
友人たちから「日和見」だの「ノンポリ」だの「優柔不断」だのと言われ続けたことは
心の中に深い傷を残したようです。
やっぱり、ヘルメットかぶって、「権力」と渡り合う方が
かっこいいし、「青春」そのものに見えますからね。
まあ、そんな屈折した「挫折感」をかかえて教師になって
職場での「いじめ」ともいえる先輩教師の仕打ちにあって
(もちろん、やられっぱなしではなくて、「倍返し」「三倍返し」でしたが。)
もがいている心のようすが、このセンチメンタルな詩のなかには
あるようです。
いずれにしても、遠い昔の話。
それをわざわざ蒸し返して「書」にするのもどうかと思うのですが
何ごとも「経験」ですから。
で、もう一点。