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日本近代文学の森へ (63) 田山花袋『蒲団』 10  おもしろいのか? 『蒲団』は

2018-11-20 16:06:00 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (63) 田山花袋『蒲団』 10  おもしろいのか? 『蒲団』は

2018.11.20


 

 まあ、それにしても、なかなか進まない。おもしろいからなのか、つまらないからなのか、よく分からない。先日、ある大学の若い先生と飲んで話したときに、学生と読書会をやったんだけど、『蒲団』がすごい人気だった、ってことを聞いたような気がする。酔っぱらっていたので、ぜんぜん正確な話ではないが、今の大学生にも『蒲団』を「おもしろい」って思う人がいるんだということは、おもしろい。どこがおもしろいのか、聞いてみたいものだ。

 先を急いでもいいのだが、「急ぐ」意味がない。どっちみち、ヒマな老人なので、急がないことにする。

 芳子に恋人がいることが分かり、自分が仲人役をしなければならない現実に、時雄はヤケになり、酒におぼれ、食事の支度が遅いといって女房に文句を言い、肴がまずいといって癇癪を起こす。5歳になる男の子を可愛がって接吻したかと思うと、その子が泣き出すと、「ピシャピシャとその尻を乱打」する始末。他の三人の子どもはお父さんのあまりの変わりように、びっくりして遠巻きにおそるおそる見守るばかり。一升近くも酒を飲んで倒れてお膳をひっくりかえしたかと思えば、訳の分からぬ「新体詩」を歌いだし、その挙げ句に、女房がかけた蒲団を着たまま厠に入って小便をしたかと思ったらそこにそのまま寝てしまうというテイタラクだ。

 時雄は、こうした自分を分析してこんなことを考える。


 渠(かれ)は三日間、その苦悶と戦った。渠は性として惑溺することが出来ぬ或る一種の力を有(も)っている。この力の為めに支配されるのを常に口惜しく思っているのではあるが、それでもいつか負けて了う。征服されて了う。これが為め渠はいつも運命の圏外に立って苦しい味を嘗めさせられるが、世間からは正しい人、信頼するに足る人と信じられている。三日間の苦しい煩悶、これでとにかく渠はその前途を見た。二人の間の関係は一段落を告げた。これからは、師としての責任を尽して、わが愛する女の幸福の為めを謀るばかりだ。これはつらい、けれどつらいのが人生(ライフ)だ! と思いながら帰って来た。



「惑溺」という言葉が耳馴れないけど、「ある事に深く迷って本心を失うこと。溺れること。」の意(日本国語大辞典)。泡鳴がよく使い、小説の題にもなった「耽溺(ある境地にふけり溺(おぼ)れること。特に、酒や女色などにふけり溺れること。)同書」とほぼ同じ意味。

 時雄は「性として惑溺することが出来ぬ或る一種の力を有(も)っている」というのだが、要するに、泡鳴のようにとことん溺れてしまうことができず、どこかでブレーキが効いてしまうということだろう。だから、「世間からは正しい人、信頼するに足る人と信じられている。」というわけだが、ほんとにそうだったのだろうか。これを花袋のことだとして考えた場合、もし、花袋が世間からそういう人だと信じられていたのだとすれば、この『蒲団』という小説がいかに衝撃的だったかが分かろうというものである。

 三日の煩悶の後、時雄は、芳子の師としての責任を自覚し、「つらいのが人生だ!」という結論に至る。中2でも至ることのできそうな「結論」だけど。

 ところがそこへ芳子からの手紙がくる。恋人の田中に最近の事情を書いてやったら、田中は心配して、こっちへ出てきてしまい、今旅籠に泊まっている。「私共も激しい感情の中に、理性も御座いますから、京都でしたような、仮りにも常識を外れた、他人から誤解されるようなことは致しません。誓って、決して致しません。」なんて書いてある。「京都でした常識を外れたこと」というのは、一緒に旅館に泊まったことを指すらしいが、それでも、「私共」には「汚れた関係はない」と言い張るのだ。つまり一緒に宿に泊まりましたけど、「やってません」てことで、昨今の「一泊デート」をスクープされた芸能人がいつも言う言葉。「ただ仕事の相談をしていただけです。」みたいな言い訳がくっつくけど、まあ、今時、誰も信じない。

 性道徳の厳しかった明治時代でも、やはりこれでは、いくら「惑溺することが出来ぬ或る一種の力」を持っている時雄でもたまらない。



 この一通の手紙を読んでいる中、さまざまの感情が時雄の胸を火のように燃えて通った。その田中という二十一の青年が現にこの東京に来ている。芳子が迎えに行った。何をしたか解らん。この間言ったこともまるで虚言(うそ)かも知れぬ。この夏期の休暇に須磨で落合った時から出来ていて、京都での行為もその望を満す為め、今度も恋しさに堪え兼ねて女の後を追って上京したのかも知れん。手を握ったろう。胸と胸とが相触れたろう。人が見ていぬ旅籠屋の二階、何を為ているか解らぬ。汚れる汚れぬのも刹那の間だ。こう思うと時雄は堪らなくなった。「監督者の責任にも関する!」と腹の中で絶叫した。こうしてはおかれぬ、こういう自由を精神の定まらぬ女に与えておくことは出来ん。監督せんければならん、保護せんけりゃならん。私共は熱情もあるが理性がある! 私共とは何だ! 何故私とは書かぬ、何故複数を用いた? 時雄の胸は嵐のように乱れた。着いたのは昨日の六時、姉の家に行って聞き糺(ただ)せば昨夜何時頃に帰ったか解るが、今日はどうした、今はどうしている?
 細君の心を尽した晩餐の膳には、鮪の新鮮な刺身に、青紫蘇の薬味を添えた冷豆腐、それを味う余裕もないが、一盃は一盃と盞を重ねた。



 まったくこれには笑ってしまう。大学生たちも、この辺ではきっと笑ったろうと思うと更に可笑しくなる。35にもなるいい大人が、それも作家としていちおう世に認められている男が、「手を握ったろう。胸と胸とが相触れたろう。人が見ていぬ旅籠屋の二階、何を為ているか解らぬ。汚れる汚れぬのも刹那の間だ。」なんて書くんだから呆れちゃう。ただ嫉妬に狂っているだけなのに、「監督せんければならん、保護せんけりゃならん。」という建前を叫び、「私共」という言葉に激怒する。滑稽の極みで、うまくアレンジすれば、そんじょそこらのお笑い芸人のやるコントよりよほどおもしろい。

 この時雄の激怒ぶりもおもしろいのだが、その直後にある、「晩餐の膳」の描写が、この場面とぜんぜん調和してないのが、またおもしろい。時雄は激怒しつつ、「鮪の新鮮な刺身に、青紫蘇の薬味を添えた冷豆腐」を見ていたことになる。「味わう余裕もない」とはあるけれど、時雄の視点で書くならば、膳に何が乗っていたかなんて必要のないことだし、目に入るはずもない。それこそ「何を食ったんだか分からぬ」というのがほんとうだろう。これがひょっとしたら「平面描写」か?

 ぼくなんか、飲み会では、いつもくだらぬことを話すのに夢中になって、ほとんど何を口にいれたか覚えていない。(たぶん、ほとんど食べてない。)

 さて、その直後の、夫婦の会話。細君が案外冷静なのもおもしろい。


 

 細君は末の児を寝かして、火鉢の前に来て坐ったが、芳子の手紙の夫の傍にあるのに眼を附けて、
「芳子さん、何て言って来たのです?」
 時雄は黙って手紙を投げて遣った、細君はそれを受取りながら、夫の顔をじろりと見て、暴風の前に来る雲行の甚だ急なのを知った。
 細君は手紙を読終って巻きかえしながら、
「出て来たのですね」
「うむ」
「ずっと東京に居るんでしょうか」
「手紙に書いてあるじゃないか、すぐ帰すッて……」
「帰るでしょうか」
「そんなこと誰が知るものか」
 夫の語気が烈しいので、細君は口を噤(つぐ)んで了った。少時(しばらく)経ってから、
「だから、本当に厭さ、若い娘の身で、小説家になるなんぞッて、望む本人も本人なら、よこす親達も親達ですからね」
「でも、お前は安心したろう」と言おうとしたが、それは止(よ)して、
「まア、そんなことはどうでも好いさ、どうせお前達には解らんのだから……それよりも酌でもしたらどうだ」
 温順な細君は徳利を取上げて、京焼の盃に波々と注ぐ。
 時雄は頻りに酒を呷(あお)った。酒でなければこの鬱を遣るに堪えぬといわぬばかりに。三本目に、妻は心配して、
「この頃はどうか為ましたね」
「何故?」
「酔ってばかりいるじゃありませんか」
「酔うということがどうかしたのか」
「そうでしょう、何か気に懸ることがあるからでしょう。芳子さんのことなどはどうでも好いじゃありませんか」
「馬鹿!」
 と時雄は一喝した。
 細君はそれにも懲りずに、
「だって、余り飲んでは毒ですよ、もう好い加減になさい、また手水場(ちょうずば)にでも入って寝ると、貴郎(あなた)は大きいから、私と、お鶴(下女)の手ぐらいではどうにもなりやしませんからさ」
「まア、好いからもう一本」
 で、もう一本を半分位飲んだ。もう酔は余程廻ったらしい。顔の色は赤銅色に染って眼が少しく据っていた。急に立上って、
「おい、帯を出せ!」
「何処へいらっしゃる」
「三番町まで行って来る」
「姉の処?」
「うむ」
「およしなさいよ、危ないから」
「何アに大丈夫だ、人の娘を預って監督せずに投遣(なげやり)にしてはおかれん。男がこの東京に来て一緒に歩いたり何かしているのを見ぬ振をしてはおかれん。田川(姉の家の姓)に預けておいても不安心だから、今日、行って、早かったら、芳子を家に連れて来る。二階を掃除しておけ」
「家に置くんですか、また……」
「勿論」
 細君は容易に帯と着物とを出そうともせぬので、
「よし、よし、着物を出さんのなら、これで好い」と、白地の単衣に唐縮緬の汚れたへこ帯、帽子も被らずに、そのままに急いで戸外へ出た。「今出しますから……本当に困って了う」という細君の声が後に聞えた。



 家においておくことは到底できないと判断して、奥方の姉の家に芳子を仮寓させたのに、このままでは監督できない、あぶなくてしょうがないというので、またぞろ家に置こうと時雄は考えるのである。「本当に困って了う」という細君の嘆きが耳に残る。




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