前回の続きです。
海の色が、青くなくて、ほんとに冬の海って感じですね。
ここは、夕景を撮るには絶好の場所で、多くのカメラマンが集まるようです。
いつかチャレンジしてみたいと思うのですが。
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カメラ:Nikon D750
レンズ:AF-S NIKKOR 24-120mm 1:4G ED
前回の続きです。
海の色が、青くなくて、ほんとに冬の海って感じですね。
ここは、夕景を撮るには絶好の場所で、多くのカメラマンが集まるようです。
いつかチャレンジしてみたいと思うのですが。
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カメラ:Nikon D750
レンズ:AF-S NIKKOR 24-120mm 1:4G ED
風
写真用光沢紙 A4版
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墨ではなく、ポスターカラーで光沢紙に書くとどうなるか。
乾かないところを、クッキングペーパーで拭いたら
周辺にも模様ができてしまいましたが、これも「景色」かなと。
生徒中学や高校の国語の先生だって、(「失われた時を求めて」を)おそらく読み切った人はそんなにいないと思うが、実は、生徒のなかにこれを読み切ってしまう人が学校に一人くらいはいるものである。
高校のとき、よく図書館でそういう人を見かけた。たいていは女の子で、ともかくたいへんな量を読んでいくのである。「失われた時を求めて」は読むわ「ジャン・クリストフ」は読むわ「魔の山」は読むわ。「夜明け前」は読むわ。そしてけろっとしているのだ。えらい人だと思うけれど、こういう人は学校を出たら突然読書と無縁になり読書そのものから「卒業」してしまうことが多い。むしろ、あれも読まない、これも読まないという人のほうが、そのあとも気になるので「晴れない」気持ちをかかえながら、読書の世界にへばりついていき、おとなになっても書物とつながっていくのだ。そういう例は多い。
読書は一時のものではない。いつまでもつづくところに、よさがある。「読まない」ことをつづけることにも意味があるのだ。読書を「失わない」ことがたいせつである。
★荒川洋治「忘れられる過去」みすず書房・2003/朝日文庫・2011
ここを読むと、すごく救われる気持ちになる。ぼくも、荒川が本文で書いているとおり、プルーストの「失われた時を求めて」は、何度も通読を志して読んできたのだが、「第一巻の最初の九〇頁あたりまでは何回も行き来するが、そこから先へ行かない。」のだ。言ってみれば「須磨源氏」のようなものなのだろうか。
何でもかんでも読んでしまって「けろっとしている」人をぼくも知っている。男だけど。小学校の同級生だったが、高校生になって久しぶりに会ったとき、当時中央公論社からでていた「世界の名著」(たぶん80巻ぐらいあったんじゃないかな)を「全部読んだ」と言ったのだ。そして荒川が言うように「けろっとしている」のだった。あれは、ほんとにびっくりした。彼はその後医者になったようだが、それ以来一度も会っていない。彼は今、読書しているだろうか。
かれのことは、まあ、どうでもよい。ぼくが「晴れない」気持ちを抱えていることは確かで、「読書」を失っていないことも、確かである。
荒川洋治は、ぼくと同い年の詩人。この人の書くものが、いちばん、ぼくにはぴったりくる。珍しく「朝日文庫」に入ったので、是非ご一読を。
今日は風が非常に強かったのですが、
あまりに天気がいいので、鎌倉へ撮影に行きました。
ルートは、鎌倉駅→(江ノ電)→稲村ヶ崎→(江ノ電)→極楽寺→(江ノ電)→長谷
→長谷寺→光則寺→長谷→(江ノ電)→鎌倉
→(JR)→北鎌倉→明月院→東慶寺→円覚寺→北鎌倉。
家を8:30ごろ出て、帰宅が16:00ごろ。かなりハードでした。
とにかく、稲村ヶ崎は、猛烈な風で、砂が顔に当たって痛いわ、寒いわ、体が飛ばされそうになるわで、
決死の撮影でした。
それでも、富士山はバッチリ見えるし、波もすごくいい感じ。
今日撮った写真は約800枚。
これから、厳選して(同じような写真がものすごく多いので)、
ぼちぼちアップしていきます。
さしあたって、稲村ヶ崎公園から見た富士山と江ノ島。
偶然、トンビが入っていた1枚。
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フィスブックの投稿と同じです。
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カメラ:Nikon D750
レンズ:AF-S NIKKOR 24-120mm 1:4G ED
俗に「末期の眼」はものを美しく見せるといふが、それは必ずしも現実の死にのぞむまでもなく、ものとの触れあひが慌しく過ぎて行くときにもなりたつものであらう。いはんや、現代は高齢化の時代であり、現実に老後の時間が延びるとともに、ひとびとが「余生」の時間を深く味はひ、それをいつくしむ時間も延びることになった。運命の偶然と環境の流動を痛切に感じる時間のなかで、ひとびとは孤独な自己の姿を見つめなほす機会を増やし、それと同時に、他人とともに満足を味はふ、幸福な自己の姿を確認する機会をも求めるはずなのである。
★山崎正和「柔らかい個人主義の誕生」中央公論社 1984
今からおよそ30年前に書かれた本。「求めるはずなのである。」という予見は、さて、当たっているのかどうか。
それはそれとして、最初の2行にいたく共感した。