日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

定期検診病院へ、今日は陸士開校記念日

2014年06月10日 | Weblog

 定期に予定した日時の検診の為、息子夫婦の車で病院迄同乗した。何時もの通り検査の上で担当医師の診察を受け、処方箋の交付を受けて10時過ぎには帰宅の途に着いた。次には3ヶ月後の診察である。左程の特別な気になる所見は無かったので、後3ヶ月後に再来すべく予約を決めた次第である。勿論処方箋を頂き、近辺の処方薬局で薬を頂いて、11時半には帰宅出来た訳である。

 今日は我が出身校の陸軍士官学校の開校記念日でもある。明治11年創学であるので、引き続いて学校が存在れば、丁度今年で何と136年前という事となる。終戦により都合66年間で陸士が消えた事となった。我が心の強力な支えであった。将校生徒の憶い出は尽きない。今日は、一昨日の私の米寿の祝賀会関係者の内、お祝儀と花束を頂いた後輩同門会の先生に、お礼状を書き認めて郵送した。夜分になって主催者や出席者から、逆にお礼の電話やメールを貰い、感謝とお礼を言ったり、メールで返礼したところである。これで全てが一段落した事となった。有り難く嬉しさで感動一杯であった。


諸事順調に過ぎ、只管気分清明なり

2014年06月09日 | Weblog

 霖雨も治まって、梅雨も中休みらしい。今朝は太陽も久し振りに顔を出して、昨日までの比較的長い強い梅雨も、これで一休みであろうかと思われる程の好天気である。流石晴れ男の貫禄を、昨日の米寿のお祝いでの会場から窓越しの霽れた天候が、見事に示してくれた。流石にあれ程の良い会場と、そこでの会員の心意気、楽しい談笑のうちに3時間があっという間に過ぎた。帰り際の階段脇には、既に記念写真も出来上がっていて配布された。この好準備皆本当に恐れ入った配慮である。下川君の配慮が全てでお祝い一色に包み、スムースな進行と共に、会場の雰囲気を弥が上にも高揚させた、高次の心配りに他ならない。御蔭さまで多くの同門会員の出席を得て、盛大に記念の米寿の祝賀会が開催でき、歓談のうちに、恙無く終了出来た事を、感激し心から感謝致したい。改めて同門会の皆さんと、天地神明に対し感謝の心を捧げたい。幸せこれに過ぎるものは無かった。両腕にも抱え切れぬ程の、花束の山を3束程頂き、自宅の部屋は無論ベランダにも飾るところが無い程の、大きい大量の花束であった。夜はこの米寿の記念祝賀をを契機に、自室の書斎の「断捨離」を始めた。これで一応足を踏み入れる事も出来、メイが鞠投げで右往左往するスペースも確保できた。夜は感激と興奮の余り、夜半2時過ぎに目覚めてしまった。嬉しい興奮が微睡みを誘っ様だ。偶々この時分、メイの行動も寝室を出たり入ったりと、変った動きが見られた。何所のワン子達も、先日来の長雨には閉口して、異常な動物心理が働いた様な気がする。メイは昨夜と一昨夜がそうであった。今日から皆が落ち着いて、普通の日常生活に戻ることであろう。さて月曜日、何時ものお花が学校の理事幹部室に飾られた。昨日頂いたお花と同じものがあり、それはヒペリカムという名前(外来種)であった。 


雨のち晴れ、米寿の日皆に喜んで貰う

2014年06月08日 | Weblog

 3−4日前からの霖雨、今朝も降り続いていて、何時降り止むかも分からない程の梅雨である。今日は待ちに待った私の米寿のお祝いの日である。折角の弟子達の設えた今日の良き日なのである。午前中家内が用意してくれたスーツを早めに着てYシャツも折り目のついた清楚のもの、ネクタイもお気に入りの物を着けてめに準備を整えていた。流石晴れ男の私だけに、11時半近く会場の明治記念館に着く頃には、すっかり晴れて、皆が褒め讃えて下さった。有り難い嬉しい話である。大きな立派なお花を頂きハイヤーで送って下さって2時40分帰宅出来た。人生の折り目の嬉しく元気が出た日であった。出席者の皆さんは心から感謝致したい。それと共に今後健康に注意して更に健勝で生き続けたい思いで一杯である。花の香りを愛でつつここ一週間水遣りりを実施しながら、生き甲斐をもっと増進したい。夕食後一息ついてから、予て考えていた断捨離を実行した。書斎の書本箱を片ずけ多。約2包み程の廃棄物を取りまとめ、書斎は出入りとメイのボール投げが出来るようになって、ほっと一安心である。是からも少しづつ断捨離をしていこうと思う。


関東は早い梅雨の真っ直中

2014年06月07日 | Weblog

 連日の梅雨が降り続いている。確かに気分も晴れず、家の中でパソコンを弄ったり、ごろ寝したりして、積極的な行動はどうも取り難い。明日が私の米寿の記念祝賀会なので、必要があればと言う意味で、時間稼ぎのスライドを又一件用意した。明日の連雨がせめて皆が集まる時間帯の、お昼過ぎにでも小止みになってくれないかと、唯それのみを祈るばかりの気持ちである。「晴れ男」の本領がここで発揮されればと、切に願って止まない。

 今朝はそんな雨降りの状態なので、珍しくメイの朝の散歩は取り止めた次第である。家の中でボール投げも済んだ様で、食事後メイはゆったりとベットに横たわっている。今日一日だけの大雨であろう。家の周りや公園の植木達は、長雨の給水を受けて、きっと勇んで生気を取り戻し、夏を期待し、その準備に励みつつある様に思える。


今日は芒種

2014年06月06日 | Weblog

 今日のこの日は芒種と言って、丁度麦刈りが済んで、直ぐさま稲を植える季節である。農家は一年中で最も忙しく、芒のある作物が取り入れや田植えをする時期で、多忙を極める季節である。関東も昨日から梅雨入りして、曇りから雨の天候となった。幾分気温が低下して涼しいが、湿度は高くなって来ている。明後日が私の米寿の記念祝賀会であるので、写真や記念誌など用意し、当日回覧に供して出席者に見て貰おうと考えている。当日は梅雨の中休みの日であって欲しいと願っている。


水無月5日目

2014年06月05日 | Weblog

  6月も5日目になった。今日から3−4日雨が続くそうである。偏西風が蛇行しているせいで、高低気圧が底流・停滞しているため梅雨のような天気が続くそうである。8日の米寿の会の心組みを少しく考えている。昔なじみの同門会の人達だけであるから、気は楽である。パソコンにその要項を書き連ねてみたがそれが何処へ行ってしまったか、これから探し添削しようかと思う。愈々雨か!今日はゆっくり寛ごう。


流石にもう夏!名古屋へお通夜に赴く

2014年06月04日 | Weblog

  健康こそが最大の幸福であると、昨日の友人のお通夜で実感した。ロコモティブシンドロームの人が3ー4人居たであろうか?  大勢の参加者に混じって脚を引きずっての慰霊であった。聞けば故人は,5年前に胃がんの全摘を受けて、終この3月から食物が全然摂れなくなって、本人過剰医療や延命医療をを拒んで、遺書にも認めていた、との事であった。可哀想でならない。式場で3人程が後ろから肩を叩いて挨拶をして下さった。よくぞ名古屋まで来て下さった事に、敬意を表しての挨拶であった。読経、参詣者の香を焚いての祈りが追えたのは、午後6時44分であった。7時半頃には全部が終えて、帰着したようであった。私と白川君は故人の冥福を祈って午後10時32分新幹線で東京へ向かった。思えば昨年8月9日招かれて名古屋に一泊、最高の料理店で杯を重ね歓談してまだ10ヶ月足らずであった。人の命は儚く、いくら追憶の糸を辿っても憶い出は懐かしく、尽きないものだと痛感した。


畏友との別れ、お通夜に出席

2014年06月03日 | Weblog

 今日明日だけの曇りで時々晴れ模様、雨は明日には降る様子である。今夜は友人と嘗っての親友だった名古屋の畏友の、お通夜に出席して、懇ろにその冥福を祈って来る所存である。午後6時開式であるから、東京駅を新幹線で、4時頃乗車出来れば間に合うものと思われる。これから時間表を調べ、友人と打ち合わせ落ち合って、一緒荷で掛けることとしよう。メイとの散歩も一応滞りなくすんで、メイは今朝飯を食べてベットに寝転んでいる。暢気なものである、これで良いのだ!午後1時30分バスと地下鉄で東京駅へ行き、電話で駅前近くのクリニック長で嘗ての盟友を呼び出し、新幹線の切符を買って貰い、東京駅午後3時15分発のぞみで西下した。地下鉄を乗り継ぎ斎場に着いたのは午後5時35分過ぎで、可成り徒歩では遠く、広告の約3倍を歩いた勘定となった。在りし日の河合君が笑顔で祭壇に飾られてあり、昔を憶い、思い余って感慨が交錯した。ゆっくり手を合わせて黙祷しお線香を手向けて祈念し、冥福を心から敬虔に祈って来た。帰宅は、午後11時半であった。盟友の白川君に細かく面倒を見てもらえたので、大変助かった次第である。


水無月6月2日、真夏日も本格的

2014年06月02日 | Weblog

  昨日に引き続き今日も朝から太陽が照りつけて、愈々本格的な真夏日となって来た。学校の責任者としての書類が、実印を必要としているので,今朝は持参して事務部長の前で記入捺印して事を終えた。まだまだ学校の全ての業務が軌道に乗るには,徐除ではあるが少しずつ焦らず前進する必要があろう。6月なので、ワイシャツにノーネクタイで出出勤した。皆も心得てそのように「衣替え」である。学校では皆が暑さにもめげず、上着無しで勿論ネクタイはしないで、自由に悠々と勤務している姿が目立ってきている。ただ九州全土と山口ではもう梅雨入りだと言う。長崎などは本降りで、明日から明後日は九州全域で大雨が降るらしい。天気予報士は中国の雨雲の影響であると考えているらしい。昨日沖縄まで講演に行った息子の嫁は、夜遅く午後12時前に帰宅、そして今朝は通常勤務なので朝早く一緒にもう家を出発して行った。ご苦労様で本当に偉いものである。学校の業務は普通に行われており,今後前学期中営々と課業が続行されるものと思われよう。


水無月始まる、真夏日二日目も清明爽やか、畏友逝去の報

2014年06月01日 | Weblog

 水無月とは良く言ったものである。連日晴れが続いて気分も爽快で、暑さは真夏日であるが、風が涼しい。メイの散歩は歩みこそ、もたもたになって来たが、いざ公園で散歩の後生理現象を終えた頃から、元気が出て来てボール投げも5回をこなした。昼間の天候は暑く太陽が照り輝いて、木陰はとても過ごし易かった。メイは久し振りに車庫でゆっくり横になって憩いを取っていた様である。夕頃5時過ぎには、息子が古い車が、車検をいくら経過しても良く直らず、止む無く今日は新車を求め、購入してきた。真っ黒で光り輝くボディーは、落ち着いてどっしりして、さもDr.の乗用車然を思わせる。これで冗費が節約出来て本当に良かったと思われる。夕刻7時に盟友から電話が入り、私の畏友である名誉教授が急死したとの知らせが入り、急ぎ葬祭屋さんへ連絡を取り生花を2基お願いしておいたところである。思えば彼こそは立派で良い男であった。まだ87歳であったろう。昨年8月9日招待を受けて、名古屋で一泊し、歓談したばかりであったのに、早世が残念でならない。懐かしく良い思い出が、延々と次々に想起し追悼しつつ、哀悼の意を表している次第である。