yukarikoの好きなもの
旅の写真や思い出
PCでの雑感を並べました。
 





上の牡丹の中の「毘沙門天」はその憂いを含んだ表情から
「憂愁の毘沙門天」の異名を持たれ、咲き誇る牡丹と共に乙訓寺の象徴。
(ご本尊は秘仏の為)平安時代後期の作・重要文化財





上の地図は4/30に訪れた長岡京市の長岡京遺跡と乙訓寺
向日神社、長岡天満宮の地図。

「牡丹の寺・今里のお大師さん」として有名な乙訓寺は高槻市に程近い
長岡京市に聖徳太子の創建と伝えられ、平安初期は京の七大官寺筆頭として
弘法大師も別当(住職)をされた大寺ですがその後信長の兵火で焼失。

江戸時代綱吉によって再建されましたが、時代が下がり寺域など
往時の勢いはありません。
近年昔の面影を偲ぶその時代の遺構が発掘されました。

今は「今里の弘法さん」として毎月21日と初弘法・終い弘法、そして
春の彼岸は中日が大師の正御影供(しょうみえく)の3月21日と重なるので
大いに賑わうそうです。

また、恨みを呑んで亡くなった早良親王(藤原種継の殺害の嫌疑で廃太子)を
その時に幽閉したお寺で境内に親王の供養塔があります。
今回は乙訓寺入口の鯉のぼりと一部の牡丹と重要文化財の「毘沙門天像」をアニメで。

※下の牡丹アニメはゆっくり切り変わります。どうぞご覧下さい!



長岡天満宮はご存知のように讒言により左遷された大宰府で亡くなった
菅原道真を祀った神社です。
天満宮の創建は時代が少し後になりますが…。

日本の三大怨霊は「早良親王」「菅原道真」「平将門」だそうですが
その二つに関係する神社とお寺が「長岡京市」にあるとは…!

長岡天満宮前の八条池は1638~39に領主八条宮が天満宮周囲に池を掘り
農業用水に利用とか。おりしも朱赤の霧島つつじが満開でした。




今年は天候不順で開花が遅れ、4/28のHPで「見頃です」のお知らせを発見!
日覆いの白い唐傘が独特の風情を醸し出す境内は三脚・写生も
拝観の邪魔になるので不許可。
その理由がよく分かるほど見事な牡丹でした。
客の中に「牡丹柄の着物に牡丹柄の帯」の若い人を発見!
桜柄は時々見ますが、牡丹尽くしは珍しく思わず見とれましたが、
正面のお姿の撮影はさすがに遠慮しました(笑)



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歴史で簡単に習う「長岡京」が実際にどの辺りか、大半の人が知らないでしょう。
yukarikoもこの日「長岡京跡」に設置された写真で初めて知りました。

大きく拡大してお見せしましょう!赤のアンダーラインは現在の駅名です。





長岡京の遺跡、東京・明治神宮の建立時に社殿の見本となった向日神社、
そして乙訓寺の景色と牡丹と長岡天満宮入口の霧島ツツジと八条池の風景などは
次回にフラッシュで見て頂きます。

とりあえずは大極殿跡と向日神社、早良親王の供養塔と八条池の霧島つつじのアニメです。




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