夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

池に浮かぶ月375【1月29日】

2019年01月29日 18時55分48秒 | 「池に浮かぶ月」
去年はちょうどよい関係について記事二つでした。
朝ゴミ出しに行ったらここらあたりを縄張りにしている猫が日向に寝そべっていた。この地域のボスですから一応猫とはいえご挨拶を。何の返事もしない。野良だから名前でも付けてあげようと思ったのですが、今の関係がちょうどよいかなと。。。。。。
男女間も同じなのかも。。。。

北風が僕を包み渦となる
渦は広がり僕の翼となった
北風の翼は
冷たい空気を切って舞いあがる
北風は南に向う。。。
心は行く雲。。。

「1月29日という日」

【2018年】ツイッターつぶやき朝、ゴミを出し終えて花壇の花の様子見ていたら、時々すれ違う茶色に縞模様のある大きな猫がやってきた。この界隈では、この猫と黒猫が縄張りを持っているよ......

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2019年 1月29日(火)「物心崇拝」

2019年01月29日 12時55分26秒 | 「思うこと」
無神論者から言えば、神は人が作り出したもので自ら作り出した神を崇拝してそれは宗教となり莫大な財をその神にささげる。財をささげるということはその財を作り出す労働力をささげるということになる。神のために労働力は奴隷化していく。
同じ様に資本主義は商品や貨幣が神となり、その作り出した商品や貨幣が人を支配していく。商品や貨幣は財そのものであるが、それを生産するのは労働力でありその労働力は奴隷化する。
この状態を物心崇拝という。
日本は古来から自然そのものに神が宿り草一本に神を見る。
宗教としては自然に従いその恩恵に感謝をし同時に自然を畏怖してきた。
このような素朴な宗教は農耕社会においては素朴さのままに置かれていたが、資本主義になっても商品や貨幣を崇拝する。商品を生産して貨幣を得ることができる企業が第一ということが当たり前になるような社会となる。為替や株式はすでに神の存在として人々を支配している。市場の自由赴く処に従え。。。。。。
もちろん宗教が社会の財を吸いつくすと同じように物心崇拝も財を吸いつくしていく。神官はその財を管理する。それが政治です。
でも、商品や貨幣はあらゆる矛盾を生み出しますから自ら神であることを否定し始める。
唯一の神を捨てて八百万の神々に戻ろうとする。また素朴な神々に戻る。
商品や貨幣そして為替や株式に集中された神々は国民すべての財として戻ろうとしている。昔は共産社会であったように。でも昔がえりをすることなく社会民主主義を経るでしょう。
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