立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

魚津の海岸

2010年10月05日 | Zenblog
 同じく早月川の河口から魚津側の海岸を見ています。魚津が古くから栄えた町であることを示すような家の詰まり具合です。黒い雲がここから右の方立山連峰に向かって伸びています。

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ミラージュランドの観覧車

2010年10月05日 | Zenblog
 早月川の河口に降りて、魚津ミラージュランドの観覧車を見上げると派手に円形を描いています。周囲の景色が沈み込んでいるときも、これだけははるか遠くからでも目立つランドマークです。救いのような景色に見えることもあります。

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滑川海岸の松

2010年10月05日 | Zenblog
 滑川の海岸沿いに並んでいる松はそのシルエットがそれぞれに美しく、上の道路から海際を印象深く見せる松の木の並びです。

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滑川漁港の灯台

2010年10月05日 | Zenblog
 午後は曇っていて、あてもなく東の方滑川・魚津へ向かって走りました。滑川漁港入り口の灯台は、ホタルイカのマークをつけて妙に可愛いのが面白いです。海の向こうに連なって見えるのは古志の松原です。

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広開土王碑をさらにアップ・・・JingShangの吉林集安への旅

2010年10月05日 | JingShang君からの上海レポート
 更にそのアップです。碑文を写そうとしたのですが、ガラスが反射して駄目でした。反射しなくても、碑文を写真で撮るのは難しいでしょう。風化している上に、何度も拓本に使われています。

 説明の続きです。この百済に関する碑文の解釈について、朝鮮の学者から酒匂大尉が当時の日本の朝鮮進出に絡んで碑文を改竄したと言う異説が唱えられたようですが、最近は中国での研究も進み、酒匂改竄説は否定される結果になっているようです。

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広開土王碑の正面からをアップ・・・JingShangの吉林集安への旅

2010年10月05日 | JingShang君からの上海レポート
 写真はそのアップです。人の背と比べるとその大きさが判ります。

 説明を続けます。その碑文の中に、百済が任那と組んで、新羅を攻撃したので、広開土王が新羅を救援し、また高句麗に攻めてきた百済を打ち負かしたという内容があり、これが日本の歴史の教科書の中に出ています。日本の朝鮮半島進出が裏づけられるという訳です。

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広開土王碑を正面から見る・・・JingShangの吉林集安への旅

2010年10月05日 | JingShang君からの上海レポート
 碑を正面から見たものです。このようにとても大きなもので、拓本にするだけでも大作業です。
 広開土王碑の説明を続けます。1880年清の農民が発見して(ずっとそこに立っていた筈なので、発見という言葉はおかしいのですが、その時点で世の中にその存在が知られるようになったということでしょう)、1884年に日本陸軍の酒匂大尉がその拓本を日本に持ち帰ったということです。

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広開土王碑の建物を横から見る・・・JingShangの吉林集安への旅

2010年10月05日 | JingShang君からの上海レポート
 写真はその広開土王碑の建物を横からみたものです。石碑は昔からこのように立っていたのですが、後日4本柱の建物が建てられ、またさらに後日ガラスで覆われたという訳です。
 広開土王についてウィキペデアの受け売りですが、書いてみます。高句麗第19代の王(在位は391-412年)で、高句麗を中興したとのこと。広開土王碑はその墳墓近くに立てられ、内容はその業績を讃えるものです。

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広開土王(好太王)の石碑が入る建物・・・JingShangの吉林集安への旅

2010年10月05日 | JingShang君からの上海レポート
(私は現在、寧夏回族自治区を旅行中です)
 昨日10月4日は寧夏回族自治区同心県を出て、途中須弥山石窟(しゅみさんせっくつ)と黄鐸堡古城(こうたくほこじょう)を見て、寧夏最南の固原市へ入りました。昨日固原では固原博物館と秦漢長城、固原の城壁の一部を見ました。長旅なので、食べ物の内容と睡眠には注意を払い、また移動も荷物があることを考えタクシーを使っていますので、今までのところ一応順調です。明日は固原の六盤山(ろくばんさん)という風景区を見て、甘粛省平涼市(かんしゅくしょうへいりょうし)へ行くつもりです。
 昨日のレポートでは天候のことと上海世博のことをお伝えするのを忘れました。今日の固原は晴れです。1日の永寧県以来、ずっと晴れです。予報は晴れ、最高気温は21度です。固原は山地ですが、今日はあまり寒くならないようです。セーターは鞄のなかで寝ています。

(今日のブログ)
 上海世博の3日の入場者数は44.8万人、4日は43.1万人でした。

 さて、吉林省集安を続けます。今日から広開土王(好太王)の石碑と墳墓です。1枚目が石碑が入っている建物です。

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