MASの搭乗員日誌

気がつけばフルスロットル!別館

ヒコーキ頭に戻れない

2021-08-09 03:03:00 | 搭乗員日誌
6月末に仕事中に母から助けを求める電話があり家に戻ってみると唐黷ト意識がなく、慌てて救急車を呼ぶ事態になりました。
幸い重い眩暈との事で症状は深刻なものではなく薬と通院で日常生活に戻ってこれました。
されど、やはり年齢的に昔の気分で張り切って動き回られると体が付いてこれずぶり返したりするので全く今まで通りと言うわけにもいかない。
一度あのような事があると次もあると仕事等の外出中も不測の事態を想定して気が張ります。
母はまだコントロール下に収まりますが問題は父。

19年前に意見の相違から別々に生活する事になり一人アパート暮らしをしていますが、一人不規則な生活を続けていたため体の動きは徐々に鈍くなり特に足への影響が大きい。
歩く事はまだ可能ですが危なっかしく現に途中で唐鼡~急隊から連絡を受け病院に駆け付けた事が幾度かあり。
当然働く事もできなくなり5年程前に父の身を思い生活保護とケアマネージャーやヘルパーさんを付ける事を何とか了承させ色々な協力してもらっていますが当人からは嫌味しか出てこない。援助してくれる方々にも根拠のない上から目線でモノを言う。

息子としては何とか健康と体力回復を願ってましたが後ろ向きな態度では良くなるわけもなくずるずる・・・。

そしてその一人暮らしも限界に近くなっているとケアマネージャーから話があり兼ねてからお願いしていた施設への入所を検討、ショートステイで様子を見る等色々と考えてみた。
ケアマネージャーさんやヘルパーさんには反目しているため私が行って説得し了承を得るもいざ当日になると断固拒否・・・そして数日後に当人から電話で「やはり世話になってみようかと思う」と連絡あり・・・では、再度段取り追加で施設の下見をしここまでは前向きだったもののいざ当日になれば断固拒否・・・そして数日後に前言撤回の電話。
今回は3回目でまた同じことを繰り返し・・・今回は我慢ならず人目を憚らず大ゲンカの末、入ってもらいました。
少しゆっくりして前向きになってくれたらと思っていますが5日間予定の今日が3日目・・・相変わらず不平不満の電話がかかってきます。
着歴見るたびに気分が悪くなる。

生活を違えた19年前と何も変わらない。
19年前、商売に失敗し住んでいた家を出ていかなければならず・・・当時父と母、私と弟二人がとにかく一緒に生活し各自が立て直し各々の生活を切り開いていこうと幾度も提案しましたがこれを聞き入れず出ていった父・・・それから3か月ほどで「やはり一緒に生活した方が良いと思う」と電話がありました。「今更何言ってるんだろう」「もう戻せないよ」


生活を違えてからそれでも息子としての情で連絡を断ち切らずに現在まで来ましたが最近は単に長男としての義務感しかなくなったように思います。

さて、そんなこんなで頭がいっぱいでなかなかラジコン飛行機♪に意識が向きません。
いつの間にやら外は酷暑で例年もFLT敬遠気味になっていますが製作もストップ!
夏の引きこもり企画であったOK MODELの零戦30Kにもまだ手が付けられません。

今回はエンジン機、未知の領域なので私なりに構えて取り鰍ゥるつもりでいます。
キットと共になかなかエンジン機も入門や解説が少ないご時世のようで本屋まわっても特にヒットせず結局AMAZONで一冊入手しました。

もう少しヒコーキ頭に戻ったらぼちぼち知識を吸収したいと思います。
いつまでに!とはまだ目標を立てる事はできませんが必ずやっていきたいと思っております。