なごみのとき

ホッとするデジカメひとコマ日記

荒神山の蛇岩

2013-01-17 10:27:23 | 風景
 ブログ友さまが、荒神山の蛇岩のことをコメントで紹介しておいて下さいましたので、地元の者として、まだ一度も見たことがないと言うのでは申し訳ないと、ネット検索で、大体の見当をつけて、昨日訪ねてみました。
 登り口がはっきり分からず、最初は太い竹の生えた、道のない斜面を登っていきました。まだ、生々しい臭いのするイノシシの糞があちこちに落ちていました。イノシシ避けの柵を見つけ、それに沿って歩いて行くと、門扉が設置してあり、内側へ入れました。そして、しばらくいくと、丸太で補修された参道へ出られ、蛇岩までたどり着くことが出来ました。どうやら、登り口を間違えたようで、参道をそのまま下っていった所に、もう一つの門扉があり、お墓の近くが登り口のようでした。















 「かめ山むかしばなし」より、蛇岩の伝承を紹介します。

 むかしむかしのことです。荒神山はいくつもの沼にとりかこまれていて、それはそれはうつくしいところでした。
けれども、宇曽川は雨がふるたびに大水をおこし、あたりの田んぼの稲を流しました。人々の生活はまずしく、その日その日をほそぼそとくらすというありさまでした。

 そんなある日のことです。とおい天竺から、大日にょらいとよばれるほとけさまが、大きなへびにのって、湖(みずうみ)の国にこられました。にょらいさまは、びわ湖の東に広がる荒神山を見て、「なんと清らかな山なのだろう。少しここで休んでいこう。」と、山のふもとにおりられました。
なにしろ、にょらいさまは、世界中をてらすといわれるぐらい光かがやくほとけさまです。きっと、荒神山全体がぱっと明るくかがやいたのでしょう。
「にょらいさまだ。にょらいさまがおこしになった。」と人々はぞくぞくあつまってきました。
おいのりの声はだんだん高くなり、荒神山いったいにひびきわたりました。
にょらいさまは、みすぼらしいみなりのやせこけた人たちが、いっしょうけんめいおいのりするすがたを見て、びっくりされました。そこで、これにこたえようと、体じゅうから、ますます光を出し、まばゆいばかりのおすがたで、
「この村が、いつまでも平和でありますように。この村に五こくがたくさんみのりますように。」とおいのりなさいました。人びとのおいのりの声が、ますます高くなったときです。
「みなさん、わたしはこれから、おおくの人びとが平和にくらせるように、たびをつづけなければなりません。わたしのかわりに、おともの大へびをここにおいていきましょう。たいせつにおまつりなさい。」ともうされると、高くまいあがり、いずこともなく、おすがたが見えなくなってしまいました。
 人びとがふとわれにかえって見ると、大へびは、いつの間にか、大岩にかわっているではありませんか。
その上、大きく長くなって、荒神山をつらぬいていました。頭は、南側の北町にありますが、しっぽは、ずっとはなれた北側の石寺の村に出ているのです。人びとは、おおよろこびして、へび岩をおむかえしたということです。

 荒神山いったいをおまもりする神さまとなった大へび岩は、一日に三かい、大きな口をあけて、人びとのしあわせをいのりました。そのおかげで、それからは、今までひどかった宇曽川の大水もふしぎにおさまり、いねのよくみのるゆたかなむらになりました。のちに、米の神さまとして、知られるようになった大へび岩には、全国各地からおまいりする人がたえなかったということです